平らな深み、緩やかな時間

60.「北村周一 展」「越川修身 展」

4月に年度がかわり、はや一ヶ月以上が経ちました。
私は職場が変わって、めまぐるしい毎日です。この春まで在籍した前の職場には、事情があって一年間しかいられませんでしたが、今度の勤め先では定年までいることになるでしょう。そのつもりで、自分なりに態勢を整えたいところです。
もう歳なので無理をせずに、例えばこのブログで書いているようなことを静かに思索する時間を持てるようにしたい・・・。ささやかな願いなのですが、大型連休といわれる先日のGWの日程の中でも休日は一日だけ、というのが現実です。通勤に一時間半もかかる職場になったため帰宅後もへとへとで、結局、ブログも更新できずじまいでした。

さて、そんななかですが、この空白の間にいくつかの展覧会を見ることができました。そして今回は、二人の作家の個展について書いてみます。どちらも、特別な展覧会です。
ひとつは北村周一さんの展覧会で、沼津市庄司美術館での大規模な個展でした。1999年以降の作家の歩みを回顧できる内容で、とても見応えがありました。同時に作成されたパンフレットの、平井亮一さんの評論もとても興味深いものです。
もうひとつは越川修身さんの展覧会で、こちらはFEI ART MUSEUM YOKOHAMAでの追悼展でした。今年になって亡くなられた越川さんの作品を集めた展覧会で、展示が難しいインスタレーションの作品も美しい大判の写真で見ることが出来ました。学生の頃の油絵もあって、故人のことを知る人も、そうでない人も十分に鑑賞できる展覧会だったと思います。
彼らは私から見ると、ほぼ同世代の作家で、北村(以降、敬称略)は1952年石川県生まれ、越川は1949年島根県生まれです。ふたりの経歴はまったく異なりますが、こうして同時期にそれぞれの特別な展覧会を見てみると、継続的に芸術や美術について考え、表現してきたことの重みを感じます。それを正確に言葉にするには時間がかかりますが、とりあえず感じたこと、思いついたことをメモにしておきます。


北村のパンフレットの表紙に付されたことばは「フェンスぎりぎり」です。そのことについて、パンフレットの中の文章で平井は次のように書いています。

「フェンスぎりぎり」とはやはりいいえて妙、このさきはついに、ひたすら画面の様態とそれをみきわめる認識と、これらの内と外といりちがう眼差しのトポス・統合の単一化へ、いってみれば純粋統合へとことがらをもってゆくこと。現代美術用語をあてるなら一種のミニマル還元への方途などといえるかもしれない。しかし、はたしてそうだろうか。(「素地への遡行」平井亮一)

平井はここで、「一種のミニマル還元」と書いていますが、これは北村の作品を見ると、おそらく誰もがミニマル・アートの絵画作品を想起するでしょうから、当を得た言及のように思います。
http://fence-girigiri.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/index.html
しかし、平井は「しかし、はたしてそうだろうか」という疑問を投げかけています。どういうことでしょうか。ミニマル・アートの作品を見ると、そこには絵画的なイリュージョンを極小化(ミニマル)することによって、絵画としての表面と物質的な表面とを「統合」する、というような指向性が見られます。しかし、この指向性は北村の作品とどこかで食い違っているように思います。
そこで平井が文章のはじめに触れているエルンスト・マッハの有名なスケッチが、私たちに何ごとかを示唆していることに注目しましょう。マッハのスケッチは左目から見た自分の身体を含む外界の画像を描いたものなのですが、画面の右側には、瞼と鼻のふくらみによって視界が遮られている様子も描かれていて、何だかハッとさせられます。実際に自分自身の右目を閉じてみれば、同様の視界が得られるのですが、それではさっぱりハッとしません。この、マッハのスケッチと直接の視界との違いは何なのでしょうか。そのことについて平井は、「一枚の紙が介在」していることによって、自己の外部と内部が反転し、錯綜していることが意識できるのだ、と分析しています。そして、このマッハのスケッチによって覚醒される意識が、北村の絵画とどこか共通するのだろう、と読み取れます。
「フェンスぎりぎり」とは、フェンスそのものを画面上に再現しようとしたものではないし、かといってフェンスから距離をおいて描写した風景画でもありません。そのどちらかにおさまるように技巧を凝らせば、すっきりと了解できる絵画作品になるのでしょうが、北村の作品はそれを拒絶しているかのようです。たとえば窓の向こう側に見えるフェンスをじっと見ていると、その距離感が曖昧になって目前にあるような気がしたり、あるいは間にある大気が充満して何だか遠いもののように思えたりすることがあるでしょう。その錯綜した距離感そのものを描こうとしているのが、北村の作品ではないでしょうか。
また、一見ミニマルに見える作品においても、北村の場合は絵画としての表面と物質的な表面がすっきりと一致しているようには見えません。その北村の作品について考える際に、私達は「ミニマル絵画(ミニマル・アートの絵画)」とひとくちに言ってしまいますが、その大多数が「ミニマル絵画」としてひとつの様式を確立し、結果的にそれが初期において絵画の表面と物質的な表面を「統合」する試みであったことすら忘却しているように見える、ということを確認しておきましょう。少なくとも私には、それらが絵画として発した疑問を飲み込んでしまい、様式的にすっきりと了解できる芸術作品になってしまっているように思います。北村はそれ以前の、絵画の表面と物質的な表面が平面芸術として「統合」されるかもしれない、という絵画がハッとした瞬間にとどまりながら制作を続けている、というふうに私には感じられます。最近の北村の作品で意図的にキャンバスを緩く張ったものがありますが、それがかえって絵画が平面であることを私達に覚醒させているように思うのですが、それは北村が絵画とは何であるのか、つねに問い続けながら表現しているからでしょう。
次の文章は平井がパンフレットの締めくくりに近いところで書いているものです。

けっしてはなばなしいとはいえないかれの仕事が、相応の実践形式と存在形式をえてみるにあたいするなにごとかでありうるのは、こうして一定のひたすらな原理性の追求においてである。それにしても、いや、それゆえにこそ画面に押しかえされてかりにもせよそこになおことばに回収されないなにものかが、不穏にも「サブスタンス」にとどまらない当の指標をゆるがし、ふとその方途を移し否定する契機をはらむようなことがあれば、そののち、かれのどのような滞留の相に観客はたちあうことになるのだろうか。そんなたのしい想像も浮かんでくる。(「素地への遡行」平井亮一)

北村の絵画が、完成したミニマル絵画の様式をなぞるだけの不毛な作品とどうして違って見えるのか、それは北村が「一定のひたすらな原理性の追求」をしているからです。それは北村の意図を超えた何かに私達を出会わせることになるのかもしれない、と平井は書いています。
実際のところ、今回の展覧会で北村の近作を一同に見る機会を得て、私はそのことを肌で感じることが出来ました。これまでの北村の個展では感じることのなかった、「絵を見ることの快感」とでも言うべきものがそこにあって、それがいったい何なのか、容易に言葉に出来ずに困っているところです。たまたま会場に居合わせた夫婦連れの方が、「この色の下に、別の色があるのよ」「へえ、面白いねえ」と言い合いながら作品を鑑賞されていましたが、意外とそういうプリミティブな見方の中に、北村の絵画の魅力があるのかもしれません。


一方の越川の回顧展ですが、こちらも絵画や芸術、さらには近代から現代にかけて私達が常識だと思いこんでいるものごとに対する覚醒の意識に、充ち満ちていました。越川は「横浜美術学院」の指導者でもあったので、主に学生に向けた文章を綴って自分の思考を言語化していました。したがって私がここでつたない文章でそれを書き直すこともないのですが、たとえば「点滅する空間」という文章の一部を抜き書きしてみましょう。

道に迷い、時間や空間の位置を見失った時、その状態をゆったりと身を浸すことさえできれば、宙吊りにされた人の眼差しは、風景自身の持つ事物の秩序や配列とのあいだにある種のズレを生じる。視線が一定の秩序に沿って働くことを止め、眼差しは、初めて見るべき物を一定の方向の中で自ら選び取ることを放棄する。同時に、風景の中にすべり込んでいる事物はそれぞれが収まった「場所」を離れて動きだし、本来いるはずの「場所」でいっそう生き生きと存在を始めるのだ。(「点滅する空間」/越川修身)

この文章は1988年のグループ展「揺相/欲望の海をわたる絵画」の冊子に寄せたものですが、その当時、私には越川の書いた文章の意味、あるいは作品が投げかけている問題について、はたして十分に理解できていたのかどうか、自信がありません。頭の鈍い私は、つねに越川の何百歩後方をたよりなく歩いているようなものなのかもしれません。
そう思うのは、私と越川との出会いが美術予備校の生徒と教師の関係であったことも影響していると思います。私が越川に教わったのは、「すいどーばた美術学院」の講習会のほんの数日にすぎないのですが、その印象はいまだに消えないものとなっています。講習の終わり近く、ほぼ出来上がった私の人物デッサンの前に座ると、越川はこんなことを私に言いました。
「ここに使い古しの封筒があるとするよな。」
何のことだかわからずに、私はただ曖昧に返事をしました。
「その封筒をさらに指でぶよぶよにするだろう、おまえのデッサンはその封筒みたいなものだ。」
今にして思えば、私の形体感の弱いデッサンに対する比喩だったのですが、その当時は何のことだがよくわかりませんでした。そして、何となくぶよぶよの封筒のイメージだけが頭の中に浮かんでいたことを憶えています。しかし考えてみると、このぶよぶよの形体感というのはその後も私につきまとって、結局いまだに解消していないように思います。あのとき、越川が指摘したのは、ただの予備校生としての私の欠点ではなくて、一生私から離れることのない性癖のようなものだったのです。多少のごまかし方は学んだものの、終生私から離れることのない欠点を越川に見抜かれていたと、何十年か後になって気がつきました。自分自身、あきれるような頭の鈍さですね。
その越川が格闘していた問題は、先ほども書いたように私達が生きている近代という時代そのものだったのかもしれません。そのスケールの大きさを実感しつつも、私は晩年の越川の絵画に対する取り組みに、とりわけ興味がありました。2005年頃からの越川の作品に、寒冷紗を木枠に張って描いた絵画があるのですが、それは絵の具の隙間から向こう側が透けて見えるというユニークなものでした。それも、ただ向こう側が透けて見えるというのではなく、寒冷紗の白い繊維の張り具合が薄く見えて、それが絵画の平面性を私達に意識させる、という構造になっていました。絵画の支持体が透明であると同時に平面である、という両義的な意味を持ち、そのことが絵画という形式の成り立ちを私達に覚醒させる希有な試みであったのです。
それはまた、かつて越川がインスタレーション作品として扱っていた空間意識を、意表をつく形で絵画化したものだと私は思います。越川のインスタレーション作品の多くは、木材や板のひとつひとつを手仕事でそぎ落とし、その表面に何層もの絵の具を塗って布をかぶせる、という作業を繰り返したものでした。それらは空間を構成する構造体であると同時に、ひとつひとつが空間の表面でもあったのです。それらが自在に組み合わされ、時にはところどころに群島のようなかたまりを構成していることもありました。それはあたかも、ペインティングの痕跡が重ねられて出来た不作為の形状のようなものであったのかもしれません。それを絵画的に表現すると、インスタレーション作品を描写したような二次的なものになりがちですが、越川はその空間意識そのものをダイレクトに平面で思索する方法を始めたのだな、と私は考えました。技術的にも達者な人でしたが、思考においてもまったく妥協のない人だった、と思います。
越川は、先ほどの文章の末尾にこう書いています。

我々もまた、自らの位置の測定の基準となる山や河や星や、天と地の境界すら失ったところに、今立ちすくんでいるかもしれないのだ。(「点滅する空間」/越川修身)

まさにその通り、と手を打ちたくなりますが、ちょっと待てよ、と私は思います。スマホの位置情報を便利に使い、カーナビに導かれて移動することを当たり前のように享受している自分が、「今たちすくんでいるかもしれない」と書いた越川と同じ地平に、はたして立てているのでしょうか。「自らの位置の測定の基準」を失っている、という覚醒した意識を、まずもたなくてはならない、というかなり面倒な状況に私自身はいるのかもしれません。そこから出発しないと、相変わらず越川の何百歩後方から前進することは出来ないでしょう。

自分自身がいい歳になり、そろそろ前の世代が踏みしめていない地平へと踏み出さなくてはなりません。北村や越川がずいぶん前からそうしていたように・・・・。
彼らの地道な仕事の集積とも言うべき重要な展覧会を見て、あらためてそう感じた次第です。日常がいかにあわただしくとも、とにかく継続しなければなりなせん。

コメント一覧

北村周一
http://fence-girigiri.cocolog-nifty.com/
石村さん、お久しぶりです。
沼津ではお会いできなくて残念でした。
また今回は丁寧な感想を書いていただき、ありがとうございます。
2月の中旬に依頼のあった展覧会だったのですが、引き受けてよかったなと思っています。
なんにせよ、平井さんのテクストが仕上がっていましたので、小冊子を刊行しながらの準備となりました。
ぼくの作品に触れながらのテクストとはいえ、今日の絵画全般に言及しており、多くの方に読んでもらいたいと思っています。
今度ゆっくりお話し聞かせてください。
どうもありがとう。
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