ウルク期の後期に突如として現れる出自不明のシュメール人が、海洋民族ラピュタ人に結びつく人々だったとしたら、その文明が高度であったことも納得できる。
チグリス・ユーフラテス川を源流までさかのぼると、「アサド湖」と「ハザル湖」にたどり着く。
その中間地点にあるのが、世界最古の祭祀遺跡とされるギョペクリペテ遺跡。
ギョペクリペテ遺跡には、イースター島のオロンゴ文明の死生観や、その中心的存在である鳥人のレリーフが刻まれており、祭祀の跡と思われる盃状穴も見られる。
海洋民族ラピュタ人の元になったと考えられるポリネシア人の痕跡が残る世界最古の遺跡が、このシュメール文明が栄えたメソポタミア北部にあるのは偶然ではない。
シュメール神話では、シュメールの人々に知恵を授けて信仰儀礼の正しいあり方を説いた7人の賢人、「アプカルル」という存在が登場する。
アプカルルは、昼間は陸に上がって、読み書き・工芸・科学等の知識を人に教えて、夜になると海に帰っていった。
そして、石板では半魚人のような姿として描かれている。
海から来た海洋民族が、シュメールの人々に知恵を伝えていったことが神話からもうかがえる。
また、世界最古の神話が記されたギルガメシュ叙事詩には、「ディルムン」「プント」「マガン」という3つの海洋民族が登場する。
この3つの海洋民族がウバイド族と混じりあって、シュメール文明が形成されていった。
「プント族」は、古代エジプトのヒクソス王朝の歴史に現れる地中海から紅海を地盤とする海洋民族。
現在はアフリカの東海岸地帯でソマリアの国を作った一族。
「ソマリア」の語源は「シューメリアン」。
「マガン族」は、インドネシアを拠点とし、メコン川周辺にシュメール文明を伝えて、メコン文明を再構築し、後のアンコールワット遺跡等を残した。
丸に十字のスワスチカのマークを旗に掲げ、大蛇神「ナーガ」をトーテムとしていた。
「ディルムン族」は、パキスタンのモヘンジョダロやインダス文明のハラッパ遺跡の付近にあった「マドゥラ」を海都とした。
ディルムン族は、元々は海洋民族ラピュタ人であり、日本にも来ていた。
ギルガメシュ叙事詩で、ギルガメシュ王の犯した罪の罰として、親友・エンキドゥは女神イシュタルに殺され、ギルガメッシュは嘆き悲しみ、神に不死の方法を尋ねる。
神は、その薬は「ディルムン」と呼ばれる島にあると答え、その行き方をギルガメッシュに教える。
「ディルムンの島は、太陽の出る国を目指して、太陽の道に沿ってひたすら進みなさい
東の果てに仙人が住む国にたどり着く」
仙人というのは、洪水伝説の主人公ウトナピシュティム。
彼は、アヌンナキから永遠の命をもらって、東海の蓬莱山の火口に住んでいた。
都市ウルクは北緯32度。
ずっと東へ行くと中国大陸の東端は上海あたり。
その先には九州があり、熊本が北緯32度。
熊本がディルムン島だとするならば、海洋民族ディルムンは、九州を拠点にしていたことになる。
彼らがシュメールの流れをくんでいたとすれば、シュメール語と日本語が同じ膠着語であった謎も解ける。
しかも、海洋民族ラピュタ人の痕跡であるペトログリフやドルメンなどの巨石遺跡は、九州に多く見られる。
ということは、ディルムン族は海洋民族ラピュタ人だったという可能性も十分考えられる。
ディルムンの海都マドゥラは、日本では「松浦」「マツラ」と訛った。
「マツラ国」(末羅国)は、中国の魏志倭人伝にも登場する古代の日本の地名。
また、タヒチの近くには「ナンマドール」という遺跡があり、この神殿は、この島にはない石で作られている。
島の東西南北に同じ神殿が建てられていた。
「ナン」は「ようこそ」と言う意味なので、ナン・マドールは、「ようこそマドールへ」という意味になる。
マドーラは、海都「マドゥラ」がなまった言葉なのではないかとも言われている。
もし、日本ではなく、このナンマドール遺跡が海都マドゥラだとしても、ディルムン族は海洋民族ラピュタ人の本拠地ともいえるポリネシアを主に活動していたことになり、ディルムン族=ラピュタ人の可能性は高い。
このように神話などからシュメール人・海洋民族ラピュタ人・日本人のつながりを推測することができるが、実際にそのような証拠は残されているのだろうか。
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