>八木山BP故障車有り 通行止め
はぁ!?
通行止めだって!?
間に合わんやん!
休日の朝。
早起きして家を出て、国道201号線を福岡市方面へと走らせていた。
8時15分博多駅発の新幹線に乗って、
この春 高校を卒業した息子が、京都へと就職してゆく。
見送りのために、博多駅へと向かう道中だった。
飯塚市を走っている最中、設置されていた道路情報の電光掲示板。
その内容に絶望に襲われる。
飯塚市と篠栗町を結ぶ、筑豊エリアと福岡市エリアを結ぶ大動脈、八木山バイパス。
その片側一車線のバイパスが、故障車によって通行止めとなっていた。
すぐにコンビニに車を止めて、息子へメールする。
数日前に息子と会っており、その際、博多駅まで見送りに向かうことも伝えていた。
自分が来なくって、発車ギリギリまで待たせてしまうのは申し訳ないので、
発車時刻に間に合いそうにないことを伝える。
だが、望みは捨てていなかった。
バイパスがダメなら峠道。
八木山峠を抜けて、それから都市高に乗れば、ギリギリ間に合うかもしれない。
だが、バイパス通行止めの影響は大きく、多くの車が迂回路として峠道を通っていた。
まだ朝早いので、そこまで車は多くないものの、特急の路線バスまでもが峠道を迂回する。
博多駅までの時間を逆算していく。
八木山展望台を過ぎ、農産品売場のある、峠の真ん中付近まで来たところで、
タイムオーバーだと悟る。
この時点で、発車までの残り時間は20分を切っていた。
糟屋町から都市高に乗っても、もう絶対に間に合わない。
農産品売場の駐車場に車を止めて、元妻に連絡してみる。
先日話を聞いたときには、博多駅まで電車で行くと言っていた。
もう博多駅には着いている時間だったが、
息子からメールの返信もないし、荷物がいっぱいとか、
なにか理由があって、スマフォが使えないのかもしれない。
「もしもし。」
あれ?
息子の声?
元妻にかけたつもりが、なぜか息子が電話に出る。
「あれ?お母さんの電話じゃないと?」
「あ、そうやけど運転しようけん出られんけん・・。」
電車でなく、元妻が車で博多駅まで送っているという。
かくかくしかじかで、見送りに間に合わないことを息子に伝える。
妹から預かっていた、就職祝いや、甥っ子から預かった手紙なんかもあったし、
あっちに行けば手に入らなくなるであろう、
福岡はじめ九州のなじみのものを持たせてやろうと、小袋も用意していたのだ。
それらも直接渡せなくなったから、後日、小包と振込で送るとも伝える。
息子への手土産として用意した品々。
どれも京都じゃ手に入らないだろう。
妹と甥っ子から預かった、就職祝いと手紙。
出発当日に こんな熨斗袋で渡されちゃ、確かに迷惑だわな。
息子は淡々と答えた。
「荷物いっぱいやけん、送ってもらった方が助かる。」
まあ、そらそうだわな。
就職祝いも、現金をたくさん持たせるのも心配だし、
口座を教えてもらって振り込む方が安心だ。
寮は個室だとは言っていたが、大金を持たせるのは何かと危うい。
「・・・じゃあね、がんばりんさいよ!」
「はい、ありがとうございます。」
なんで父親に対して敬語になるのか解らないが、
なんとなくよそよそしい口調の息子。
先日会ったときは気丈に見えたが、やはり緊張しているのだろうか?
初めてのひとり暮らし、初めての他県での生活。
不安がないわけがない。
帰路に就くなか、自分が就職していったときのことを思い出す。
閑散とした無人駅、池尻駅。
そこへ家族全員が見送りに来てくれて、美術部の仲間たちも何人か来てくれた。
そうだ、そのなかには元妻も居たんだった。
確か・・あのとき撮った写真があったはず・・・。
部屋の奥、たくさんの段ボールに覆われてしまった棚の奥から、
埃被ったレターケースを取り出す。
まだアルバムに入れていない写真がそのまま入れられてある。
そのなかから、あの時の写真を探す。
1995年(平成7年)3月31日
就職のため故郷を離れ広島へ向かう。
出発駅 池尻駅のホームにて、見送りに来てくれた美術部の仲間たちと。
20数年前とはいえ、さすがに女の子は顔出しはダメだろうと思い、急遽Mii作成。
赤いジャケットの子が、数年後に妻となる・・・。
あった!
若いなあ。
元妻、よく見たら自分のそばに立っている。
ああ、そうだこれはあれだ。
真横の後輩ちゃんが自分にぞっこんだったから、
その間を元妻がおせっかいで取り持とうとして、なんかやってたんだったか。
けっきょく隣に並んでいながら、微妙な距離が開いてしまってら・・・。
一枚の写真から、すっかり忘れてしまっていたことが思い出さされる。
息子にも、こんな感じで女友達の見送りの子が居たかもしれない。
だとしたら、別居してた親父は行くべきではなかったかもしれんな。
そして家族で撮った写真も再確認する。
思い出した!
このとき親父、でかい声で万歳三唱したんだっけ。
あれは恥ずかしかったなあ。
1995年(平成7年)3月31日
就職のため故郷を離れ広島へ向かう。
出発駅 池尻駅のホームにて家族と。
・・・。
そんなことを思い出しつつ、息子のことを想う。
これから社会人として、艱難辛苦が待ち構えているだろう。
学生時代とは比べ物にならない、ハードモードになる。
仕事の厳しさ、お金を稼ぐことの大変さ、
学生バイトとは比較にならない、正社員としての責務と重圧。
1995年(平成7年)7月
広島県豊田郡内(現在呉市)のとある郵便局にて。
社会人一年目の夏。
がんばれ。
とにかくがんばれ。
でも、つらくなったら、戻ったっていい。
息子のことだから、たぶん大丈夫。
自分に似ず、淡々と、なんでもそつなくこなす男だから。
元妻にも感謝しなくちゃならない。
女手ひとつで、二人の子どもをよくも育ててくれた。
こんなこと書くと、このご時世、男尊女卑だの叩かれそうだけど、
やっぱり女性ひとりで子どもを育てあげるのは、想像を絶する厳しさだったと思う。
元妻の場合、両親や親戚に頼ることなく それをやってのけた。
彼女にもまた、これからの人生にエールを送らねばならない。
長きに渡って元妻に支払ってきた養育費も今月で終わり。
嬉しいような寂しいような。
だが そのお金も、今後はお母んの介護に回ることになるだろう。
自分の老後資金なんて夢のまた夢。
貧乏人ってのは、こうやってずっと出費に振り回される生涯なんだろうな。
1996年(平成9年)元旦
年賀状配達の出発式。
最後列が自分。
社会人二年目で後輩もできた年。
後輩たちのなかには、今じゃ郵便局長になっている者も。
自分も続けてりゃ、それなりのポジションに居たのかな?
そうだ、夏にでも京都へ行ってみようか。
京都は中学のとき、修学旅行で行ったきりだ。
まずはゲーム好きとして、任天堂の本社を拝むじゃろ。
修学旅行のとき行きそびれた清水寺に行くじゃろ。
でもって、天下一品の総本店でラーメン食って、
大好きなBONNIE PINKが焼き印をデザインした そば饅頭買って、
その他の和菓子をウインドウショッピングして、
宇治抹茶ラテと たこたまご食って、そして息子に会う。
帰りは八つ橋と京ばうむをお土産に。
よおし京都に行く機会が生まれた!
京都行くぞ~!
息子に会うためにだぞ。
天一食いに行くためじゃあないぞ。
和菓子食いに行くためじゃあないぞ。
2023年(令和5年)3月23日
就職前の息子と。
さすがに現代の姿は顔隠しとく・・・。
いいかげんMiiの髪型、変えんといかんな。
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