1798年頃、マイアーは三男のネイサンをイギリスに送り込みました。
ネイサンはイギリスで織物業界に食い込んでいきました。
産業革命で大量に生産される綿花を安く買い、それをドイツに高値で売ってたくさん儲けました。
ドイツはナポレオン戦争(1803~15)で品薄になっていたのでよく売れました。
その間、マイアーは、イギリスから来ていたセールスマンをドイツに引き留め、ドイツでたくさん綿製品を受注させました。
セールスマンがイギリスの工場に発注する前に、ネイサンは材料を安い値段で大量に買い占めておきました。
セールスマンがネイサンに発注します。
ネイサンはイギリスの工場に生産を依頼します。
でも、原料はネイサンが独り占めしているので工場は生産できません。
発注通り生産できなかった工場は、多額の違約金をネイサンに支払うこととなりました。
親子の連係プレーで見事暴利を得たのでした。
ネイサンはこの資金をもとに、1804年、ロンドンの金融街シティに移り、マーチャント・バンカーとなります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます