前回、内山睦さんの展覧会を取り上げましたが、そこで彼女の作品が和紙に描かれていることについて触れました。
http://hinoki.main.jp/img2022-2/exhibition.html
内山さんの作品を見た友人が、その美しさに驚いていましたが、彼女の作品の魅力は和紙の質感と切り離すことができません。このように、現代美術の作品で和紙が使われることは、めずらしいことではありませんが、その中でも内山さんの作品のクオリティーの高さを確認するためにも、今回は和紙を使った作品について見ていくことにします。併せて、内山さんの作品の中に、和紙をそのまま鋲で壁にとめたものがありましたが、そのようにパネルや木枠に張らずに作品を展示する作品についても、少し触れておきましょう。
こういう話をするときに、美術全般に話題を広げるほど私には教養がありませんし、またそれは私の任務ではありません。それよりも、私が若い頃に見た作品について語ることで、若い方の参考にしていただければ、という思いで体験的なことについて書いておきたいと思います。
さっそく昔話になりますが、私が若い頃、鎌倉に「棟方志功板画館」という美術館がありました。ずいぶん前に青森の棟方志功記念館に統合されてしまい、なくなってしまったのですが、鎌倉山にあった頃は友人とよく遊びに行ったものです。
棟方志功(むなかた しこう、1903 - 1975)は、言わずと知れた日本を代表する版画家です。ご存知ない方は次の棟方志功記念館のホームページから、履歴や作品をご堪能ください。
https://munakatashiko-museum.jp/
「略歴」のページにある、帝展に初入選した《雑園習作》(油絵 1928)などは版画ではありませんが、とても良い作品ですね。その後、日本の優れた芸術表現としての版画の魅力に気づき、版画作品を制作するようになります。彼は木版画の「木」の素材感にこだわり、自分の表現を「板画」と称しました。そして作品を発表しているうちに、柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司氏ら「民藝運動」の指導者と知り合い、さまざまな版画の賞を受賞して世界的な版画家となっていくのです。
その彼の版画の独特の色彩表現は、故郷・青森の「ねぶた」の色に影響を受けたようであり、また和紙の裏から彩色する方法は柳宗悦のアドヴァイスによるものだそうです。
http://www.chichibu.ne.jp/~yamato-a-t/munakata.html
棟方志功の作品の魅力は、版画によって形作られたプリミティブな形体によるところが大きいのですが、ここでは彼の作品の紙の質感に注目してみましょう。もちろん、画像や写真ではその作品に手を触れるわけにはいきませんが、紙の裏面から塗られた色のにじみ具合を見てください。色がじわっと広がる感じは、私たちに馴染みのものです。また、裏から彩色されることで、表に刷られた画像のシャープさは失われません。これは和紙の透明性、薄さ、丈夫さ、浸透性によって実現できる表現です。さらに和紙の生地の美しさという特徴も見逃せません。
この棟方志功が活用した和紙の特徴を憶えておきましょう。
さて、和紙の美術への応用方法を頭に入れて街の画廊を歩いてみると、当時、つまり私が美大生として現代美術に興味を持ち始めた1980年代ですが、よく見かけた作品がありました。それは、その時代にはすでに大家の風格のあった郭 仁植(カク・インシク、Quac Insik、1919 - 1988)という作家の作品でした。こうして生没年を見てみると、私が社会人になって間もなく亡くなっているのですね。もちろん、作家本人とお会いしたことはありません。韓国の作家ですが、美術家としては日本で活躍された方のようです。
私の見た郭仁植さんの作品は、どれも和紙を使った美しいものでした。
https://www.t-i-forum.co.jp/art_work/detail.html?id=000_01_01-089
この当時(というか、今も?)、韓国の作家でもっとも有名だったのは李 禹煥(リ・ウーファン、Lee U-Fan、1936 - )だと思います。李 禹煥さんは前回も取り上げた「もの派」の代表的な作家と言われる人です。石やガラス、鉄などを、あまり加工せずにそのまま作品として使う人です。そのせいか、あるいはその影響からか、韓国の作家というと、どことなく李 禹煥さんの作品からイメージされる「要素還元主義」的な感じ、もっとわかりやすくいうと、最小限の作品加工、制作行為で表現する禁欲的なイメージがしたものです。
郭仁植さんの作品も、色はカラフルですが豆のような同じ単位の形状のみで描かれています。そして和紙の素材感を活かしている点も、李 禹煥さんの作品と共通するものがありました。その李 禹煥さんも平面作品を描くときには、習字の筆触のような最小限の行為で作品を制作しています。和紙を使っていなくても、何となく東洋的な、「書」の筆跡をイメージさせるような作品です。
https://www.artsy.net/artwork/lee-ufan-from-line-81071
彼らの影響からか、1980年代の前半までは街の画廊を廻ると、和紙の素材感を活かした作品、単純な形体の繰り返しのような作品が目につきました。このblogで何度か話題にしたように、「芸術の終焉」、「美術の終焉」、「絵画の終焉」などということが盛んに言われていた頃で、その中で絵を描くとなれば、普通に描いていたのでは、誰にも相手にされません。
絵を描く支持体である紙や布を強調して、「もの派」のようにして制作するのか、あるいは単純な形象(フォルム)を繰り返して「ミニマル・アート」のように描くのか、知性的な作画方法を誇示して「コンセプチュアル・アート」と呼ばれるような作品の体裁を取るのか、いずれかの部類に属する作品が多かったのです。そんな中でも郭仁植さんの作品は、絵画的な表現を見たいと思っていた私の気分をある程度、満足させてくれるものでした。
そこで、作家たちはいろんな工夫をするのですが、例えば和紙の美しい素材感と「ミニマル・アート」のような矩形のパターンの繰り返しを、和紙を折りたたんでパステルの顔料を刷り込むという独自の方法でうまく表現した作家がいました。吉永裕(1948 - )さんという作家です。
https://www.bunkamura.co.jp/gallery/exhibition/210731yoshinaga.html
最近は、私がふだん出入りするような画廊でお見かけしないと思っていたら、Bunkamura Galleryやデパートの展示場、あるいは海外で活躍されていたのですね。私が最後にお見かけしたときには、矩形のパターンがなくて大きな紙をそのまま使っていらっしゃったのですが、上記のBunkamuraのページの画像で見ると、私の知っている吉永さんの作品に戻っているようです。やはり、こちらの方が見栄えが良いようで、作品の美しさは相変わらずです。いまや吉永さんの作品を見て、「ミニマル・アート」を想起する人はいないでしょう。ミニマルというよりはむしろゴージャスで、その矩形の色の区切りは端正な工芸品のように受け取られているのかもしれません。
ここで和紙という素材からはなれて、パネルやキャンバスに支持体を張らずに、そのまま展示する表現様式を見ていくことにしましょう。
ところで、「支持体」という言葉の意味は分かりますか?ふだんあまり使わない、なじみのない言葉だと思います。絵画の分野で「支持体」というと、絵画が描かれている布や紙などの素材のことを指します。それならば「素材」と言えばよいようなものですが、「素材」という言葉には絵具や鉛筆などの描画材のことも含みます。ですから、布や紙などの絵が描かれている素材のことを特定して言いたいときには、「支持体」という言葉がとても便利なのです。
ここまで見てきた作品の中では、吉永裕さんの作品が制作時の折り目もあらわにしながら、和紙をそのまま直接、壁にとめたものでした。和紙という素材だと、そもそもパネルやキャンバスに張って使うものではないので、紙のまま壁に展示されてもそれほどの違和感はありません。しかしこれが布となると、ヨーロッパには古くから木枠にはって展示する形式が定着していますので、話が違っています。画布を木枠に張って、それを額縁に入れて壁に飾り鑑賞する、というのが美術鑑賞の定式になっていますから、この定式を踏み外すということになれば、それなりの意味があるのです。
この意味を根本的に問い直した美術運動がありました。このblogでも何回か言及したことがある「Supports/Surfaces(シュポール/シュルファス)」という美術運動です。1970年代初頭に、南フランスを中心に活動した芸術運動で「シュポール」とは「支持するもの」、「シュルファス」は「表面」を意味するそうです。つまり、この運動は先ほど説明したような、画布を木枠に張って額縁に入れて鑑賞する、という絵画の定式を解体して再構築しよう、というものなのです。この運動に参加した作家たちは、絵画の木枠に直接着色したり、布だけを壁に貼ったり、あるいは床に置いたりしています。この「Supports/Surfaces」運動は、ポスト・モダニズムの思想がモダニズムの思想を解体して再構築しようと試みたように(これを「脱構築」と言います)、絵画という様式において同じことを試みたのです。
今回はこの運動そのものを論じるのが目的ではありませんので、この運動が日本で話題になり始めた1980年代半ばにおいて、私が直接ギャラリーで目にして印象に残った彼らの作品の中から二人の作家の作品について取り上げてみましょう。
一人目は、この「Supports/Surfaces」運動の中では若手の作家で後半から運動に合流した、ジャン・ピエール・パンスマン(Jean-Pierre Pincemin、1944 – 2005)を紹介します。インターネットで調べてみると、だいぶ前に亡くなっていますね。彼の作品を、次のページからご覧ください。
https://www.artsy.net/artwork/jean-pierre-pincemin-sans-titre-carres-colles
この作品は、矩形の布を貼り合わせてできていることが、分かりますか?その一つ一つの布を見ると、同じ単純なパターンで描かれています。この作品が制作されたのは1969年のようですが、パンスマンはこの時期にこの形式の作品をたくさん作っています。色もパターンもまちまちですが、白地に単色で描かれたシンプルな形がつなぎ合わされていることで、模様のようなパターン様式の絵画となるのです。そのつなぎ合わされた布が、そのまま壁に貼り付けられています。
私がパンスマンの作品を街のギャラリーではじめて見たのが、1980年代になってからだと思います。その頃の日本では、先ほども書いたように、ミニマル・アートとコンセプチュアル・アートの流行の後でしたから、パンスマンのように一定のパターンを描画した作品がそこら中にありました。パンスマンの作品を見たときに、なんだ、フランスでは10年以上も前にこのタイプの作品があるじゃないか、と思ったものです。しかも、日本の作家の生真面目で硬直したようなパターンに比べると、パンスマンの作品はもっと大らかでゆるい感じがして、それがとてもよいと思いました。キャンバスには張らずに貼り合わせた痕跡や細かなしわもそのままに展示している点にも惹かれました。
そして、パンスマンに言及するのなら、大御所のクロード・ヴィアラ(Claude Viallat・1936 - )に触れないわけにはいきません。
https://www.wikiart.org/en/claude-viallat/all-works
ヴィアラさんはまだお元気のようですね。最近の回顧的な展覧会だと思われる動画がありました。ヴィアラさんがフランス語で話し、英語の字幕がついています。私には英語もフランス語も堪能な自慢の友人が三人もいますが、彼らなら楽しめそうな動画です。そうでなくても、立体的な彼の作品の形状がよくわかるので、外国語が苦手な方も見てみてください。
https://youtu.be/hpGlaKnEabU
ヴィアラの作品は展示形式は自由ですが、表面に豆型のペイントがパターン模様のように描かれている点では、どの作品も共通しています。それが彼の作品であることを示す象徴になっているのです。
以前にも書いたことがありますが、私がヴィアラの作品でもっとも衝撃を受けたのは、彼の作品の図録にあった写真の、初期の二点の作品です。両方とも屋外で撮影された写真ですが、一点は自然の大きな岩の上に投げ出された布の作品、もう一点は高層アパートの窓と窓から渡されたロープに吊るされた、洗濯物のような作品です。洗濯物の作品は、雨に打たれたせいでしょうか、彼のトレードマークの豆型がにじんでいます。いま、手元に資料がないので、記憶で書いていますが、不正確でしたらごめんなさい。
その後のヴィアラの作品に関しては、私には同じシステムで作られたヴァリエーションのように見えてしまいます。パンスマンの作品に関しても同様で、彼らの方法論が発展性のあるものだとは思えません。それは、いまだから言えることなのかもしれません。
そう思っていたら、パンスマンはその後、さまざまな様式の絵を描いていますね。没後の回顧展でしょうか、最近の動画に次のようなものがあります。
https://www.dutko.com/en/exhibitions/17-jean-pierre-pincemin-jubilation/
ミニマルな作品から、具象絵画まで、いろいろなことをやっていたのですね。機会があったら、「Supports/Surfaces」運動の後のパンスマンの作品を追いかけてみることにします。
そしてフランスの「Supports/Surfaces」運動を想起するなら、忘れてはならないのは李 禹煥さんと同様に、「もの派」の代表的な作家と目される日本の榎倉康二(1942 - 1995)さんの作品です。榎倉康二さんも、平面的な作品を制作していました。
https://www.tokyo-gallery.com/artists/koji-enokura.html
ここで榎倉さんの作品を本格的に論じることは、とてもできません。榎倉さんの平面作品は多義的で、いろいろな要素があります。「もの派」という呼称から、どうしても布や油、パステル・コンテ、アクリル塗料といった支持体や描画材(?)の物質感が目につきますが、前回も書いたように「もの派」は当事者である作家たちが名付けた名称ではありません。布の形状や油の浸透性などが、私たちにとても強烈な印象を残しますが、その布の上のシミの形も重要です。それはまるで、絵画の原点のような普遍性を持っているのです。それはどういう意味かというと、絵画というものが人間の描画行為の前から何かのシミや影のようなものとして存在していたのかもしれない、という根本的な絵画に関する問いかけのことです。そのシミや影を見た誰かが、そこに絵画的なイリュージョンを感じ取ったのかもしれないのです。そんな壮大な構想を感じさせます。
ところで、こんなふうに和紙という素材のこと、支持体のことなどを見ていくと、人それぞれで考えることが違ってくると思います。例えば、ここまで紹介した作品の中で、好きな作品も違うでしょうし、その作品のどこが気に入ったのかも違っていると思います。
私は、既存の絵画の様式を解体した中にも、まだまだ表現の可能性があると思いますが、個人的には木枠やパネルに張ったキャンバスの絵画の中に新たな可能性を感じています。人間が長い時間をかけて到達した様式には、それなりの理由がありますし、そこには大きな領野があるのです。そう思って、今は絵を描いているのですが、それもそうしなければならないと決めてしまっているわけではありません。何ごとも自由に考えることが大切です。
それから、和紙について少し考えてみると、和紙はもともと日本の書や日本画の支持体であったわけですが、現代美術ではその物質性に目が向けられてきたように思います。和紙に絵具を染み込ませたり、顔料を擦り込んだり、という方法で扱うわけです。そこに筆で絵を描いてしまうと、日本画のようになってしまいますから、現代美術の素材としてはそぐわない、ということになります。しかし、内山睦さんのような作品を見ると、そんな思い込みも不要だな、と感じます。幸か不幸か、私たちはすでに日本の伝統的な文化とかなりの距離を持ってしまっています。内山さんのように、自分の表現の素材として和紙を自分の一部にしてしまっている作家もいるのですから、そこには伝統的な日本の和紙とも、現代美術の物質としての和紙とも異なる第三の表現が存在するのかもしれません。
そして最後に、和紙というわけではありませんが、紙を使った興味深い作品を紹介しておきましょう。
それは高村 智恵子(1886 - 1938)の紙絵作品です。高村智恵子は、彫刻家で詩人の高村光太郎(1883 - 1956)の妻でしたが、統合失調症を患い、最後は肺結核で亡くなってしまいました。智恵子が精神病で入院していたときに、光太郎が持ってきた千代紙で紙絵を作るようになり、病床で千数百点もの作品を制作したそうです。どんな作品なのか、ご存知ない方は、次のページを見てください。
https://www.pinterest.jp/uf3msmjy/%E7%B4%99%E7%B5%B5%E9%AB%98%E6%9D%91%E6%99%BA%E6%81%B5%E5%AD%90/
あるいは、このページも・・・。
https://ameblo.jp/meiekikai/entry-11163859190.html
この智恵子の紙絵は、光太郎の妻への思いやりとともに語られることが多いのですが、作品そのものが素晴らしいので、もう少し独立した作品として見たいものです。夫婦のことは当事者でなければわかりませんし、智恵子を統合失調症に追い詰めた原因として夫の光太郎が関係していないということはありえないでしょう。だから智恵子の作品を夫婦の美談の結果として見るのではなく、その造形のアイデアや、あまりに美しい色彩に注目して見てください。私は本物の作品を見たことがありますが、精神を病んでいたとはいえ、とても知的な作品で、それでいて研ぎ澄まされた感性を感じました。
さて、何に絵を描くか、という大雑把な問いだけで、思いつく作品例をあげてみました。厳密な論文であれば、榎倉康二から高村智恵子までを同じ文章の中で取り上げることは無謀でしょう。しかし、美術を見るのなら、まず楽しむことが大切です。もしも取り上げた作家や作品の中で知らないものがあったら、これを機会に興味を持っていただければうれしいです。
絵画は何に描いてもよいし、どんな発想から始めてもよいのです。これらの作品を見て、現在の閉塞的な日常から、少しでも自由な気分になっていただけたら言うことはありません。
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