平らな深み、緩やかな時間

157. Sam Cooke『A Change is Gonna Come』、『川西 紗実 展』、『フランシス・ベーコン展』について

前回のボブ・ディラン(Bob Dylan、1941 - )の『風に吹かれて(Blowin' in the Wind)』(1962)からの引き続きで、ピーター・バラカン(Peter Barakan、1951 - )の解説を手掛かりに英語の歌詞を見ていきましょう。それから最近、見ることができた展覧会について書いてみたいと思います。

まず、『風に吹かれて』から引き続きということで、サム・クック(Sam Cooke、1931 - 1964)の『A Change is Gonna Come』を取り上げます。この曲を聴いたことがない方は、次のホームページを開いて見てください。
(https://www.udiscovermusic.jp/udiscoverlist/best-sam-cooke-songs)
サム・クックの代表曲を順番に紹介していますので、上から聴いていってもよいのですが、とりあえず一番下に『A Change is Gonna Come』の動画があります。また、この歌の歌詞については、次のホームページを開いて見てください。
(https://tortoiz-store.net/2017/01/31/post-4213/)
ここまでのところで、だいたいご理解いただいたと思ますが、この『A Change is Gonna Come』は『風に吹かれて』に触発されて書かれた歌なのです。その内容を見ていく前に、サム・クックがどういう人なのか、ピーター・バラカンの『ロックの英詞を読む 世界を変える歌』(2016)の解説を見てみましょう。

サム・クックは、ゴスペルの世界でスターになり、それからポップ・ミュージックに転身した人物です。1950-60年代のアメリカでは、ゴスペルは依然として宗教音楽であり、ポップ・ソングを歌うことは敬虔なキリスト教信者からは「裏切り」のように捉えられることもありました。
サムはどうしてもポップ・シンガーになりたかったのですが、所属していたスペシャルティ・レコードはゴスペル市場をしっかりとつかんでいて、彼は自由をなかなか与えられませんでした。スペシャルティの社長アート・ループは、サムがポップ・ソングを歌うことでゴスペルのファンたちが離れてしまうことを危惧したのです。
それでも、なんとかソロ・シンガーとしてデビューした彼は、ヒューゴ&ルイージというふたりのイタリア系プロデューサーと組み、ヒット曲を連発します。甘いストリングズを多用する編曲は売れるための手段にも聞こえますが、白人にアピールすることも考えていたサムはそのあたりを納得していて、決して嫌ってはいなかったようです。
(『ロックの英詞を読む 世界を変える歌』ピーター・バラカン)

このあたりのことは、はじめに開いていただいたホームページの曲を聴いていただくとだいたいの感じがつかめると思います。サムはゴスペル時代にソウル・スターラーズというグループで歌っていましたが、『Touch the Hem of His Garment』はその代表曲です。ポップ・ソングとしてのヒット曲は『You Send Me』に始まり、『(What A) Wonderful World』などがありますが、いろいろな人が彼の曲をカバーしているので、いずれかの歌をどこかで聴いたことがあるのではないでしょうか。それからアップテンポの『Twistin’ the Night Away』、最高にかっこいい『Shake』など、軽めのラブソングからビートの効いた曲まで、歌のうまさが光りますし、甘さとハスキーさを兼ね備えた声も魅力的です。これがライブとなると、その後のロックン・ローラーへの影響を感じさせるようなシャウトが聴かれます。とにかく、何を歌っても超一流の人なのです。
そんなサムがどうして『A Change is Gonna Come』のような、重たいメッセージの曲を歌ったのか、ピーター・バラカンはその背景を次のように書いています。

黒人のみならず、白人の支持も獲得していったサム・クックでしたが、60年代になっても、アメリカの南部では黒人はホテルなどの宿泊施設に泊まることができず、個人的に黒人家庭に泊めてもらうのが普通でした。あからさまな差別が存在していたわけです。自分で音楽出版社を興し、曲の著作権を管理し、レーベルも立ち上げた彼が、次第にアメリカの黒人としての人権意識に目覚めていくのは必然だったのかもしれません。
(『ロックの英詞を読む 世界を変える歌』ピーター・バラカン)

このホテルの宿泊の話ですが、人気絶頂期のジャズ・ピアニストにして歌手のナット・キング・コール(Nat King Cole、1919 - 1965)が、ホテルのショーに出演するのに白人客とは別の通用口から出入りしなくてはならなかった、という話を聞いたことがあります。
そして、『A Change is Gonna Come』は、次のような事情から書かれました。

この『A Change is Gonna Come』は、ボブ・ディランの『Blowin' in the Wind(風に吹かれて)』を聴いて衝撃を受けた彼が、「白人の若者でもこんな歌が作れるのに、なぜ黒人にできないのか」と考え、書いた曲だと伝えられています。人種を理由として自身が逮捕された経験など、過去の人種差別の体験をふまえ、「ようやくこの日がきて、これから何かが変わるに違いない」という希望に満ちた予感を歌っています。1960年代にアメリカで起こった公民権運動の愛唱歌のひとつになりました。
(『ロックの英詞を読む 世界を変える歌』ピーター・バラカン)

「公民権運動」については、前回、解説しました。何かが変わる、という予感を、平等を求める黒人も白人も共通して持っていた時期だったのです。
それでは、具体的な歌詞に関するピーター・バラカンの解説を拾っていきましょう。

I was born by the river in a little tent
Oh and just like the river I’ve been running ever since
It’s been a long, a long time coming
But I know a change gonna come, oh yes it will

1行目のriver(川)ですが、サム・クックは、ミシシピ州生まれですから、the riverはミシシピ川を指すのかもしれません。2行目のrunningは川が流れることと、走ることをかけています。基本的にこの歌は、前半の2行でこれまでの人生経験を語り、後半の2行で「変化が起きるに違いない」という歌詞を繰り返すというパターンです。
(『ロックの英詞を読む 世界を変える歌』ピーター・バラカン)

I go to the movie and I go downtown
Somebody keep telling me don’t hang around
It’s been a long, a long time coming
But I know a change gonna come, oh yes it will

2行目のdon’t hang around(うろうろするな)と言うのはもちろん、白人でしょう。
(『ロックの英詞を読む 世界を変える歌』ピーター・バラカン)

これらの部分から想像できるのは、どんな世界でしょうか。
川べりの小さなテントで生まれた男がいて、その人生は川の流れのように、ただ走り続けていた、そんな貧しい黒人男性の生活をイメージさせます。ダウンタウンに映画を見に行けば、おい、うろうろするなよ、と白人が声をかけてくる・・・。先程の部分との繋がりで読んでいくと、貧しくて、懸命に生きている男がいて、たまに映画でも見に行くと白人から追いはらわれる、という悲惨さが短い歌詞の中で歌われているのです。
そしてピーター・バラカンが指摘しているように、厳しい生活が歌われた後で、何かが変わる予感がする、ということが書かれています。この繰り返しの部分は、歌の形式としても完璧なものですが、それが形式上のことだけではなく、繰り返されることで説得力を生んでいるところが、ボブ・ディランの『風に吹かれて』と同じだと思います。形式化することの必然性と、そこから生じる強さのようなものが共通するのです。
サム・クックは、ボブ・ディランの歌に触発されて、ただ人種差別を告発する歌を作っただけではなく、歌の形式のクオリティーにおいても負けない作品を書いたのだと思います。それも、ぼそぼそっと歌うディランのスタイルに対し、サム・クックはゴスペル歌手としての経験を生かして、何とも雄大な歌に仕上げてみせたのです。私ははじめてこの歌を聴いたとき、雄大な川の流れのような、ゆったりとした解放感を覚えました。浅はかな私には、『風に吹かれて』と比較して聴く、などということは思いもしませんでした。
そしてピーター・バラカンは、サム・クックの歌をどのように聴いたのでしょうか。彼のまとめの部分を読んでみましょう。

僕が初めて聴いたサム・クックは『Another Saturday Night』だったと記憶しています。63年に出たこの曲は、イギリスのラジオでよくかかっていました。彼のメリズマ(melisma)にあふれるスタイルは、彼が作って広めたようなものです。ゴスペル歌手に特徴的なあの「こぶし」をさらに工夫した独自の歌い方は、天才的なものだと思います。エアロン・ネヴィルなどのちに続くミュージシャンに大きな影響を与えています。
この『A Change is Gonna Come』は、オーティス・レディング、アリーサ・フランクリン、アル・グリーンなどもカヴァーしているので聴き比べてみるのも面白いと思います。
(『ロックの英詞を読む 世界を変える歌』ピーター・バラカン)

メリズマ (melisma) とは、もともと1音節に対して1音符で作曲された部分(シラブル様式)に、2つ以上の音符を用いて歌うことを言うのだそうです。要するに、ひとつの音節にこぶしをつけながら朗々と歌うスタイルのことですね。ネヴィルブラザーズのエアロンの歌を聴くと、わかりやすいと思います。
それでは、ピーター・バラカンが聴き比べを推奨している人たちと、サム・クックの影響を受けたというエアロンの歌唱のリンクを貼っておきますので、よかったら聴いてみてください。

オーティス・レディング(Otis Ray Redding Jr.、1941 - 1967)
(https://www.youtube.com/watch?v=eQPUTMU4Lho)
アリーサ・フランクリン(Aretha Franklin、1942 - 2018)※日本の普通のカタカナ表記だとアレサ・フランクリンですが、ピーター・バラカンは「アリーサ」が正しいと言います。
(https://www.youtube.com/watch?v=k6YCxXQ6Scw)
アル・グリーン(Al Green、1946 - )
(https://www.youtube.com/watch?v=3Nua5klb4Os)
ネヴィルブラザーズ(エアロン・ネヴィル /Aaron Neville、1941 - )※エアロンも普通の日本語表記だとアーロンですが、ピーター・バラカンは「エアロン」と表記しています。
(https://www.youtube.com/watch?v=oeqvsOnTPDM)

いずれもサム・クックに負けない、素晴らしいミュージシャンですが、特にアリーサの自由な解釈による歌唱は印象的です。最近のJポップしか聴かない方は、ぜひ彼らの歌に触れてみてください。私は、いまの若いJポップのミュージシャンも音楽的な能力が高くて素晴らしいと思いますが、彼らの音楽が何をルーツとしているのか、ということを芸術表現について深く考えたい人ならば知っておいてほしいです。ピーター・バラカンが取り上げている人たちの歌唱は、Jポップのミュージシャンが影響を受けたアメリカやイギリスのロック・ミュージシャンたちのルーツにあたるものです。こういうふうに表現の根源を探っていくことは、資本主義社会のなかでサーヴィスとして与えられたものを、ただ単に享受してしまう立場で終らないためにも、必要なことだと思います。

さて、このように過去の作品について知ることは、表現者として、あるいは批評者として、とても有意義なことです。そのために勤勉であることが、ある程度、必要なことでしょう。しかし、古今東西の芸術について、あるいは芸術に関わる思想や教養について、すべてを知ることは、もちろん不可能です。それに知識の量ということでいえば、ごく単純な話、若い方には年寄りに比べて時間的なハンディキャップがあります。それは表現者にとって、どれほど深刻なことなのでしょうか。
そんなことを考えたのは、3月22日(月)から28日(日)までトキ・アートスペースで開催されていた『川西 紗実 展』を見たからです。
(http://tokiart.life.coocan.jp/2021/210322.html)
このホームページに掲載されている作品写真を見てもわかる通り、着色された断片を貼り合わせることで成り立っている作品です。自由な作品の枠組みと、自然のなかの大地、空、水、木などを想起させる色がうまく絡み合っていて、のびのびとした中にどこか有機的な感触がある作品です。今回の個展会場には、絵画の矩形の枠組みがはっきりとしている長方形の作品から、平面であるはずの絵画が紐でつるされて洗濯物のようにしなだれている立体的な展示方法の作品まで、さまざまなバリエーションがありました。それを見て、私は即座にフランスのシュポール/シュルファス運動に関連する作品、例えばクロード・ヴィアラ(Claude Viallat、1936‐ )の作品を思い起こしました。
(http://www.moreeuw.com/histoire-art/claude-viallat-oeuvre.jpg)
「シュポール/シュルファス(Support/ Surface)」は「支持体/表面」という意味だそうですが、「支持体」とは例えばキャンバスの裏の木枠、もしくは物質としての画布を指していて、「表面」とは画布、もしくは画布の表面の描画面のことを指しています。この運動に参加した作家たちは、絵画を「支持体」と「表面」によって構築されたものとして分析し、それを脱構築するような表現をしたのです。それが1960年代末の南フランスで起こった芸術運動である「シュポール/シュルファス」なのですが、その後、パリで活躍していた作家も巻き込みながら、短期間で活動を終えてしまいました。「シュポール/シュルファス」については、このblogでも折に触れて取り上げていますが、今回の展覧会のパンフレットの中でも、私が考える彼らの評価のようなものを少しだけ書いています。
ヴィアラはその中心的な存在で、豆のような形をしたパターン模様の布をさまざまな様態で表現したのです。その作品は美しいものですが、表現の深度の限界も垣間見えます。
また、アメリカのミニマル・アートの作家、フランク・ステラ(Frank Stella, 1936 - )の次の時期の作品も、川西さんの作品との親近性を感じさせます。
(https://uploads6.wikiart.org/images/frank-stella/shoubeegi-1978.jpg)
フランク・ステラは、結局、このスタイルに留まることなく、壁に掛ける形式の作品から直接床に置く立体作品へと表現の場を移していきます。私はステラにおいても、ヴィアラと同様にその作品の表現がはたして深まっていったのかどうか、疑問に思っています。こういう言いかたは巨匠たちに対して不遜に聞こえるかもしれませんが、ただ表現の場を移しただけではないか、というふうにも思えるのです。
川西さん本人に話を聞くと、とくに彼らの作品との影響関係はないようです。彼女はごく自然に矩形の絵画に窮屈さを感じ、それを乗り越えるために手を動かしていたところ、このような作品になったのです。その作品の形態が20世紀後半の、絵画の脱構築を志向した作品の形式と合致してしまった、というところが興味深いところです。
このような作品に対して、私たちにどのようなことが言えるのでしょうか。例えば、ヴィアラやステラなどの過去の作品を参照して、こんなことはすでに誰かが試みたことだ、と揶揄することは簡単です。しかし、それは作品に対峙する正しい態度だと言えるでしょうか。
そもそもモダニズム以降の絵画は、すでにあらゆる可能性を追究しつくしたように見えます。ですから目新しさという点では、もはや付け加えるものなど何もないのです。だからといって絵画を描くことなど意味がない、と考えてしまうのは、モダニズムの美術史観にとらわれすぎた、いささか気の毒な絵画の見方だと言えるでしょう。残念なことに、そういうことを言いたがる物知り顔の老人が、けっこういるのです。そういうふうに、作品の形式の目新しさばかりに注意を払う人たちにとっては、作品の質や内容はどうでもよいのです。
私は川西紗実という作家が、自分の実感の赴くままに手を動かした結果、表現の核心にあたるものに、確かに手を触れていることを感じます。ただし、まだ作品にはばらつきがあり、正直に言えば、うまくいっていない作品の方が多かったような気がします。例えば作品の表面に描かれた色や形が、ゆがめられた作品の形状や展示の方法とかみ合っておらず、作品のどこを見せたいのかがよく分からない、というものもありました。それは彼女自身が自分の資質や表現の方向性を探っているからだろうと思います。とはいっても、芸術表現を志す人ならば、だれでも自分の資質や表現の方向性について探りながら進むものです。そのことに真剣に取り組まずに、作品の体裁を整えてしまう方法もありますが、そんな作品はつまらないと私は思います。彼女にとっての課題をあげるならば、もう少し表現の方向性をしぼって見せた方が、その後の自分の展開を探るうえでも有効だろうと思います。そんななかで、DMの写真の作品は、とてもよい出来栄えだったと思います。若い作家はこのように制作や発表の機会を糧にして、自分の表現を探していくのだと思うとワクワクします。この作家が今後、どのような表現の場所を選ぶのか、そこでどのような表現の深度を見せるのか、それはある意味ではヴィアラやステラの世代がやり残した課題だと、私は思っています。ですから、作品の様式に美術史的な既視感がある、などという後ろ向きの批評には惑わされず、自分の実感できることを信じて制作を続けていただきたい、と願っています。
実はそれとは対照的に、洗練された表現形態と、質の揃った作品が並んだ大規模な展覧会を同じ日に見ました。それはなかなかの壮観でしたし、一人一人の作家の評価は高いものでしょう。しかし、なぜか見ていてワクワクしないのです。たぶん、彼らの作品を個展として見たならば、また違って見えたのでしょうし、彼らもその会場の作品とは異なる見せ方をしたに違いありません。大会場に作品を置くと、どうしても作品の見栄えをよくする必要がありますし、作品の完成度を競い合うことにもなるでしょう。それもときに必要ですが、作家がはじめて作品と向き合った時の表現の衝動や意欲と、その結果として見えてくる作品がずれてしまうならば、その展示方法は大きな問題だと思います。
このような私の評価は、とても奇妙なものなのかもしれません。少なくとも一般的なものだとは言えないでしょう。そして川西紗実という作家が、これからどのような方向に向かって進んで行くのか、願わくは表現の方向性をしぼりつつも、いつまでも作品に触る実感を失わない作家でいてほしいと思います。それには、自分の興味に対して、できるだけ正直でいることが大切だと思います。それは才能のある人にとっては何でもないことなのかもしれませんが、私のような人間にとってはとても難しいことで、いまだにうまくできません。しかし今回の作品を見た限り、彼女にとってそれはそれほど難しいことではなさそうです。

そのような作品の核心について考えた時、同じ日に見た、『フランシス・ベーコン バリー・ジュール・コレクションによる』(神奈川県立近代美術館)という展覧会は、とても興味深いものでした。(この日は三つの展覧会をはしごして、充実した一日でした。)
(http://www.moma.pref.kanagawa.jp/exhibition/2020_bacon)
この展覧会の会期は4月11日(日)までですが、この企画は渋谷の松濤美術館で4月20日(火)から会場を移して開催されるようです。
(https://shoto-museum.jp/exhibitions/190bacon/)
実は、フランシス・ベーコン(Francis Bacon、1909- 1992)は、これまでも大規模な回顧展を見ているから、もういいかな、と自分の個展の忙しさもあって後回しにしてきたのです。しかし、この展覧会はまさにベーコンの絵を描くことの衝動をむき出しで見せてくれるような、そんな企画でしたので、見てよかったです。もしもベーコンのタブロー作品に対して、その完成度の高さと、揺るぎない様式性について食い足りなく思っている方がいたら、ぜひ見ていただきたい展覧会です。
ちなみに、ベーコンについてあまりご存知ない方のために、軽く紹介しておきます。
フランシス・ベーコンは、アイルランド生まれのイギリスの画家です。激しくデフォルメされた人間像を描いたことに特徴があり、人間の根本にある不安を描いたと言われています。実はその作品には、他者の作品から触発されたものが多く、映画 『戦艦ポチョムキン』 の中の叫ぶ老女の映像や、ベラスケス(Diego Velázquez, 1599 - 1660)の『教皇インノケンティウス10世の肖像』に基づく作品などが有名です。
(http://bigakukenkyujo.jp/blog-entry-104.html)
それからベーコンについては、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズ(Gilles Deleuze, 1925 - 1995)が『感覚の論理学』という本で取り上げていて、私はその本についてblogの「123. 『感覚の論理学』(ジル・ドゥルーズ)について」で書いています。しかし結局、ドゥルーズがフェリックス・ガタリ(Pierre-Félix Guattari、1930 - 1992)とともに提唱した「器官なき身体」という概念にベーコンが描いた人間の肢体のイメージが合致する、ということ以上の深い理解には至りませんでした。
その文中で私は、ベーコンにあまり興味がない、と書いているのですが、今回の展覧会はそんな私の先入観を覆すものでした。それはなぜかといえば今回の展覧会が、ベーコンが初期(20代のはじめ)においてキュビスムやシュルレアリスムの影響を受けて描いた油彩画10点が展示されていたこと、そしてベーコンが、雑誌や新聞上に掲載された著名人の肖像写真に色をつけたり、線を描いたりした生なましいドローイング作品が多数出品されていたことによります。私がこれまでに見てきたベーコンの作品は、つねに高い完成度を保ったもので、独自の具象絵画をまい進する現代画家というイメージを強固にするものでしたが、今回の展覧会を見ると、そこに至るまでの悩みや模索が垣間見えて、私にとってはとても興味深いものでした。
それにしても、なぜこのような作品を今回、まとまって見ることができたのでしょうか。それは次のような事情に拠ります。

◇バリー・ジュール・コレクションについて
バリー・ジュール氏は、1978年のベーコンとの出会いから画家が亡くなるまで親しく交流し、ベーコンがマドリッドで客死する10日前に、彼が手元に残していた作品や資料など約2,000点を譲り受けました。これらの貴重な「遺産」は、アイルランド国立近代美術館(ダブリン、2000年)やバービカン・センター(ロンドン、2001年)、ピカソ美術館(パリ、2005年)、中国の南京芸術学院美術館(南京、2013-2014年)そして昊美術館(温州、2016年)、イタリアのヴィラ・フィオレンティーノ(ソレント、2018年)などで展示されました。また、2004年にはテート・ギャラリーにそのうちの約1,200点が寄贈されています。
(『フランシス・ベーコン バリー・ジュール・コレクションによる』プレスリリースより)

2,000点の作品や資料を譲り受けた、というのはすごい量ですね。そしてこの展覧会のカタログには、『フランシス・ベーコン、あなたへ』というバリー・ジュール(Barry Joule)の書いた手記が掲載されています。これはベーコンに対する批評ではなく、ベーコンとの会話や彼と過ごした時間、エピソードなどが書かれたものです。残念ながらバリー・ジュールがどういう人なのか、私にはよくわかりませんが、彼の手記によれば、ベーコンは謙虚で寛容な人であり、名声を得たからといって驕るような人ではなかったようです。街中を気軽に歩いたり、公共の交通機関を利用したり、ということを平気でしていた人らしく、ときにはロンドンの地下鉄でからんでくる客と乗り合わせてしまい、そのときの不安に駆られた様子などもていねいに書かれています。この手記の初めの部分を、少し引用しておきましょう。

フランシス・ベーコンと私の付き合いは、彼を知って以来14年に及んだが、その間、この画家が最も多く訪れた常設のコレクション展示は、大英博物館のそれであった。というのも、そこには彼を惹きつけてやまない、古代エジプトの彫刻の素晴らしい大コレクションがあったからである。そこを初めて一緒に訪れたときの驚きは今でも鮮明に覚えている。雨が降ったり、空が悲しい表情を見せていた1987年11月のとある日の午前中のこと、彼はふいに電話をくれ、彼特有の、いたずら好きで皮肉屋の顔が垣間見えるあの危うい魅力に満ちた、それでいて古きよきエドワード朝を思い起こさせる声で、機嫌よく私にこう告げたのだった。「ひどい老け顔の自画像を一つ描き終えたところなんだが、何かスパイスのきいた美味しいランチと古代エジプトの景色を楽しみたくなってね。一緒にどうだろう?」
(『フランシス・ベーコン、あなたへ』バリー・ジュール)

こんなふうに、フランシス・ベーコンに誘われて、スパイスのきいた美味しいランチを食べて、大英博物館に古代エジプトのコレクションを一緒に見に行く、というのは何ともうらやましい経験ですね。画家がどんなふうに展示品を見るのか、そばで観察できるだけでも興味深いことです。この文章と今回の作品写真が載っているカタログは、展覧会場に行かなくても買えるようなので、ベーコンが好きな人にとって価値のあるものではないか、と思います。
さて、今回の展示作品についても、少しだけ触れておきましょう。先ほども書いたように今回の展示では、初期作品と印刷物の上からドローイングなどを施したものと、大きく二種類の作品があります。
まずは初期作品についてですが、ベーコンはこの頃の作品のほとんどを廃棄してしまっていて、残された作品はとても貴重なものだそうです。ベーコンは独学で絵を学んだ、という話ですが、これらの作品は驚くほど完成度が高く、よくできています。それらの絵に描かれた形象はキュビスムの影響を受けた現代的ものですが、背景に使われている渋い青みがかったグレーなどは、カタログの印刷では複製できないような深い古典的な色あいをしていました。そしてキュビスム的な形象の解釈も、絵画をよく知った画家が自信をもってデフォルメしたものだと言えるものです。この画家は若くして高い技術と風格を身につけていたことがよくわかります。いずれにしても、これは本物を見て実感していただきたいところです。
それから印刷物の写真の上からドローイングを施した作品群ですが、この表現方法はベーコンという作家の資質にうまく合致したものだと思います。写真の細かな形象とベーコンの衝動的な線や色が絡み合って、即興と写実が共存した画面となっています。ベーコンのみごとに様式化されたタブローは、このようなドローイングのイメージが根底にあるから実現できたものなのだ、と納得しました。そして私にとっては、完成度の高いタブロー作品よりも、今回のドローイング作品の方が面白く感じるのです。
こういうドローイングなら何枚でも描いてみたい、と私も思いますが、実はベーコン自身もそう思っていたのではないでしょうか。神奈川県立近代美術館の館長、水沢勉はベーコンの写真に対する興味について、画家自身の言葉を引きながら次のように書いています。

その冒頭で画家はこう語っています。
「思うに、人間の視覚はいつも写真や映像にさらされています。だから私たちが何かを見るとき、それを直接見ているだけでなく、写真や映像による経験というフィルターを通しても見ているわけです。写真は抽象画や具象画より九十九パーセント面白いと思います。いつも写真のことが頭から離れません」
「何か」を「直接見ている」以上に「写真や映像による経験」を通して「何か」と触れることになる。画家はそのような「写真」に憑りつかれている(原文では「haunted」)、というのです。
(『断片に宿るもの』水沢勉)

これを読むと、画家はあえてタブローを描く必要があったのか、と疑問に思います。ベーコンにとっての表現の核心は、むしろ写真にドローイングを施した今回の作品群のなかにあったのではないか、と私は思います。本当の創造行為、表現活動はドローイングの中にあり、それを一般的にわかりやすく、無駄なものを排除して描いたのが、ベーコンのタブロー作品なのだと言えないでしょうか。

今回は、あまり脈絡もなく、さまざまな分野のさまざまなレヴェルの作品を取り上げました。共通して言えるのは、表現として生なもの、そして根源的なものほど興味深い、ということです。わかりやすく洗練されたもの、美しさを演出されたものを見たり聞いたりするのもよいと思いますが、サーヴィスの行き届いたものほど人為的な手垢がついて、商品化されてしまっていることを、私たちは忘れないようにしましょう。

さて、最後に少し頭を休めしょう。
冒頭のサム・クックのヒット・ソングのカヴァーを2曲ほど紹介しますので、リラックスして聴いていただけるとうれしいです。ポピュラー音楽の場合、作品が世に出るまでにいろいろな人の人為的な思惑が絡み合っていますが、それもひっくるめて楽しむのがよいと思います。例えばオリジナルとカヴァー曲を聴き比べると、それぞれの時代の表現方法や関わった人たちのことが見えて(聞こえて)きて、そのことに対してまた興味がわくのです。もちろん、ミュージシャンの個性や力量を比較したり、それぞれの表現に身を委ねて聴くのも楽しいことです。
その1曲目は『You Send Me』のカヴァーです。カントリーの色合いもあるポップ歌手、ニコレット・ラーソン(Nicolette Larson、1952 - 1997)が歌ったものですが、これは心地よい音楽です。彼女は若くして亡くなってしまい、残念です。
(https://www.youtube.com/watch?v=sYhn-I2GxJc)
次は『what a wonderful world』のカヴァーです。アート・ガーファンクル(Arthur Ira Garfunkel、1941 - )、ポール・サイモン(Paul Frederic Simon、1941 - )、ジェームス・テイラー(James Taylor、1948 - )の三人が、豪華なトリオで歌っています。曲そのものは、アートの『ウォーターマーク』(Watermark、1978)というアルバムに入っています。このアルバムはジミー・ウェッブ(Jimmy Webb, 1946 - )というシンガー・ソング・ライターの曲でまとめられた名盤ですが、その中では異色の曲です。ジミー・ウェッブのあまりに内省的な歌でアルバムが占められているので、ポールがこの曲を入れるように進言した、という話を聞いたことがあります。アルバム全体としてはこの曲があった方がいいのかどうか、微妙なところです。しかし、結果的にこの三人のコーラスを含めた歌唱を聴けるのは、うれしいところです。お勉強のできない学生が、僕は頑張ってるし、君が僕の思いを受けとめてくれたら素晴らしい世界になるよ、というユーモアのある他愛ないラブソングですが、いまの状況下でときにこういう歌を聴くのもよいと思います。
(https://www.youtube.com/watch?v=f-s9uXvwrws)

さて、ピーター・バラカンの『ロックの英詞を読む 世界を変える歌』には、実はジャズ・シンガーのビリー・ホリデイの曲も含まれています。たまたま、人間の平等を訴える歌を続けて取り上げたので、次回はビリー・ホリデイの古典的な名曲を取り上げます。1939年に彼女がこの曲をレコーディングして以降、世界は良い方向に向かっているのでしょうか。現在のアメリカでは、コロナ禍の苛立ちから東洋人への暴力がやまず、問題となっています。いまこそ、一つひとつの事象にとらわれない、射程の長い芸術的なメッセージに注目すべきなのかもしれません。

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