毎年春の彼岸になると、うちのお母んが作るお菓子がある。
ピンク色に染められた もち米にあんが包まれた、逆おはぎのような和菓子。
中央の黄色い雄しべの部分は錦糸卵で再現。
本物のツバキの葉っぱが下に敷かれている。
その名も、“つばきごはん”。
中央に錦糸卵
物心ついたときから食べていた。
とはいえ、春の彼岸のときだけ。
年に一回のことなのだが、しっかり覚えていて、毎年楽しみにしていたように思う。
自分の無類の和菓子好きは、もしかしたら、この つばきごはんが発端かもしれない。
ぼたもち/おはぎ
彼岸で一般的にお供えされ食べられる和菓子は、ぼたもち。
もち米の周りをあんこで包んだ和菓子。
この時期に咲く、牡丹の花に見立てて、“ぼたもち”と呼ぶ。
これが秋の彼岸になると、呼び名が“おはぎ”に変わる。
今度はその時期に咲く、ハギの花に見立ててのことだそう。
中にあんこ
つばきごはんのルーツを調べてみたが、まったくヒットしない。
お母んは祖母(自分の曾祖母:ひいばあちゃん)から作り方を教わったという。
長崎県雲仙市愛野町出身のお母ん。
その地域だけで作られていたお菓子だろうかと思ったが、
地域を限定して検索しても探し出せなかった。
もしかしたら、お母んの家系だけで代々作られ、食べられてきたものだろうか?
もち米やあんこなんて高級で、昔はそうそう食べられなかっただろうから、
ひいばあちゃん考案のオリジナルお菓子かもしれない。
下には本物のツバキの葉が敷かれる。
姪っ子がお手伝いしたときのもので、錦糸卵が散乱している・・・。
これを作るとき、お母んに「ツバキの葉を取っておいで!」と言われ、
ふだんのお使いは お駄賃もらっても嫌々だったけれど、
つばきごはんのツバキの葉っぱ取りだけは張り切って行っていた。
ビニール袋を片手に近所の雑木林へ行って、ツバキのきれいな葉っぱを2~30枚むしってきていた。
自分は通学路途中にあった雑木林のなかからそれを採取していたが、
今思えばあれは雑木林ではなく、あの辺の名手の土地だったのではないかと思ったり。
最近は自宅のそばの雑木林のツバキから葉っぱを取っている。
実家を出て広島へ行っていた10年間をのぞき、
福岡へ戻ってきてからも毎年欠かさず食べている。
そして今年も、つばきごはんの時期がやってきた。
毎年楽しみにしているとはいえ、
「もうすぐ彼岸だ!」
「あと何日で彼岸の入りだ!」
なんて、何日も前から楽しみにしているというわけではない。
毎年気が付けば仏壇につばきごはんが置いてあり、
「ああ・・・もう春の彼岸か・・・!」
と、逆に彼岸になったことに気付くような感じ。
彼岸の入りが祝日で、甥姪が数人来ていたこともあり、
例年よりも大量に作られていた、つばきごはん。
お母んが腕をふるって作ったそれだが、大量に余る・・・。
甥姪たち、今の小さい子はめっきり和菓子を食べない。
あんこが嫌いでハナから食べない子も数人。
しぶしぶ食べる子も、食べてひとつ。
自分が子どもの頃、兄妹で競うように食べていたものだけど・・・。
そんな親たちの血を引いている子は少ないようだ。
甥姪が食べなかったぶん、自分に回って来るのでそれはそれで嬉しいのだが、
ちょっと寂しい気持ちになる。
お母んが元気なうちは、まだこれを食べ続けることができる。
一応、レシピはノートにしたためてもらっている。
自分が広島へ行くときに、お母んに書いてもらったもの。
けっきょく広島へ行ってる間、自分で作ったことはないけれど・・・。
お母んが台所に立てなくなり、これが食べられなくなってしまったときを考えると・・・。
いよいよ歩行がしんどそうなので、それも近いかもしれない。
故人を偲び、墓参りや仏壇の手入れをするお彼岸。
お供えものをして手を合わせる。
つばきごはんも、まずはお仏壇に供える。
お供えした先に、お母んが居るようになるのはまだまだ先であって欲しい。
そんなことを思いながら、今年は4個のつばきごはんをたいらげた。
そういや、まだ自分でつばきごはん作ったこともないけんね。
ヘタなもん供えたら、鼻で笑われるだろうからな。
もうしばらく猶予が欲しい。
ツバキ湯
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