神は光であり、無条件の愛であると伝えられました。
人はこのいただきを目指します。
恋は人を感情のピークへと誘います。
ところがこの感情は必ず冷めていきます。
愛は永遠であるはずなのに、愛に終わりがあるとは一体どういうことなのでしょうか?
このことを悟ることが人生の大きな一つのテーマです。
恋人の出現によって感じる愛とは、条件付きの愛です。
その愛はその人がいなくなったら消えてしまうのですから…
他人に出会い、愛することで自分の内面にあった深い愛に初めて触れ、自分の大いなる愛に気づきます。
プレゼントをくれたから好きになるとか、条件付きの愛とはまさに三次元の愛です。
何かをもらって好きになった人はもらえなくなったとき嫌いになります。
揺れ動く二極世界では必ず反対の極を迎えます。
誰がいなくとも、あなたはもともと愛そのものです。
無条件の愛とは、もともとあなたそのもののことです。
このことに恋人は必要ではありません。
このことに気づかせるために他人は存在しています。
他人がいて愛に気づきます。
もともと内側にあった愛に、他人を通して気づきます。
あなたが感じる愛の喜びは、他人が運び込んでくれるものではありません。
あなた自らが内側から引き出しているものです。
もともと愛そのものであるあなたは、これからも無条件の愛そのものです。
ただあなたはそのことを忘れているだけのことです。
恋人との倦怠期を、進化のための一つの通過点であると理解していると、そんな時期でさえワクワクして受け止めることができます。
彼女がそばにいなければ喜べなかったのが、彼女がどこにいても嬉しいといった広い心へと変わっていきます。
喜ぶために必要であった条件が消えていきます。
条件のない愛へと進化していきます。
なのに人は、彼はこの頃冷たくなった、愛が減ってきたと解釈します。
他に好きな人ができたかもしれないと妄想が始まります。
こうして人は自ら与えた意味付けに無意識に反応し混乱していきます。
ただ単に起きていることに気づいていればいいのです。
人間の本質は行為するものではなく観察するものなのですから…
人は母親の無条件の愛から生まれます。
生まれ出ることだけで祝福します。
そして生まれ出た子を無条件に受け入れます。
しかし、やがて制限された母親の意識が、制限された思考をもたらします。
純粋なる子供は、無条件にその制限された思考を受け取ります。
子供の限定意識の出来上がりです。
そして、あなたのエゴが無条件の愛に目覚めるゲームが開始されました。
あなたは無限です。
このことを信じることがチャレンジです。
やさしいことではありません。
だからこそ、この旅には価値があります。
我々の求めるべきものは異性や他人ではありません。
真に求めるべきものは我々の源です。
大いなる我を求めるとき、無条件の愛を思い出します。
内なる無条件の愛に触れたとき、人は無条件に今ある現実を受け入れるようになります。
今、このままが最も最善であることが分かります。
聞くこと、見ること、感じることの全てが、善きことのみであったことに気づきます。
そんなあなたにどんな問題もあろうはずがありません。
リラックスし、起きてくることを起きてくるままに楽しみます。
ゆだねきります。
このときあなたは進化の最短距離をたどり、昇りはじめます。
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