平らな深み、緩やかな時間

74.『endless 山田正亮の絵画』東京国立近代美術館

 山田正亮(1929 – 2010)の大規模な回顧展が、東京国立近代美術館で開催されています。

山田正亮については、このblogで2013年2月に、二回にわたって書いたことがあります。彼は、私が大学に入って街の画廊をまわるようになった1980年頃、時代を牽引する画家の一人としてかなり注目されていたと思います。ところが、2010年に亡くなられたこともあって、しばらく前からその話題を聞かなくなりました。このまま彼の仕事が忘れ去られてしまうのではもったいないな、と気になっていたところ、美術評論誌『ART TRACE PRESS 02』にその特集が掲載されました。そこで久しぶりに彼について考える機会をえたと思い、自分なりに山田正亮という画家について、あるいは掲載されていた記事についてblogに書きました。それがもう、三、四年も前のことだったのですね。
その文章を見ていただければわかるのですが、実は山田正亮の回顧展は、以前にも国立近代美術館で計画されていたそうです。それがある事情から、頓挫してしまいました。私のような一般的なファンからすれば、もう彼の作品をまとまって見る機会はないのだろう、とあきらめかけていました。それが今回、思いがけず彼の展覧会が開催されることを知り、期待を胸に国立近代美術館に出かけた次第です。

はじめに、山田正亮の作品について、私なりに知っていることを軽く触れておきましょう。
彼の作品のなかでは、横のストライプだけで描かれたタイプのものが、もっとも有名だと思います。というのも東京国立近代美術館で、かなり早い時期から収蔵作品としてそのタイプの作品を見た記憶があるからです。山田の代表的な作品として、美術館がそれを認知していたのだろう、と考えられます。
山田正亮は欧米から輸入されたミニマルな絵画形式を、日本において独自に展開していた画家として、広く知られていたのだと思います。それがおそらく1960年頃の話で、国立近代美術館が所蔵していた縦に長いストライプの作品も、1960年に制作されたもののようです。その後の山田は、さまざまなミニマル絵画の形式を追究していきました。その過程で、横のストライプ形式はいくつかの変遷を経て、規則的なグリッドに分かれるようになりました。作品に使われる色彩もさまざまに変わっていきましたが、1970年代半ばには、彩度をおさえた落ち着いたトーンになったようです。一時期は画面が真っ白になったり、筆やコンテの筆跡があらわに見えたりする作品もありましたが、おおむねストライプやグリッドの形状はそのまま維持されていました。そのグリッド形式を突き崩すような、激しい筆触を見せるようになったのが1980年頃です。私が彼の作品をリアルタイムで見るようになったのが、ちょうどその頃でした。この1980年代という時代は(このblogでも、折に触れて何回も書いてきたことですが)、ミニマルな作品から表現主義的(?)な作品へと、急に美術界が変わった時代でした。一応、その理論的な裏付けとして、モダニズムからポスト・モダニズムへと思想的な背景が変わってきたから・・・、という風に言われることが多いのですが、私にはいまひとつ納得ができません。
それはともかく、フランク・ステラ(Frank Philip Stella 1936 - ) やブライス・マーデン (Brice Marden, 1938 - )といったミニマル・アートの代表的な作家たちの作品が変わってきたのも、まさにその頃で、山田正亮の作品の変化は、そういった動向に呼応するように見えました。当時のことを思い出してみると、例えば単一の色面で絵を描いていた画家が、突然うねるような植物的な形を描いてみたり、切り出した丸太を扱うような不作為な傾向の美術家が、急に神話の動物の形を彫刻してみたり、というふうに何か有機的な形やイメージが降ってわいたように現れた時代でした。私はそういった作品のすべてが悪い、あるいは質が低い、と言うつもりはありません。そのなかでも個人的に興味深い作家もたくさんいます。ただ、それらの傾向が、喧噪と混乱が渦巻くような時代の印象を形作っていたことは、事実だと思います。その状況の中で、山田の作品の変化はかなり生真面目な、ある意味では筋の通ったものに見えました。時代の雰囲気に流された作品が多い中で、彼の変化はモダニズムの行き詰まりを独自の力で打開しようとしている、というふうに感じられたのです。当然のことながら、山田の作品の次の展開がどのようなものなのか、一般的にも注目されていたと思います。例えば1983年のことだったと思いますが、銀座の佐谷画廊で山田正亮の新作展があるというので見に行ったのですが、会期の後半に行ったせいか、すでにパンフレットが売り切れていて、悔しい思いをしたことを憶えています。それだけ人気があった、ということでしょう。もしも若い方がこのblogを読んでくださっていたら、街の画廊で開催されている一人の作家、それもかなり理屈っぽい抽象的な絵を描く画家の展覧会に対し、多くの人が注目し、とりわけ美術を志す若者が渇望感や期待感を持って見に行っていた時代があった、ということを意外に思われるかもしれませんね。当時はインターネットが普及していませんでしたから、お手軽に作品の画像を検索することもできません。美術雑誌やタウン誌、それに口コミで情報を得て、実物の作品を画廊や美術館に見に行くしかなかったのです。

さて、今回の展覧会のことですが、そんな山田の作品をまとまって見ることができるこの機会に、ぜひ確認しておきたいことがありました。それは山田の作品の変遷を通時的に、一同に見る機会がこれまでなかったのですから、それらを見た場合に、現在の視点からどのように見えるのか、ということ。それから、いま落ち着いて山田の作品の一点一点を見た場合に、それらの質がどの程度のものなのか、ということです。
彼の作品の変遷について私が感じていたこと、それは彼が制作上の自然な流れのなかで、具象的な絵画からミニマル絵画の形式に達した、というふうに見えることに対する違和感です。ミニマル・アートというのは、モダニズムの思想の中から生じた、かなり概念的な芸術の傾向だと思います。実際に絵を描いている立場から言うと、いま描いている絵をシンプルに、あるいはストイックにしていくと、自然とミニマル・アートの形式に達する、というものではないと思うのです。ミニマルな画面に近づいていくことはあっても、最後のところでは観念的にならざるをえない、というのが私の考えです。山田の作品の変遷が、具象的な静物画から分析的キュビズムの作品へ、それが抽象表現主義的なオールオーヴァーな画面になって、矩形やストライプ状の画面に達する、というのは自然な制作の流れではなくて、欧米の美術の流れを意識した作為的なものだろう、と思います。
その違和感は、今回の展覧会を見ても、払拭できませんでした。山田の詳細な制作メモやスケッチも展示されていましたが、難しくてよくわかりません。ざっと見たところで、具体的な欧米の美術の影響関係を示すものはありませんでした。彼の作品とは直接結びつかないような、少し距離のある画家や思想家の名前が散見できる程度です。山田は死の直前まで制作ノートの整理をしていたそうです(『山田正亮の絵画』中林和雄/展覧会のカタログより)ので、もしかしたら自分の創作過程が自立した、整合性のあるものになるようにしていたのかもしれません。しかしそれは、彼にはそれだけ作品に対する自立した思考を重んじる傾向があった、と考えるべきでしょう。山田の生きた時代には、その周囲に欧米に渡って現地の新しい芸術の傾向に感化され、帰国してそれを臆面もなくさらけ出しながらも巨匠のように振る舞っていた芸術家たちがたくさんいたはずです。彼らに比べて、こつこつと自分なりの考えを言葉や絵にして紡ぎ出そうとしていた山田の作品が輝いて見えるのは、当然の結果だと思います。
今回の展覧会であらためて私が感じたことは、山田のそのような独自の思考が芸術として本当に花開いたのは、1980年代のミニマル以降の作品においてだった、ということです。そして予想外だったことは、山田の初期の具象的な作品群から後期のミニマル以降の作品群へと、直接つながるような作品の傾向、その筋道が見えたことです。山田自身は、自らの作品の変遷が円環を成すような流れになるものだと考えていたようですが、私が見たところではミニマル・アートの時代を括弧に入れて、直接1950年代半ばから1980年代をつないでみると、彼のオリジナリティーがくっきりと見えてくるように思いました。それは作品の形式を越えて、山田が絵画の構造的なことや、絵を描くという行為についてどのように考えて表現していったのか、という興味深い問題につながります。その問題はまぎれもなく現在の絵画の課題でもあり、継続して考えていかなくてはならないことだと思います。ですから、これからもじっくりと彼の絵画を参照しながら、じっくりと考えていきたいと思います。

さて、一方で彼の作品の質に関することです。これもここまでの話と関連することなのですが、私は正直に言って彼の初期の具象絵画の作品群について、ほとんど期待していませんでした。いままで何点かの作品を見てきましたが、そのときも古くさくて感覚の鈍い、不器用な絵だな、というぐらいにしか見ていなかったのです。しかし今回の展覧会では、予想以上によい作品がありました。とくに数少ない風景画が、やや観念的な静物画に比べると、空間の扱い方に触覚的な実感があってよかったと思います。その触覚性が1983年から1986年にかけての最も優れた作品へとつながっていったと思います。結果的に、その間にはさまっているミニマル絵画の作品群が、やはりちょっと見ていてつらい感じがしました。山田正亮は、決して器用な画家でも上手な画家でもないと思います。しかし画面に触れる触覚性については、鋭敏なところがありました。それがミニマルな絵画の時期には、かなり無理をしてその形式の枠のなかで仕事をしていたのだと思います。彼のミニマル絵画が、他の画家たちと違って妙に絵画的で、絵の具の手触り感がはっきりと見えてくるのは、そのせいでしょう。例えば彼のストライプの作品を見ると、紙の上に描かれた作品の方が紙の質感や平面性が感じられて、すんなりと腑に落ちるような気がします。タブロー作品になると、どういう絵画空間を彼が形成したかったのか、今ひとつわからないところがあります。
今回の展覧会で、作品の質という点でもっとも収穫があったのは、先ほどから書いている1983年から1986年にかけての作品の、質の高さと独自性を再認識できたところです。実は1983年と1986年の大きいタブロー作品は、1点ずつしかありません。その点が物足りなく、残念なところではありますが、しかしその両方とも内容が充実していて、素晴らしい作品でした。ミニマル絵画のグリッドを突き崩すというモチベーションが、自然と作品の質を高めていったのかもしれません。このグリッドにまつわる手法ですが、当時はそれほど奇異な感じはしませんでしたが、いまから考えると例えばミニマル絵画以降のブライス・マーデンのように、一気にオールオーヴァーな画面へと突き進んだ方が合理的に見えます。このグリッドを一度描いたうえで、その一部を消したり、上から描き直したりする手法は、山田が独自に理論を突き詰めていった結果、半ば謎解きのゲームのようにして生み出された手法でしょう。見ようによっては観念的な思いつきに過ぎないようにも思えますが、画面上に引かれたグリッドのラインを浸食する絵筆の勢いが、良質のダイナミズムを作品に与えていて、思考と行為がみごとに結びついていることがわかるのです。それを可能にしているのが、山田の知性と触覚性なのです。できればこの時期の作品を一堂に集めた展覧会も、企画していただきたいものだと思います。

このように、山田正亮という画家の解釈は一筋縄ではいきません。この画家の作品の変遷をじっくりと見ていけば、さらに不可解な発見がありそうです。
これも以前のblogに書いたことですが、『ART TRACE PRESS 02』のなかで、評論家の峯村敏明が「山田正亮を括弧でくくってみませんか」という興味深いエッセイを寄稿しています。私たちは、大きな美術館で回顧展が開催されるような画家をすぐに神格化して、簡単に批判できないようなところへとまつりあげてしまいがちです。その一方で、芸術の本質とはあまり関係のないスキャンダルでもあれば、必要以上にその画家を貶めてしまいます。そんなことを繰り返していては、同時代の芸術家を適切に評価したり、論じたりすることはできません。もっともっと私たちの身近にいる、必ずしも評価の定まっていない芸術家たちを話題にし、展覧会を開催して、注目していくことが必要なのではないでしょうか。峯村が言うように、「括弧」でくくっても構わないので、とにかく論じることが大切なのです。
・・・・という気持ちで書いてみたのですが、ちょっと文章がまとまらなかったみたいで、すみません。これに懲りずに、来年からも下手な文章をつづります。よかったら、読んでみてください。

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