※前記事、"ときわ公園"の追記。
ときわ公園に行った際、敷地内にある石炭記念館にも立ち寄った。
公園に入ったときから気になっていた鉄塔のような建造物。
西側隅っこの、ちょっと小高い木々に囲まれたエリアにそれはあった。
マップで確認すると、石炭記念館とあった。
ここへ来るまで知らなかったが、宇部市もまた、かつて炭鉱で栄えた町らしい。
さっそく、入館して展示物をじっくりと見て回った。
石炭記念館の脇に植えられていた巨大なメタセコイアの木。
館内は当然ながら撮影禁止なので、展示物を写真に収めることはできないが、
屋外にも、いろいろと展示物があり、それは写真に収めた。
当時、石炭を利用して走っていたSL蒸気機関車や、
坑夫たちを乗せて坑道へと入って行ったトロッコ列車。
また、ボイラーだかタービンだか、巨大な機械が展示されていた。
よく判らないのだけど、炭坑で使用された機械の巨大なパーツが屋外に展示されていた。
宇部の炭鉱、自分の住んでいる筑豊地区で栄えた炭鉱より、後の時代に栄えたようで、
展示されてあるものは、どれも近代的なものばかり。
電動工具がメインで、掘削作業の光景もヘルメットに電動ドリルと、やたら近代的。
対して、こっちの筑豊炭田の方は、ふんどし姿で負いかごを背負って、
ツルハシで坑道を掘り進んでいるような姿で見ることがほとんど。
もちろん、戦後にはもっと近代的になっていたのだろうけど、
最盛期だった時期の違いが、展示物にも表れているのだろうか。
それぞれに説明が書かれたパネルが設置されてあるのだけど、
太陽で色褪せたか?酸性雨にやられたか?
ほとんど読み取れない状態だった。
ちょうど山本作兵衛 氏の絵画展が行われており、なんだか縁を感じた。
山本作兵衛氏といえば、飯塚で生まれ、子どもの頃から炭坑で働き、
晩年は田川に住み、その炭坑の様子を鮮明に画いて残した。
氏の遺した絵画の数々が、数年前に、日本初のユネスコ記憶遺産に登録されてクローズアップされた。
「これが、さくべえさんなん!?知らんかった~。」
一緒にいっていた友人が言う。
お前、田川に住んでるクセに、今日まで作兵衛さん知らなかったとかどんだけ・・・。
友人の無知っぷりに呆れながら、絵を観ていく。
田川のシンボル、二本煙突がきっちりと描かれ、炭坑節の歌詞が書かれている。
まぎれもなく、田川だ。
竪坑櫓(たてこうやぐら)をそのまま利用して展望台に改装し施設のシンボルになっていた。
遠くからも目立っていた鉄塔のようなもの。
石炭記念館で展望台となっていた。
昇ると、ときわ公園全体はもちろん、宇部市一帯を広々と見渡すことができる。
この鉄塔のような展望台、元は炭坑で使用されたた竪坑櫓(たてこうやぐら)。
大きな滑車でトロッコや坑夫たちを坑道へと上げ下げする巨大なエレベーター。
実際に使用されていたそれを改装して、展望台にしている。
福岡でも志免町(しめまち)などにそれが残っている。
坑夫の像。
これモデルになったひと、絶対 日本人じゃないよね。
日本の近代化に大きく貢献した石炭産業。
いろんな思いを馳せながら、宇部市の石炭記念館を後にした。
そういえば地元田川にも、石炭資料館がある。
小学校のときに一度行ったきり。
薄暗い坑道のなかで、すすで汚れたリアルなマネキンが怖かったという印象しかない。
また今度あらためて行ってみないといけないな。
本物の蒸気機関車が展示されていた。
タラップが設けられていて、自由に中へ入ることができる。
機関室も運転室にも入ることができる。
石炭産業といえば、自分が住んでいる筑豊地区一帯は、かつて炭鉱で栄えた炭都。
筑豊炭田と呼ばれ、明治時代から八幡製鉄所へ供給するための石炭採掘が盛んに行われ、
政府のみならず、財閥や日本各地の豪商らが、競うようにして炭坑の開発に着手。
戦前には日本最大の産出量を誇った。
飯塚を中心に、田川,直方,嘉麻に加え、北九州市や遠賀郡にあった炭坑もこれに含まれる。
機関車マニアにはたまらないかも。
ところが1960年頃から、日本でも石炭から石油へとエネルギー革命が起こる。
こうして筑豊炭田のみならず、国内の炭鉱業は急激に衰退。
大手企業が撤退した炭坑から、大量に失業者があふれ、
地元の山主の零細な炭坑もその煽りを受けて次々と閉山してしまい、
ついに1976年、筑豊最後の炭坑が閉山となり、筑豊炭田の歴史は終焉を迎える。
型式番号から察して、有名な"デゴイチ”ってやつになるのかな?
詳しくないから判んないや。
リリー・フランキー氏のエッセイ小説、東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン~。
その最初の舞台となる、幼少時代の彼の過ごした炭坑の町が、
宮田町(現:宮若市)で、筑豊最後の炭坑のあった町。
氏の年齢から察して、ちょうど筑豊炭鉱終焉のときが中学生くらいになるし、
ドラマに出ていた架空の駅名が、宮田町をイメージさせるものだったので、
場所的にも時代背景的にも、一致するのではないかと推測する。
それで、炭坑が閉山し、職を失った多くの坑夫たちは、
あらたな職を求めて、まだ炭鉱が盛んだった北海道などへと移動する。
これは、高倉健主演の映画、鉄道員(ぽっぽや)のなかで、
志村けん演じる炭坑夫が、らしき台詞を言っている。
石炭を運んだトロッコ。
がっちりとした金属製なので、やっぱり筑豊よりも時代が後のようだ。
コールマイン・ラッシュが終わった筑豊に残ったのは、
掘られ削られ、荒れ果てた山々。
うずたかくなって残ったボタ山。
そして働く気力のない、怠け者とならず者だけ。
土壌が汚染されてしまい、しばらくは農業ができず、
地下は坑道が網の目のようになっていて、地盤は脆くなり、
大雨などが降ると、半世紀近く経った今でも、突然、地盤が陥没したり、
何度きれいに舗装しても、アスファルトがひどく波打ったりする。
こっちは坑夫たちを乗せて運ぶトロッコ。
屋根付きなので、かなりいいものを使用していたみたいだ。
松雪泰子 主演の映画、フラガールでも、
豊川悦司 演じる炭坑夫がこれに乗るシーンがある。
炭坑閉山によって職を失った人々や、
産業の喪失と人口流出で衰退した自治体を救済すべくできた、石炭六法。
簡単にいうと、政府による救済措置。
鉱害復旧や、失業対策,国庫補助金の優遇などがあり、
2002年に打ち切りになるまでに、数兆円もの国費がつぎ込まれたとも。
だが、この石炭六法で筑豊は再生するどころか、完全に依存体質になってしまい、
今でも国の補助制度を悪用し、支給される手当などを不正に受給する人や企業ばかり。
悪用するのは、土建業者や暴力団関係者ばかりではなく、
ごくふつうの一般市民も、なんの罪悪感もなく平然とやるからタチが悪い。
こうやって県下一ガラの悪く、全国でも屈指の治安の悪い、現在の筑豊の姿がある。
展望台から見た宇部市内。
市街地を少し離れると工業地帯が見える。
地元の人間には、そんな認識がまったくない。
ガラが悪いと揶揄されていることは知っていても、
社会保障制度をどれだけ悪用し、国の金を吸い取っているのか自覚がない。
生活保護やら母子手当やらを不正に受給し、
いわゆる「当たり屋」のようなことを平然とやって、保険金や示談金をせしめる。
労働して納税しているわけでもなく、支給されるお金で日々パチンコ。
親がそんなだったら、子も孫もそれが普通だと思い、
いったん町を離れ、外からこの町を見ないと、その異様さに気付かないのかもしれない。
各自治体、このような体質に未だ、なんら具体的な対策も講じず、
相変わらず甘く、ずさんな生活保護や母子手当の審査が続く。
一部役所の人間や議員たちが、支給の手ほどきをしているとも言われている。
「**さん(議員)に頼んだら、すぐ手続きしてくれるばい!」
ババア共が、病院の待合室やらスーパーやらで、そんな話を堂々としている光景もよく見る。
税収がないので、住民税の均等割率は上がるばかり。
真面目に働くひとがアホらしくなり、どんどん流出していく。
そうして ますます、濃度の高い、掃きだめの町へとなってしまっているのだ。
石炭つながりとはいえ、後半は宇部の石炭記念館とは、
まるっきり関係のない田川の愚痴になってしまった・・・。
いつかはこのブログで、田川・筑豊の現状などを、もっと掘り下げて記事にしたいとも思っている。
治安が悪い,ガラが悪いと、ただネタにされているだけでなく、
全国のひとに、この腐った町の実情を知ってほしいと。
そうなると、やはり地元の炭鉱のことを自分がもっと詳しく調べる必要もあるし、
田川の石炭資料館にも行ってみなきゃと思う。
ひとつ前のNHKの連続ドラマ小説、"あさが来た”で、飯塚の炭坑が出てくるが、
筑豊の炭鉱経営者の実態を知れば、あのヒロインの見方も変わると思う。
まあ主人公を実在した人物をモデルにしただけであって、
あれは事実に沿ったものではない、単なるフィクションドラマなんで、どうでもいいか。
ああだこうだと蔑みながらも、なんだかんだで自分の故郷。
昨今ますますひどくなる現状に、なにもできずに歯がゆいばかり。
どうにか変えたいと奮闘している若者もいるのだが、
この自治体自体が堕落しきった筑豊の体質、
改善するにはもう半世紀以上かかるんじゃなかろうか・・・。
※本記事中、"たんこう”の漢字表記を「炭坑」と「炭鉱」とで意図的に使い分けています。
自分の勝手な解釈で、産業としての表記を「炭鉱」とし、
その施設,現場としての表記を「炭坑」としています。
そもそもこの二つの語句の使い分けが曖昧なようで、
自分の使い分けが正しいというわけではないと思いますので、混同されないよう。
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