記事書きながら目頭が熱い、亡くなって五年の流れは早い。
高専時代からの悪友だ、6月1日生まれだが自身で(剝れ朔日)と己を揶揄していた。
そして女好きで、麻雀に狂って居た今ならストーカー行為だろう、気に入った女性が居たら平気で家を訪ねるシャイな私には出来ない,当然口説き始める。
私は軟派硬派の両刀使いだが女性は大好きで彼が羨ましかった。
やがて可愛い子と結婚した、必ず私のイタズラは入る旅行会社時代だった新婚旅行勿論窓側の切符予約した、前のブログで書いたが3回お客様にした記憶が有る。ベルが鳴りドアが閉まると窓に(この2人新婚旅行中)とデカデカと張り紙するのだ。特急故に窓は開かず次の駅まで他のお客様の嘲笑の的だ、しかし3回とも恥ずかしかったが良い思い出と感謝された楽しいイタズラだ。
そして悪友三夫婦皆の誕生会毎年開いた、あれは50歳後だったかな私の誕生日プレゼントに白い箱抱えて来たのだ瞬時に理解したが、皆は分からない何と(骨壷)なのだ勿論私は感謝して受け取った回りはポカーンと口を開いて居た。
私が水上勉のファン知って居たのだろう。
水上勉は己の骨壺自作計画していたそれで私も憧れたのだ、普通の人なら怒りものだろう、現在も物置に眠っているアイスボックスに使うか考えたが日本酒党で必要ない、煙草の灰皿を考えたが女房の大反対を喰った愛煙家故煙草の灰に抱かれて眠るのも粋な物だろう。
しかし1回目の不幸が来た、悪友の一人が若くして亡くなったのだ新婚旅行で鍋ヤカン付けた奴だった、社長で弔問者は400人超えただろう、友人代表の挨拶は高校が違うので同級生がした。しかし私は葬儀の最後に最後列の席で立ち上がり大声で怒鳴った(○○の馬鹿野郎約束違うだろう云々)で有る、これはイタズラでは無い。
最愛の友を送る言葉だ、終わると彼の従兄達が駆け寄り涙して礼の言葉授かった。
皆感激していた、正直葬儀の挨拶で一番彼を送る言葉で溢れていたと思う。
しかし私も命懸けだった、失敗したら彼の家とは断絶で有る、賭けだった。
そして友人代表の挨拶者に皮肉言はれた、私が居たから予想は付いたと言うのだった、書いてるうちに彼を思い出してつい書いたのだ本文に入る。
骨壺送ってくれた奴だ、彼は十年過ぎて悪友の所に旅立った。
私が脳梗塞で倒れても酒タバコ止めないので怒って今度倒れたら絶対に見舞いに行かないが口癖だった、原因は大腸癌だが最終死因は脳梗塞だった人生皮肉なものと思った。
そして彼の命日不思議に感じた、10月6日なのだ106逆にすると601つまり彼の誕生日の6月1日なのだ、勿論彼の命日絶対に忘れ無いでも覚え易く簡単だ。
彼との思いで多い、悪戯の毎日だったでも親友と呼べる仲だった俺もユニークだが類を呼ぶのか彼もユニークだった。親しい友人が去っていくのは本当に悲しい。
彼が亡くなる三年前に母親を亡くした、私もマザコンだが泣き崩れる彼が痛々しかった。私のお袋は明治生まれだが彼の母は昭和だろう初めて合った時多分40歳前後だったと思う若くて綺麗な印象が有る、そうだろうお袋とは最低15歳は離れて居る小学校の父母会で婆臭くて嫌だった。
彼の癌が発見される前良く飲んだ、時々母を思うのか涙する時が有った悲痛に感じた私も同様な時期有ったから理解した。
俺も、もう直ぐ逝く待ってろよ!。でも時期が悪い新聞の(お悔やみ欄)読むと、殆どが家族葬だ本式の葬儀有っても会葬辞退希望が付く。
逝くなら家族親友に抱かれて別れたい、もう葬儀委員長 友人代表の挨拶者決めているお前の知ってる彼奴だよ、あの世でも好きな麻雀してろよでもレート高くて駄目かな?女遊びも得意だろう(天国よいとこ一度はおいで酒もうまいし姉ちゃんもきれい)だそうだな、楽しみに再会待つ。バハハーイ!