平らな深み、緩やかな時間

212.「マチエール」という言葉について

とうとうロシア軍によるウクライナ侵攻が始まってしまいました。目まぐるしく情勢が変わるので、この文章をアップする頃にはどうなっているのでしょうか。
ドフトエフスキー、トルストイ、カンディンスキー、ストラヴィンスキー、ソルジェニーツィン、タルコフスキーなど、ロシアの芸術家を思い起こせばきりがないほど名前が出てきますが、それほどの文化を孕んだ国が、この21世紀になってもこのような暴挙を犯すとは信じ難いことです。
テレビやインターネットで識者がいろんなことをすでに言っています。私は社会的な問題に関しては一般市民以下のことしか言えませんし、また理解もできていませんので、芸術や文化に興味がある者として、次のような感想だけを書き留めておきます。

こんなときに想起されるのが、ドイツの哲学者、社会学者で評論家でもあったアドルノ(Theodor Ludwig Adorno-Wiesengrund、1903 - 1969)の有名な言葉です。
「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」
いずれアドルノのこの言葉のことは、ちゃんと向き合ってblogにも書き留めておかなくてはなりませんが、いまはこの危機的な状況の中で、何をやっていても虚しくなる気持ちを言い表した言葉として頭に浮かんできました。
この言葉の真意は、「アウシュビッツ」も「詩」も、同じ人間の創出した文化の裏と表である、ということのようです。「アウシュヴィッツ」の虐殺行為が一人の狂った独裁者の仕業である、と考えるならば話は簡単ですが、そんな生半可な反省で「詩を書く」という創造行為を継続しても、結局、人間の野蛮な行為は止まない、とアドルノは言いたかったのかもしれません。「文化」というものが、人間に制御し難いほどの力を与えてしまったのだとしたら、あらゆる文化的な営みもそれとは無縁ではいられない、ということだと思います。
今も、世界各地に横暴な独裁者たちがいますが、彼らの所業を極悪な個人によるものだ、と考えるのではあまりに単純すぎます。例えば今回のロシアの独裁者も、実はかなり追い詰められているのではないか、という解釈も聞こえてきます。彼らを悔い改めさせるには、彼らの身近にいる自国の人々、そしてその人たちと連帯する世界の人々の正常な善意の声を届けるしかないのではないでしょうか。そして、追い詰められている彼自身も、救済されたような気持ちにならないことには、繰り返し独裁者が現れるのではないでしょうか。
きれいごとを言っているように聞こえるかもしれませんが、「核兵器」の使用まで口走る独裁者を思い止まらせるには、もはやそれしかないと思うのです。
それにしても、どうしてあんな男をいつまでも為政者としてのさばらせていたのか、などとロシアの人たちを責めたくなる気持ちもありますが、そんなふうに憎しみを連鎖させていては独裁者の思うつぼだと思います。そう思う前に、私たちの国の為政者たちはどうだったのか、ということを深く反省してみてはどうでしょうか。私たちの税金を使って自分の支援者を招いた「桜を見る会」という大宴会を開いたり、無駄なマスクを買って全く反省しなかったり、あるいは学術会議のメンバーを理由もなく排除したり、と散々ではありませんか。こういう一般市民の感覚からかけ離れた、あるいはまったく文化の良い面を理解しない人間の行為は、今回の独裁者の破壊行為とどこかで繋がっているような気がしてなりません。
そんな愚かしくも過酷な世界にあって、私たちはなんとか生き延びることを考えなくてはなりません。そんなとき、私には想起すべき、もう一つの言葉がありました。

世界はいつも

勝手に醜く 
勝手に喜劇で 
勝手に惨め 
全部知らん顔

アドルノの言葉とともに、前々回にご紹介したさとう陽子さんの短い詩の言葉も心に刺さります。まさに今回の出来事にぴったり寄り添うような詩ではないでしょうか。しかしさとうさんは、こういう認識を持ちながらも、あれだけ美しい作品を創作しているのです。
アドルノが言ったように、「アウシュヴィッツ」と「詩」が文化のもたらしたものとしてどこかで連動しているのだとしたら、こういう詩をつづり、充実した絵画を描くことも何かの役に立つのではないでしょうか。武器を持たない私たちの、ささやかで最大の抵抗であるのかもしれません。

さて、こんなタイミングで、私の心ある友人が、2008年に作家の辺見庸(へんみ よう、1944 - )がある研究会で講演を行ったことを教えてくれました。残念ながらその記録は辺見庸の著作として残っていません。しかし、この講演で辺見庸が強調していた言葉、とりわけ「マチエール」という言葉を彼が強調していた、ということを友人は教えてくれました。そこでここでは、辺見庸が講演の中でもたびたび言及したという「マチエール」という用語を手がかりに、芸術とも通じる世界との向き合い方、その感覚の研ぎ澄ませ方などについて考えてみたいと思います。

その本題に入る前に、以前にも書いたことですが、辺見庸という作家について、そして私が彼のことを知った経緯について少し説明しておきます。
辺見庸のことを、はじめて知ったのはいつ頃だったのか、実は記憶が定かではありません。新聞を読んでいたら、やけに読みにくいゴツゴツした言葉使いのコラムがあって、何だろう、と思って読み始めたのがきっかけでした。それが辺見庸の文章だったのです。そのコラムはのちに、『眼の探索』という本にまとめられたと思います。
その後、彼が新聞記者の時代に書いた『もの食う人びと』という本と出会い、こんな人もいるんだ、と思って感動しました。そして2001年9月11日の米国同時多発テロ以降、彼の文章がつねに私の考え方の指針になりました。彼はアフガニスタンへの米軍の侵攻を、同時多発テロの報復戦争に他ならないことを早くから見抜いていましたし、2003年の米英軍によるイラクへの侵攻も、その正当性を疑って警鐘を鳴らし続けたのです。それらの文章は、『永遠の不服従のために』、『いま、抗暴のときに』にまとめられましたが、あの緊張感の漂う時代の中でそれらが書かれたことを忘れてはなりません。その後、イラクでは大量破壊兵器が隠されていないことが発覚し、アフガニスタンでは未来への見通しのない報復侵攻が、いかに不幸の連鎖を生むのかということを、私たちはここにきて目の当たりにすることになったのです。
辺見庸は、自分は米大統領の敵だと言ってはばからず、私は勝手にそんな彼が少々のことでは死なないようなタフな人だと思い込んでいました。ところが2004年に辺見庸は脳出血で倒れ、その翌年に癌を患い、さすがの彼でも作家として復帰するのは難しいのではないか、とこれも勝手に私は思い込んでいました。ところが辺見庸はまもなく作家として復帰して、詩作品なども意欲的に発表して、さまざまな賞を受賞してこんにちに至っています。
そんな彼の変遷を考えてこの講演の日付を見てみると、これは闘病して復帰してから、それほど経っていない時期の講演になります。なにしろ脳出血や癌ですから、回復したとはいっても長時間話すのは相当にしんどいことだったのではないか、と推察されます。聞き手からすると、大変な迫力を感じる講演だったのではないでしょうか。
そしてここで、あらためて辺見庸の世界との向き合い方や、その研ぎ澄まされた感覚について、「マチエール」という言葉を手がかりに学んでみることは、とても意義深いことだと思うのです。

それでは、内容に入ります。
ここで話題としている「マチエール」とは、フランス語の「matière」のカタカナ表記ですが、本来は材料、素材を指す言葉だそうです。しかし特に絵画では、作品表面の肌合いのことを言い表すときに使う言葉です。例えば油彩画の場合で言えば、油絵具を盛り上げて厚みをだしたり、ナイフで引っ掻いて傷のようなへこみをいれたり、絵具に砂や小石を混ぜてザラザラさせたりしたときに、「マチエールに工夫があるね」とか、「マチエールが効果的だね」などと言うのです。
もちろん、辺見庸は絵画について語っていたわけではありません。ここでは、彼が聴衆として過去に聞いた講演の中で、その内容よりも講演者が醸し出した「質感」の方が記憶に残っていた、という事例から「マチエール」という言葉を引き出していたそうです。例えばある大作家が講演で語った内容は忘れているのに、その人の質感、あるいは雰囲気のようなものだけを覚えていた、というような話です。
このような講演の話者から感じ取る「質感」のことを、辺見庸は「マチエール」という言葉で表現していたらしいのです。そしてこの「マチエール」が感受できるということがとても大切なことで、逆にいえば「マチエール」を感受できないことがどれほど大変なことなのか、ということを考えてみなければなりません。
しかしここでもう少しだけ立ち止まって、「マチエール」という言葉について考えてみたいと思います。

私のように美術に関わっている人間からすると、辺見庸が人間の醸し出す「質感」を「マチエール」という言葉で表現したことで、その感触がとてもわかりやすいものだと感じています。しかし一般的には、「マチエール」という言葉はあまり使わないでしょうし、感覚的にこの言葉を飲み込むことが多くの方にとって困難だと思われます。そこで絵画における「マチエール」について、もう少し事例を出して説明しておきましょう。
例えば有名なゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853 - 1890)の描いた『星月夜』を見てみましょう。
https://www.artpedia.asia/work-the-starry-night/
画像の良いホームページなので、絵のどこかの部分を拡大して見てください。ゴッホの細い筆のタッチが、ただ渦巻くような色合いを描いているのではなく、そこに絵具の盛り上がりが出来ていることに気がつくと思います。ゴッホは、色、形、絵具の物質感などのすべてを使って、濃紺の澄んだ夜空に人の目を引き寄せるような月や星を表現しているのです。それはただ単に美しいというのではなく、見る者を引き寄せる光でもありますし、あるいは滲んだような光の広がりを素直に表現したものでもあるように見えます。
ゴッホの作品は、ときに色彩表現があまりに明快であるために、写真を見ただけでもその魅力を理解できたような気分になります。しかし実際に本物の作品を見る機会があると、それがいかに浅はかな理解であったのかということを思い知ることになります。ゴッホの実物の絵が醸し出す雰囲気こそ、辺見庸が言っている人間の「質感」に近いものであり、ゴッホの絵においては「マチエール」の表現が、重要な役割を担っているのです。
あるいは、私の好きなド・スタール(Nicolas de Staël、1914 - 1955)という画家を見てみましょう。彼はその短い生涯の中で、作品のマチエールを劇的に変えた画家でした。例えば、ド・スタールの若い頃の作品を見てみましょう。彼がはじめに評価されたのは、絵具の層を厚く重ねた、重厚な「マチエール」の抽象絵画によってでした。
https://www.centrepompidou.fr/fr/ressources/oeuvre/cpg7LnL
それが晩年になると、軽やかな「マチエール」で具象的な対象を描いています。ちょうど晩年のド・スタールを紹介しているホームページがありました。
http://franceartsanpo.blog.fc2.com/blog-entry-3.html
このページを一番下まで見ていただくと、楽器の置かれた『コンサート』という未完の大作があります。構成がやや未整理で、もう少し筆を入れたかったのでしょうが、その分だけ生々しい感じがして、その感触が魅力になっている作品です。
ちょっと雑談になりますが、少し前にテレビで『岸辺露伴は動かない』というドラマがやっていました。その主人公・露伴役の高橋一生が、ド・スタールの画集をカフェで見ていて、その魅力について語り出す、という愉快なエピソードがありました。原作は漫画だそうで、私は残念ながら原作を読んでいませんが、ネットで見るとそのエピソードも原作にちゃんとあるようです。ド・スタールを好きな人が書いた原作だから、ドラマも良いものに仕上がったのかな、と勝手に思っています。
ド・スタールに話を戻しましょう。ド・スタールの初期の作品には、絵画空間を繰り返し見直しながら、その都度手を加えていった痕跡が表れています。その試行錯誤の時間が、そのまま重厚な「マチエール」として私たちに感受できるのです。
しかし彼はもっと単刀直入に、目に見える世界を把握したかったのでしょう。その即興的な息づかいが、彼の早すぎる晩年の作品から見て取ることができます。その彼の目論見が、彼の作品の軽やかな「マチエール」として表れているからです。
ド・スタールには、その初期の作品においてもっとできることがあったのではないか、と私は思います。そして何よりもその表現の高みにおいて、もっとたくさんの作品を残してほしかったと思います。しかしその一方で、彼がそこにじっと立ち止まることができなかった気持ちもわかる気がします。そういうことのすべてが、ド・スタールの作品の色や形、「マチエール」から匂い立ってくるのです。

なんとなく、絵画における「マチエール」の感触がつかめたでしょうか?もちろん、「マチエール」が単なる技巧に見える絵画作品も山ほどあります。そういう作品が放つ負のエネルギーもなかなか侮れないもので、私は公募展の壁一面にかけられた絵画を見ると、その圧倒的なパワーに頭が痛くなるほどです。そういうときは、申し訳ないのですが、足早に通り過ぎて知人の出品した、目指すべき作品だけを探し出します。
そんなふうに、「マチエール」とは実際に作品を見ることと関連した、重要な芸術の要素なのです。しかし、例えば私がネット上でそのような作品会場を見て回ったらどうでしょうか。私は実際の会場にいる時よりも、比較的冷静に会場全体を眺めることができるでしょう。画面上を指でスクロールしながら作品を鑑賞することは、展覧会場に時間をかけて出かけて行って、足を棒にしながら会場を巡ることに比べれば、ずーっと楽で効率的です。これこそIT文化のなせる技というところでしょうか。ところが、これでは肝心なことがわかりません。それは「マチエール」の感触です。「マチエール」がそこでは喪失してしまっているのです。
これが美術展の会場ではなく、戦場で起こったらどうなるのでしょうか。つまり「マチエール」の喪失が、人が死んでいく場所で起こったらどうなるのか、ということを辺見庸は問題としていたようです。例えば結婚式場の花嫁と花婿が爆撃で死んでいく、という現実があったとします。戦争の当事者たちはそれを「誤爆」というのかもしれませんが、「誤爆」も「正爆」もあったものではありません。
ところが、その戦争の様態が湾岸戦争あたりから変わってきました。巡航ミサイルを使って遠隔地からリモートコントロールで人を殺す、というやり方に変わってきたのです。それは現実の戦争をバーチャルな世界として、モニター画面から眺めるようなことでしょう。戦争のリアリティがどんどん失われていったのです。いわば戦争に関わるマチエールが失われていったのです。そのことこそが、絵画とか、戦場とかに関わりなく、実は社会全体にとって一番の大きな問題なのです。
この湾岸戦争の頃から戦争の様態が変わってしまったことについては、ジャン・ボードリヤール(Jean Baudrillard、1929 - 2007)というフランスの哲学者、思想家が言っていたことです。ボードリヤールの『湾岸戦争は起こらなかった』という著書が、当時話題になりました。私はこの著書を読んでいません。しかし、どうしてこんな言い方ができるのか、ということは理解できます。ミサイルを飛ばしているアメリカの側から見れば、それは打ち上げ花火のような映像と、ゲームのような感覚の侵攻作戦を比喩的に言ったものなのでしょう。
この「戦争は起こらなかった」という挑発的な言い方の良し悪しはともかくとして、その後の戦争の様態は、どんどんボードリヤールが言ったような感覚に陥っています。しかし、ミサイルが落ちる現場に行けば、罪のない人たちの血が流れ、肉が飛び交う残酷な現実があるのです。戦争における強者の側にとっては戦争の「マチエール」が失われ、弱者の側にとっては「マチエール」という言葉すらそぐわないような、そんな悲惨な現実があるのです。
辺見庸がこの講演で問題としたのは、戦場の場面だけでなく、私たちの日常においても「マチエール」が喪失されているのではないか、という厳しい現実のようです。2008年といえば、「秋葉原無差別殺傷事件」と呼ばれている殺人事件が起こった年です。この犯人は、インターネット上でのストレスが原因で犯行に及んだ、と言っています。事件前には、ネット上で事件の予告までしていたのです。現実の世界の「マチエール」の感触を失ってしまった結果、自分の引き起こす事件の痛みの感覚がなくなってしまい、いざ現実に立ち戻った時には取り返しのつかないことをしてしまう・・・、そういう事件がこの後も続けて起こっています。
こういう時代において、私たちはどうすれば良いのでしょうか。辺見庸はそのキーワードとして「インターラクト(interact)」という言葉を使ったそうです。
「interact / (…と)相互に作用する、互いに影響し合う」
秋葉原の事件の犯人が、インターネット上の狭い領域でしかコミュニケーションを持てず、そのあげくに事件を起こしたことは明らかだと思います。しかし考えてみると、私たちも日頃から、自分の言葉が心地よく響く世界だけで生きていないでしょうか。誰だって批判されるのは嫌です。他の人から影響されるような事態になれば、思わず身構えてしまいます。けれども、お互いの領域を超えて良い影響関係を作るためには、時には苦いコミュニケーションも持たなければなりません。それを恐れずに「インターラクト」すること、それが大切なことなのかもしれません。そしてその「インターラクト」は、時に苦い事実に基づいたものでもあるでしょう。
そう思いながら辺見庸の著作を探ってみると『コロナの時代のパンセ』という著作の中で、2014年7月にウクライナで地対空ミサイルに撃墜されて墜落した航空事故について言及していました。この撃墜事件は、親ロシアの反政府勢力によって支配されていた地域で起こり、反政府人民兵はウクライナ軍機を撃墜したと主張し、その残骸が民間旅客機だと明らかになるや、この主張を撤回しました。そしてロシア政府も、この事件との関与を否定したのです。そのことについて、辺見庸は次のように書いています。

こうなると、事実はすこしも平明でないどころか複雑怪奇でさえある。出来事がおきると「非を飾る」者がでてくるからだ。非を飾るとは、じぶんの過ちをごまかして言いわけをするという漢語で、そう言ってしまえば、およそ国家や組織でおのれの非を飾らないものはない。
(『コロナの時代のパンセ』辺見庸)

ここで辺見庸は、何もロシアだけが嘘つきだと言っているのではないのです。そのような隠蔽を疑う目は、私たちの国の歴史にも向けられます。

満州事変、盧溝橋事件、南京大虐殺、従軍慰安婦……。  事実は危機に瀕している。気がつけば凍りつくほかないのだが、事実としてすでに「確定」していたかにみえた右の史実のいずれにもいま、日本では疑義がさしはさまれ、「在った」ことがばあいによったら「なかった」ことにされかねない勢いさえある。
(『コロナの時代のパンセ』辺見庸)

もしも私たちが「インターラクト」を実践するとしたら、自分たちにとって都合の悪い事実も客観的に見つめることが必要でしょう。そのことを私たちは認識すべきだ、と辺見庸は言っています。

さて、今回は講演の又聞きの話からいろいろと考えてみましたが、不正確な点があれば、それはすべて私の責任です。ただ、私の聞いた話と、私がこれまでに読んできた辺見庸の著作の文脈と考え合わせると、それほど間違ったことは書いていないと思います。
そしてもう少し付け加えておくと、戦争の「マチエール」を表現し、文学のジャンルを凌駕して「インターラクト」することを実践したのが、辺見庸の『1★9★3★7(イクミナ) 』という著作です。何回も読み直すのはしんどい書物ですが、今回のような事件があると忘れないようにしたい本です。

それにしても、このような状況下でオリンピックからパラリンピックへという一連の流れを継続して良いのでしょうか。オリンピックよりもパラリンピックの方が開催する意義が深いことは理解しますが、この状況下でスポーツを通じた平和の祭典を開くというのは、破廉恥でさえあると思うのですが・・・。

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