当然と言えば当然だが、逆に悔しさ依り悦楽に勃起を感じた。伝えた方がユーモアを持つ人だからだろう。
兄の死に俳句を30以上書いたが、俳句会で七句の内二句だけ書いた勿論俺は五七五には風流は持てめて無く常に極短編小説にて 詠むとは言わず書くです。
(旧正月兄の献花は向日葵と)多分説明が無い限り解釈は無理でしょうね?。句会に喧嘩を撃ってます。五七五に四つの死を含んでます。季語で旧正月は死語です、兄も死だし献花はキリスト教の習慣で仏教では線香で神教では榊です。
是も葬儀場の都合で或る種慣習の死です。向日葵を使ったのは俺の皮肉です、一応夏の季語だが年中販売されてます、是も季語の死です。
(兄逝くが陸尺(六尺)居らず小壺にて)陸尺は茨城県の方言らしいが東京インテリヤ以外の人は案外知っています、詰まり六尺とは人間の身長に会わせた墓穴を掘る人なのです。一応六人ですが全て男で逝った人の友人知人が多いです。だが俳句会では季語無いと叱られました。
セクハラに成るが現在も棺を女性が担ぐ事は禁止されてす。
尤も水戸は徳川家の影響か知らずが、葬儀はお通夜も骨葬で悪友が参列したが死顔が見られず残念に思って居ました。
最後に落だが、真面目な?句を書きます。(啓蟄に母の命日兄呼ばれ)四十九日には未だ早いが納骨をその日にします。啓蟄とは虫たちが動きだす日だが、其の日に地下に眠るのも諸行無常の世似ては運命と自覚します。