新世界都市伝説ノート~事実の裏に潜む真実~

新世界が始まる…僕らは生ま変わる…無限のエネルギーを感じて…

ナワリヌイからユリアへ。

2024-03-02 19:41:42 | プーチン

ミュンヘンでプーチンがディープステートに宣戦布告をしたのが17年前の2007年でした。

そして、2024年、再びミュンヘンで演説をした人がいます。

獄中死したナワリヌイさんの奥さんのユリアさん。

今回のミュンヘン会議は、ナワリヌイさんの死亡報道のタイミングとともに始まりました。

そして、なぜか、マリアさんは準備万端、ミュンヘン会議で演説の用意がばっちりできていました。

「プーチン大統領とその仲間たちは個人的な責任を負わなければならない」といった長い演説を行い、拍手喝さいをもらい、笑顔で謝意を示します。

ディープステートの工作員が、ナワリヌイ氏からユリアさんにスイッチした瞬間です。

新たな情報戦をミュンヘンから再スタートするという意気込みを見せることになりました。

プーチンがナワリヌイを殺したと日本人も思っているわけですが、これもハスバラ・プロジェクト(矛盾があっても強引に事実を作り上げる)の一環ですね。

プーチンが大統領選の前に支持率を下げるようなことをあえてするでしょうか?

プーチンの支持率は高く、ナワリヌイ氏は獄中にあって無力です。

放っておけばよいだけのように思えます。

「プーチンは悪である」という概念を強化させるためのネタとしてナワリヌイは使われただけと言えます。

ナワリヌイ氏は、イスラム教徒をゴキブリ呼ばわりし、その撲滅を願っていました。

ナワリヌイ氏は、ナチズムを推進するアメリカ・ワシントンの推進するシオニストらが支援する反体制派でした。

ハマス・イスラエル戦争で行われていたことと同じような工作を、ロシアで仕掛ける役割でしたがうまくいかず、投獄となってしまいました。

ディープステート諜報員としてはB級だったようです。

しかし、西側では、彼のことを「民主主義・自由の戦士」と呼び、ユリアさんがそれを引き継ぐのでした。

ユリアさんは、力のあるスポンサーやジャーナリストと関係を持つことで工作をしかけています。

旦那さんが獄中にあるときも、インフルエンサーと食事をしたり旅行をしていました。

一方で、投獄された旦那さんには、2年間、一度も面会に行っていないとか…

旦那さんよりも奥さんのほうが有能な諜報員のようです。

 


世界統一政府vsプーチンの戦いはミュンヘンで始まった。

2024-03-02 14:05:11 | プーチン

2007年2月、プーチンは、ミュンヘン安全保障会議で、ディープステートに対し、宣戦布告のような演説をしています。

以降、実質的にナチズム・シオニストが動かすNATOとの敵対関係が悪化していくこととなります。

「冷戦後、提唱された一極集中の世界は実現しなかった。

人類の歴史は確かに一極集中の時代を経て、世界の覇権を目指す動きを見せました。

そして、世界史の中でそれが起こらなかったことなどあったでしょうか?

しかし、一極集中とは何か。

この言葉をどう飾ろうとも、結局はある一つの型にはまった状況、すなわちある一か所に権力が集中し、力が集中し、全ての力が集中することを指しています。

それは、一人の主人、一人の支配者が存在する世界です。

そして、結局のところ、このシステムの中にいる人々だけでなく、それは支配者自身にとっても有害であり、内側から蝕われていくものなのです。

そして、民主主義とは何かの共通項はありません。

なぜなら、御存じの通り、民主主義とは、少数派の利益や意見に照らし合わせた多数派の力だからです。

ちなみに、ロシアは、我々は常に民主主義について教えられてきています。

しかし、なぜかそれを教える側は、決して学ぼうとはしません。

私は、今日の世界において、一極集中世界は受け入れがたいだけでなく、不可能だと考えています。

それは、今日のまさに今の世界で、個人のリーダーシップが発揮されれば、軍事的・政治的・経済的資源が足りなくなるだけではありません。

より重要なのは、このモデルそれ自体に欠陥があることです。

なぜなら、その基礎には現代文明の道徳的基盤が存在しないし、存在しえないからです。

それとともに、今日の世界で行われていることは、私たちはこの議論を始めたばかりですが、まさにこの概念、一極集中の概念を、国際情勢に導入しようとする試みです。

その結果、どうなったか。

一方的で、しばしば非合法な行動は、なんの問題も解決していないどころか、新たな悲劇を引き起こし、新たな緊張の渦を作り出しています。

戦争や地域紛争は、減っていません。

ロシアは、千年以上の歴史を持つ国であり、事実上、常に独立した外交政策を遂行する特権を行使してきました。

私たちは、この伝統を変えるつもりはありません。

同時に、私たちは世界がどのように変化したのか理解しており、自国のチャンスと可能性について現実的な感覚を持っています。」