今週7/10日〜7/14日のお弁当です。
(月) 味噌カツ
(火) 手羽先ケチャップ煮
(水) 冷やし中華
写真の撮り忘れ
(木) 盛り込み
就労で収穫
今週7/3日〜7/8日のお弁当です。
7/7日は七夕でしたね。
あいにくの天気でしたが、太陽工房では皆んなで七夕弁当を食べました♪
ちらし寿司や天ぷら等、豪華なお弁当でした。
(月) 皿うどん
(火) 肉じゃが
(水) ゴーヤチャンプルー
(木) ハンバーグヨーグルトソース
(金) 七夕弁当
(土) 洋風幕の内弁当
みなさん、こんにちは!!
マクラメ大好き 石橋です。
最初マクラメは、私が興味を持ったことでしたが、この太陽工房で取り入れてもらえて、今では利用者の方にも少しずつ参加してもらえるようになりました。
そして、ギャラリー展示・販売も出品できるようになり、とても嬉しく思っています。
そこで、本日はマクラメの新商品をご紹介します。
きっかけは、Kさんからの悩みから・・・
「バッグの紐だけ新しいのに変えたいんだよなぁ」というものでした。
そこで、マクラメで作れないかと考えてみました。
今あるマクラメのショルダーストラップだと、細過ぎてKさんのバッグ(いつも飲み物が入っているバッグ)には、耐久性の心配が・・・
ということで〜♪
<太め>のショルダーストラップを新たに作りました!!!
色はKさんの希望で、グリーンとブルーの色、長さは約105cm。
しっかり編み込んでいるので、500mlのペットボトル2本入れても、問題なく使用できました。
Kさんに、完成品を渡すと、ニコニコととても大喜びでした!✌️
太陽工房では、毎日マクラメ以外にも、アイロンビーズ、手芸など様々な商品を作っております!
ご興味のある方、ぜひご連絡お待ちしております♡
自分の中に湧き出てくる言葉を、ひとつひとつ見つめて磨いて並べていくこと…
時間を忘れて没頭出来る。
心の内を表すことは、裸になるようなものでとても恥ずかしい。
でも私にとっては魂の呼吸であり、なくてはならないものだ。
誰に見られるでもなく生まれた詩は、この世にはいっぱいあるだろうが、私が書く詩はこれからも私を励まし、優しく包んでくれるそれだけで十分だ。
そんな「詩を作る」ことを、これからもずっと続けていきたいと思っている。
最近の詩を見ると、いや〜ほんとに恥ずかしいものばかりですが、最後に、数年前に知人が若くして亡くなった時に書いた詩を掲載させていただきます。
お心に届けば嬉しく思います。
ありがとう ございました。
『光のなかへ』
匂いたつ花ではなく
足元に咲く小さな小さな花
それが、あなたを表現するにふさわしい
静かに微笑みながらも
一人で辛さを抱え込んで
うっすらと微笑むことで
人を思いやりながら、その存在を
気づかせない
あなたは一人ではなく愛されてはいたけれど
独りだったのかもしれない
しかし
真実の出会いは誰にでも平等にある
差し出された、見えない大きな手を
しっかりとつかみ
後は身をゆだねて人生を全うした。
見送りに 集まった人は少ない
しかしその一人一人が暖かい祈りをもって
彼女を送りだした。
全ての苦しみと孤独と迷いは今
解き放たれて昇華され
光の中へ
永遠の命として
彼女は生き続けてゆく
こんにちは。
太陽工房のMです。
振り返ってみれば、私は小さい頃から、一人で過ごすことが多かった。
一人っ子で母親も働いていたので一人で過ごす時間が多く、何かしら面白いことを探し空想していたように思う。
そういう子供時代を送ったから、大人になってからも一人遊びがとても上手だ。
その中でも、中学校から始めた「詩を作る」ことは、自分を自分で励ましていくために私にはとても必要で大切なものとなっている。
切っ掛けは単純なこと、授業中に書いた詩が先生に褒められたから。
それからマイペースで書き始め、就職で上京後も書き続け、二十歳の時には自費出版をすることができた。
この本がラジオで紹介されたり、読んだ方からお手紙をいただいたり、自分で書店に持ち込んで置いてもらったこともあり、楽しい時間を過ごせた。
本を通じていろんな方との出会いがあり、今までは知らない世界で生きている方々から、ほんとに多くの刺激を受けキラキラした時間を過ごすことができた。
20歳で故郷熊本に戻ってからは、詩誌「葡萄」に参加。代表の倉田千恵子さんと出会った。
詩を学ぶというより、80歳になっても瑞々しい感性をもち、まるで少女のように小さなことに感動して生活し、それを言葉にされる姿にあこがれを感じていた。
ある時期、私は詩を書けなくなった時がある。
詩誌の同人たちの情熱や才能に圧倒されたのだ。
そんな時倉田さんが、わざわざ詩を一編携え職場に来てくださった。
私は夜勤明けでお会いできなかったが、主任か対応してくださり「詩がお上手なのだから、書き続けなさい」と伝言を聞いた時には、自分が情けなく、でも尊敬する人に褒められた喜びもあって泣いてしまった。
それをきっかけに再び詩と向き合うことができるようになった。
私が30歳の時だ。