平らな深み、緩やかな時間

158. Billie Holiday『Strange Fruit』、ウィリアム・ブレイク『無垢の歌』

前々回のボブ・ディラン(Bob Dylan、1941 - )の『風に吹かれて(Blowin' in the Wind)』、前回のサム・クック(Sam Cooke、1931 - 1964)の『A Change is Gonna Come』に続いて、人間の平等を訴える歌として、今回はビリー・ホリデイ(Billie Holiday, 1915 - 1959)の『奇妙な果実(Strange Fruit)』を取り上げます。
前回に続いてピーター・バラカン(Peter Barakan、1951 - )の『ロックの英詞を読む 世界を変える歌』を参照しますが、よく考えてみるとビリー・ホリデイはロック歌手とは言えません。サラ・ヴォーン(Sarah Vaughan、1924 - 1990)やエラ・フィッツジェラルド(Ella Jane Fitzgerald、1917 - 1996)と並ぶ偉大なジャズ・ボーカリストですが、その業績はジャンルを超えていて、2000年にロックの殿堂入りを果たしているようです。
ビリー・ホリデイは麻薬やアルコール中毒に苦しみ、若くして亡くなってしまいますが、彼女が歌った『奇妙な果実』はアメリカの人種差別を告発する歌として、古典的な作品となっています。この歌は彼女が作った歌ではなく、ピーター・バラカンによれば「エイブル・ミーロポルというニューヨークのユダヤ系の学校の教師が、ルイス・アレンという筆名で37年に詩として出版したもの」で、作曲もルイス・アレンがしたのだそうです。それをビリーが歌うことで大きな意味を持ったのですが、それは後で触れることにします。
その前に、この歌を知らない方は、次のホームページを参照してみてください。

「ビリー・ホリデイ- 奇妙な果実とその背景(Strange Fruit)」
https://note.com/artoday/n/ncc45fdbcd584

もうお分かりだと思いますが、「奇妙な果実」というのは、リンチにあって虐殺され、木に吊りさげられた黒人の死体のことです。ちゃんとした絞首台で死刑にされたわけではなく、生えている木に死体が吊るされているので、「奇妙な果実」だというわけです。それだけでもショッキングなことですが、ピーター・バラカンは次のように語り出します。

ボブ・ディランのアルバムHighway 61 Revisited(1965年)に収録された“Desolation Row”(「廃墟の街」)という曲の出だしに、They’re selling postcards of the hanging(絞首刑の絵はがきを奴らは売っている)という歌詞がありますが、14歳の頃、初めて聴いたときには何のことを言っているのか、まったく分かりませんでした。だいぶあとになって知ったことですが、これは「南部では昔、黒人をリンチしたときの写真を載せた絵はがきが売られていた」というアメリカではよく知られていた事実について歌ったものです。
1950年代にロンドンで生まれ、少年時代を送った僕は、アメリカ南部で黒人が差別されているということは聞いていたかもしれませんが、黒人が人間扱いされず、非人道的理由で白人にリンチされていたことなど、まったく知りませんでした。
ビリー・ホリデイの“Strange Fruit”は、その差別をより直截的に表現しています。39年に発表されて以来、彼女が歌う「飛びだした目、歪んだ口」「縄につるされて皮膚が焼けこげる匂い」という歌詞は、聴き手を驚がくさせ続けてきました。もちろん、僕も初めて聴いたときに衝撃を受けたことを覚えています。
(『ロックの英詞を読む 世界を変える歌』ピーター・バラカン)

遺体が無造作に木に吊るされていることだけでも衝撃的なことですが、その様子を写真に撮って絵はがきとして売る、というのはどういう心境なのでしょうか。いまの私たちには想像もできませんが、その光景を歌った部分が『奇妙な果実』のはじめの一節です。

Southern trees bear strange fruit,
Blood on the leaves and blood at the root,
Black bodies swinging in the southern breeze,
Strange fruit hanging from the poplar trees.

この一節について、ピーター・バラカンは次のように解説しています。

1分9秒も続く、スロー・テンポのかなり長いイントロのあとビリーは歌い出します。1行目のbearは、実などが「なる」という意味。このa strange fruitとはもちろん、リンチを受けたあとの死体のことです。1行目と2行目、そして3行目と4行目の最後に置かれた単語の音に注目してほしいのですが、この歌は全体としてきれいな韻が踏まれています。
(『ロックの英詞を読む 世界を変える歌』ピーター・バラカン)

このように指摘されて歌詞の全体を見ると、2行ごとにすべての末尾が韻を踏んでいることに気がつきます。そして、単純な言葉の積み重ねである短い歌詞なのですが、それを解釈するとなると、けっこう複雑な意味を持っていることがわかります。

Here is a fruit for the crows to pluck,
For the rain to gather, for the wind to suck,
For the sun to rot, for the trees to drop,
Here is a strange and bitter crop.

例えばこの歌の最後の一節について、ピーター・バラカンの解説を見てみましょう。

この部分は、非常に詩的な表現が使われています。出だしのHere is a fruitは、2行目以降にもかかっていき、Here is a fruit For the rain to gather・・・となるのですが、一般的な英語の言い方ではないので、解釈に幅があると思います。2行目のsuckは「吸う」という意味ですが、「風が果実を吸う」というのは少し変ですから、「風が果実にあたる」くらいの意味でしょうか。もちろん、前の行のpluck(つつく)に合わせて韻を踏むためsuckを使っているのは明らかです。詩などの言語芸術で、効果を高めるために文法や論理などの逸脱を許すpoetic licenseという言葉が英語にはありますが、この部分はそれにあたります。
(『ロックの英詞を読む 世界を変える歌』ピーター・バラカン)

日本語の詩でも意味が分からないものが多いのですが、それが英語で書かれたものとなると、その表現を味わうのは容易なことではありません。詩においては普段使わないような言い回しや、かんたんに意味が取れないような言葉を意図的に使うことがありますが、英語の詩作品にあっても頻繁にそういうことが行われているということでしょう。そのような詩的な言葉遣いと日常的な言葉との距離感が分からないと、本当の意味で詩の表現を味わうことなどできないでしょう。
それにしても、人種差別がなくならない状況下にあって、ビリーはこのような歌を歌って大丈夫だったのでしょうか、心配になります。そのあたりの事情について、ピーター・バラカンの解説を紐解いてみましょう。

30年代の終わり頃、ビリー・ホリデイは、ニューヨークのダウンタウンにあるカフェ・ソサイエティでよく歌っていました。リベラルな人が集うたまり場でもあったそのカフェで、ビリーはこの“Strange Fruit”を紹介されます。南部で経験する自身の差別体験について強い問題意識を持っていた彼女は、この曲を自分が歌うと言いだします。
ビリーが初めてこれを歌ったとき、白人中心だったカフェの客層はみんなご飯を食べたりお酒を飲んだり、リラックスして音楽を聴いているところでしたが、ビリーがアンコールでこの曲を歌い始めると、シーンと静まりかえって飲食の音も止まったそうです。
歌い終わったあとは、しばらく拍手もありません。本人は「失敗したかなぁ」と思うくらいだったそうですが、しばらくして「わー」と大きな歓声と拍手が湧きあがります。この曲はあっという間に話題になり、これを聞くために毎日このカフェに通う人も出てくるという、ちょっとした現象のようなものにまで発展したと伝えられています。
当時彼女は、コロムビア・レコードに所属していて、制作を担当していたのは伝説のプロデューサー、ジョン・ハモンドです。しかし、ハモンドは、ビリーがこのような政治的な歌を歌うべきではないと考え、レコードにして出すことを渋ります。大手レコード会社のコロムビアは、このような前例のない過激な内容の曲に対する南部のレコード店やラジオ局の反応を危惧したわけです。
しかし、この曲を歌うことに意義を感じていた彼女は、38年に設立された新興のコモドアというインディ・レーベルに話を持ちかけます。ビリーが社長のミルト・ゲイブラーの前でこの歌をアカペラで歌うと、彼は涙を流したというエピソードも残っています。結局、“Strange Fruit”は、コモドアから発表され、ビリー最大のヒット曲となり、彼女はアメリカを代表するシンガーとしての名声を確固たるものにします。
(『ロックの英詞を読む 世界を変える歌』ピーター・バラカン)

このように、人種差別が根強く残るなかでも、『奇妙な果実』という過激な歌を受け容れる余地があるのが、アメリカという国の大きさなのでしょう。日本のような同調圧力の強い島国に住んでいると、その広さと多様さに驚きますが、そこが興味深い所でもあります。
そして大歌手になったビリー・ホリデイですが、麻薬やアルコールに溺れて44歳の若さで亡くなってしまいます。40代の前半と言えば、今では青年期の延長のような年代ですが、ビリーの晩年はまさに老成期と言っていいような凄味があります。ビリーは死の前年に『レディ・イン・サテン』という名盤を残していますが、その一曲目の『恋は愚かと言うけれど(I'm A Fool To Want You)』では、若い頃のチャーミングな歌声とは別人のような渋い歌唱を聴かせます。

Billie Holiday - I'm A Fool To Want You
https://www.youtube.com/watch?v=s6TloBGyxIM

さて、そんなビリー・ホリデイの晩年の時期に、バックでピアノを弾いていたのがマル・ウォルドロン(Mal Waldron、1925 - 2002)というピアニストです。先にご紹介した『奇妙な果実』に映っていたのもマル・ウォルドロンだと思います。そして、ビリーが作詞し、マルが作曲した曲に『Left Alone』という名曲があります。これはビリーが死去する数カ月前に録音されたそうですが、タイトルからビリーへの思いを感じる切ない曲です。ビリーが作詞した曲ですが、この録音ではジャッキー・マクリーン(Jackie McLean、1931 - 2006)がアルト・サックスで旋律を吹いています。私がこの二人の名前を初めて見たのは、チャールズ・ミンガス(Charles Mingus、1922 - 1979)の『直立猿人(Pithecanthropus Erectus)』(1956)というアナログ・レコードのジャケットでした。ミンガスの先進的な作曲によるモダン・ジャズの名盤に参加したピアニストとサックス・プレーヤーが、ここでも共演しているわけです。『Left Alone』を聴いたことがない方は、ぜひこの名演を聴いてみてください。モダン・ジャズが苦手な方でも、何か心に響くものがあると思います。

Left Alone · Mal Waldron
https://www.youtube.com/watch?v=xUoQCaCeevM

このビリー・ホリデイの『奇妙な果実』ですが、これは誰もが知っているべき重要な曲だと私は思います。しかし、芸術作品に込められたメッセージとしては、とても重くて暗いものなので、常に聴きたくなる音楽というわけではないと思います。
できれば、次回はもう少し明るいメッセージについて、考えてみたいと思います。

さて、今回は前回取り上げた『フランシス・ベーコン バリー・ジュール・コレクションによる』という展覧会と同時に開催されていた、『コレクション展 イギリス・アイルランドの美術—描かれた物語』で作品が多数展示されていたウィリアム・ブレイク(William Blake, 1757 - 1827)の詩を読んでみたいと思います。
ウィリアム・ブレイクの絵画や版画作品を目にする機会は結構多いのですが、私は彼の絵を見ると、ちょっと物足りない気持ちになります。彼はイギリスの詩人、画家、銅版画職人であったのですが、その絵画作品は絵として独立しているのではなく、彼の詩の世界と共鳴しながら存在していると思うのです。ところが文学に疎い私には、彼の詩の世界が理解できていません。そこで何か機会があれば、彼の詩を読んでみたいと思っていたところ、この展覧会を見た後で、作家の池澤夏樹(1945 - )と池澤春菜(1975 - )の親子がウィリアム・ブレイクの『無垢の歌(Songs of Innocence)』を翻訳していることを知りました。これはよい機会だな、と思い、ブレイクの詩の世界の一端に触れてみようと考えたのです。
そのようなわけで、ブレイクの『無垢の歌』の原文がないかと調べてみると、インターネットで容易に読むことができます。興味のある方は、例えば次のページをご覧ください。

「ウィリアム・ブレイクの詩とイラストの世界」
https://blake.hix05.com/index.html

さて、詩を読む前にウィリアム・ブレイクとはどんな人なのか、少しだけ見ておきましょう。
神奈川県立近代美術館は『コレクション展 イギリス・アイルランドの美術—描かれた物語』のなかで、ブレイクの展示について次のように説明しています。
「詩人でもあり、イギリス最大の幻想画家ともいわれるウィリアム・ブレイク。詩と絵が融合した美しい版画や印刷物をつくりあげ、20世紀の芸術家に多大な影響を与えました。代表作『夜想』、『ヨブ記』、『神曲』から約20点の版画を紹介し、テキストとイメージが奏でる豊穣な世界をご覧いただきます。」
http://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2020_collection3

版画作品で見ると、ブレイクの世界は神話的、宗教的であり、そして幻想的でもあります。先ほども書いたように、独立した絵画作品というよりは、彼の世界観を視覚的に表現するために絵画や版画を制作したように見えます。彼の詩がどんな詩で、それが絵画作品とどう結びついているのか、簡単には説明できないのでしょうが、今回の『無垢の歌』の解説で、池澤夏樹は次のように書いています。

シェイクスピアは生涯で三万四千語の語彙を用いたとされ、その中にはラテン語系の言葉もわざと交えて多彩な文体を目指した。異化作用の効果を知っていたし造語も多かった。「マクベス」の中で彼が手についた殺人の血が洗い落とせないと嘆く場面で

The multitudinous seas incarnadine,
Making the green one red.

と敢えて大げさな言いかたをして妻にたしなめられる。松岡和子の訳によれば「七つの海を朱(あけ)に染め、青い海原を真紅に変えるだろう」(二幕一場)。
それに対してブレイクが用いたのは二万語ほど。日常遣いの言葉ばかりだ。彼は新しい技法による版画家でもあって、その技法は当時の絵画界の主流とは無縁な、言わばアール・ブリュットのような自由勝手で奔放なものだった。それを自作の詩と組み合わせてタブローに仕立てた。
王侯貴族に近づかず、教会などの権威に依らない生き方を貫き、個人としての信仰を貫いた。その先に幻想と神秘主義が来る。
(『無垢の歌』「解説」池澤夏樹)

ここに書かれている「アール・ブリュット(art brut)」ですが、これはフランス語で「生の芸術」を意味するものです。幼児や障がいのある方の芸術というような意味合いで使われることが多く、最近ではそのような関連の展覧会を見ることが多いような気がします。つまり、正規の美術教育を受けていない人たちによる直接的な表現の作品として、広く愛好されているのだと思います。ブレイクの版画作品を「アール・ブリュット」と言ってしまうには技術的に高過ぎると思うのですが、ブレイクの奔放さやその芸術の質が「生の芸術」と共通するものがある、と池澤夏樹は言いたいのでしょう。
なお、今回の『無垢の歌』の詩集は、「まえがき」と「無垢の歌」の各詩篇の翻訳を春菜が担当し、春菜が翻訳した詩の解説を父の夏樹が担当しています。また、夏樹はその後に添えられた「経験の歌」の詩篇の翻訳と解説、そして本全体の「解説」も書いています。
何だかうらやましい親子の共同作業ですね。ちなみに池澤夏樹の父親は『廃市』などの小説を書いたり、ボードレールに関する批評を書いたりした福永武彦(1918 - 1979)です。池澤という姓は再婚した母親の夫、つまり継父の姓で、池澤夏樹は子供時代に自分の実父が福永武彦であることを知らなかったそうです。ともあれ、親子三代にわたって文学者であるわけですから、そういう優れた血筋なのだと思わざるを得ません。そしてどうでもいいことですが、池澤夏樹は私の高校の先輩にあたる人のようです。もちろんそれだけの話で、それ以外の縁もゆかりもないのですが・・・。
それでは、具体的な詩と、その解説を覗いてみましょう。短い詩篇なので、全部書き写すのは気が引けます。なるべく、部分的に引用することにします。

“The Echoing Green”

  The sun does arise,
  And make happy the skies;
  The merry bells ring
  To welcome the Spring;
  The skylark and thrush,
  The birds of the bush,
  Sing louder around
  To the bells' cheerful sound;
  While our sports shall be seen
  On the echoing green.

  Old John, with white hair,
  Does laugh away care,
  Sitting under the oak,
  Among the old folk.
  They laugh at our play,
  And soon they all say,
  'Such, such were the joys
  When we all--girls and boys -
  In our youth-time were seen
  On the echoing green.'

・・・・・


『こだまの丘で(The Echoing Green)』

お日様はのぼり
空はうらうら
陽気な鐘の音
春が来たよ
空にはヒバリ
それからツグミ
藪には小鳥
大きな声で歌ってる
素敵な鐘の音にあわせて
ぼくらは遊ぶ
こだまの丘で

真っ白い髪の、おじいちゃんジョン
陽気に笑う、苦労も忘れて
樫の木陰に座る
おじいちゃん、おばあちゃん
みんな、ぼくらを見て笑ってる
でもって、言うんだ
「ああ、ほんとに楽しかったな
わしらみんな、子供だった頃
こんな風にして遊んだものだよ
こだまの丘で」

・・・・・

(池澤夏樹の解説)
幸福という言葉を情景として詩にすればこうなるだろう。
緑の野で日がな一日ずっと遊んで遊び疲れる子供たち。
それを見て自分の幼い頃を思い出す老人。
舞台は都会ではなく田舎の丘。
ブレイクに煤けたロンドンを嫌う傾向がある。
(『無垢の歌』「こだまの丘で」ウィリアム・ブレイク 池澤春菜/訳 池澤夏樹/解説)

何気ない春の日を歌った詩ですが、老人が登場するところがミソでしょうか。老人の回想によって、無垢な子供とさまざまな経験を積んだ老人という対比が、私たちを深いところへと連れていきます。そのことによって、「無垢」であるということの意味が私たちの内面へ浸透していくように感じられるのです。先ほども参照した本全体の「解説」で、「無垢」という言葉の意味について池澤夏樹は次のように書いています。

無垢とは何か。
イノセンス、語源はラテン語で「傷がない」の意。
人は無垢で生まれるが、生きているうちに経験を通じていろいろな傷を負う。傷跡が増えてゆく。他人に対して意地悪をして、それはそのまま当人の心の傷になる。
この考え方はたぶんキリスト教に特有のものだ。だから無垢の象徴として幼い子羊があり、聖母は男を知らぬまま子を宿された。
人は無垢の状態で生まれ、濁世で暮らすうちに汚れるから、浄化の過程を経ないと天国に行けない。その無垢の幸福感とそれが失われた跡がウィリアム・ブレイクの『無垢の歌』と『経験の歌』の二つの詩集で対比される。
(『無垢の歌』「解説」池澤夏樹)

この「イノセンス」という言葉の意味は、たぶん、キリスト教徒ではない私にはよくわからないニュアンスが含まれているのだろう、と思います。「カトリック」に反発して「プロテスタント」、「ピューリタン」という概念が生まれたように、キリスト教においては清純であることに独特のこだわりがあります。私にはそのような宗教や歴史に関することはさっぱりわからないものの、中学生の時にポール・サイモン(Paul Simon、1941 - )の『アメリカの歌(American Tune)』を聴いて、アメリカという国はメイフラワー号で海を渡ったピューリタンの国であり、彼らはそのことに深くこだわっているのだな、とあらためて知ったのでした。
a https://www.youtube.com/watch?v=2FDT-7dfoqQ
そして、美術評論家の宮川淳(1933 - 1977)によって、その後の私はアメリカの現代美術がピューリタンの国であることに深く規定されていることを知りました。そのことについては以前に書いたことがありますが、またいずれかの機会にくわしく書くことにしましょう。
ちょっと脱線しました。話をウィリアム・ブレイクに戻します。ウィリアム・ブレイクはこの詩集の中で、黒人の差別についても書いています。それは次の詩です。

“The Little Black Boy”

  My mother bore me in the southern wild,
  And I am black, but O my soul is white!
  White as an angel is the English child,
  But I am black, as if bereaved of light.

  My mother taught me underneath a tree,
  And, sitting down before the heat of day,
  She took me on her lap and kissed me,
  And, pointing to the East, began to say:

  'Look on the rising sun: there God does live,
  And gives His light, and gives His heat away,
  And flowers and trees and beasts and men receive
  Comfort in morning, joy in the noonday.


『小さな黒い男の子(The Little Black Boy)』

ぼくのお母さんは、南の荒れ地でぼくを産んだの
だからぼくは真っ黒、でも魂は真っ白
イギリスの子供たちは天使みたいに真っ白だけど
ぼくは黒い、まるで光を喪ったように

ぼくのお母さんは、木陰でぼくに教えてくれたの
まだ暑くなる前に、そこに腰掛けて
ぼくをお膝の上に乗せて、キスをして
東の方を指さして、こう言った

「見て、お日様が昇る。あそこに神様がいらっしゃる
光を放って、すみずみまで温めてくださる
だから、花も木も動物たちも、私たち人も
心地よい朝と、楽しい昼間を迎えられるの」

・・・・・

(池澤夏樹の解説)
18世紀のこの時期に肌の色による差別をここまで理解していたブレイクに感嘆する。
麻の衣類などは初めは白く、次第に汚れて黒ずんでくる。同じことを人間に当てはめてしまえば黒い方が劣っているということになる。ブレイクは「南」という言葉によって「黒」という単語の意味を根源に戻って訂正する。
『無垢の歌』の刊行は1789年、ウィリアム・ウィルバーフォースの活動によってイギリスで奴隷貿易が禁止されたのは1806年のことだった。
(『無垢の歌』「小さな黒い男の子」ウィリアム・ブレイク 池澤春菜/訳 池澤夏樹/解説)

私には18世紀の人たちが肌の色について、どのような認識を持っていたのかわからないので確かなことは言えませんが、「黒」という言葉の意味を「南」という言葉で、つまり差別用語をたんなる方角の違いとして「訂正」したのだとしたら、言葉の持つ力というのは素晴らしく、かつ微妙なものだな、と感心してしまいます。そして、その意味の変換を読みとる力を求められているのだとしたら、私などはもっと勉強する必要があります。

このように、全部読んでも20分ぐらいで読み終えてしまう詩集ですが、そこに含まれている意味ははかり知れません。しかしそれでも、ウィリアム・ブレイクという大詩人の一冊の詩集に過ぎないのです。この詩人について知りたいのなら、もう少し彼の詩を読み込まなくてはなりません。
厖大な本を読み、知の領域を横断する松岡正剛(1944 - )が、『松岡正剛の千夜千冊』のなかでウィリアム・ブレイクについてこんなことを書いています。

ウィリアム・ブレイクをたんなる神秘主義者に見たり、幻視者などと見てはいけない。ふっふっふ、ブレイクはたいそうな激辛なのである。そのうえで揶揄の天才であって、かつまた夜想者(夜陰の紛れ者)なのである。ぼくが子供にこそ見せたいと思ってきた『天国の門』の口絵には芋虫がいて、その下に「人間とは何か」に始まる詩句がきざまれた。
 もっとはっきりいえば、世界最初のキリスト教無神論者なのである。ぐっぐっぐ、ブレイクは三位一体を否定し、そのくせつねにイエスの内側に立ったのだ。ブレイクは歴史を錯誤する者なのだ。
(『ウィリアム・ブレイク 無心の歌・有心の歌』松岡正剛)
https://1000ya.isis.ne.jp/0742.html

松岡正剛のこのような理解に達するためには、もっとウィリアム・ブレイクの他の詩集も読み込まなくてはなりません。もちろん、読んだところでこの松岡の評価が理解できるのかどうか、私にはまったく自信がありませんが、とりあえず、今後ブレイクを読むときには、この批評を心に留めておくことにしましょう。

さて、一人の西欧の詩人について知るには、言葉、思想、宗教などの壁があり、その壁をよじ登ると見晴らしのよい景色が見えてきて、それがさまざまな思想家や芸術家と繋がっていく様が理解できるのでしょう。まだまだ私は壁の下の方にいますが、少しずつよじ登っていくことにしましょう。
今回はウィリアム・ブレイクに関する、その第一歩ということにしたいと思います。

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