先々月、2月の末のこと。
まだ真っ暗な早朝3時半に起床。
4時に友人を迎えに行き、そのまま高速に乗り広島を目指す。
目的地は広島県呉市の南、瀬戸内海に浮かぶ小さな島々。
下蒲刈島,上蒲刈島,豊島,大崎下島。
20年前の春、高校を卒業して福岡を出て自分が就職した先だ。
当時は安芸灘諸島とでも呼ばれていたっけか。
今は"とびしま"と呼ばれているらしい。
上蒲刈島の海沿いに建つ、日高神社の一の鳥居。
呉市川尻から下蒲刈島に有料の橋が架かっていて、
そこからそれぞれの島々に橋が架かっていて、今や4つの島が陸続きになっている。
島を離れて15年。
これまで二度ほど島を訪れた。
今回で三度目。
疲れたとき,心が沈んでいるとき、何かあったとき、ふと行きたくなる。
それがこの島々。
故郷の福岡へ戻った自分の、第二のふるさとと言える場所。
悠々自適に過ごす島の人々。
海鳥の鳴き声に心地よい海風。
ゆったりとした時が流れ、
日々の疲れを、都会の喧騒を、この先の不安を全て忘れさせてくれる。
今回もまた、昨年末から色々あって衝動的に行きたくなり、
ちょうど「春に一日旅行こうや。」と言っていた友人を誘って、このとびしまを目指した。
だがこの日、濃霧で山陽自動車道、途中区間が通行止めになっていた。
仕方なく、徳山から一般道に下り、岩国から高速道路に乗り直す。
ちょうど腹が減ったので、この国道2号線沿いで朝飯をとろう。
だが・・徳山から岩国間、国道なのに、ファミレスがねえ!
ラブホテルばっかじゃねえか!
日高神社。
行くとこなくて立ち寄った。
岩国から高速に乗り直して、宮島サービスエリアで朝食。
牡蠣そばと、呉海軍カレーをいただく。
朝からがっつりだ。
対して友人は、尾道ラーメン。
しかも、スープをほとんど残す。
魚介と背脂の濃厚な味わい。
スープが肝の尾道ラーメンのスープ丸残しだなんて、コイツ解ってねえ!
そのまま広島東インターチェンジを目指すも、事故か?
広島JCTから先、渋滞していて車が列をなしているのが見えた。
まるっきり進みそうにない。
こりゃ広島東まで行くより、一般道に下りた方が早い。
そう思って、広島JCTで下りて、国道54号線に。
広島に最後に住んでいたのが、この辺りの広島市安佐南区。
懐かしい街並を見てこみ上げる。
「広島よ、わたしは帰って来た!!」
前に広島に戻ったのが、福岡西方沖地震のときだったから11年ぶりの広島だ。
途中、濃霧やら渋滞やら、トラブルがあったものの、
出発が早かったため、朝9時には呉市に到着。
呉市の中心部を抜け、焼山トンネルを抜け、広地区を抜けて、いよいよ仁方(にがた)地区へ―。
自分が島に居た頃、まだ本土と橋が繋がっていなくて、
フェリーや高速艇で、本土に渡らなくちゃいけなかった。
その玄関口が、この仁方港だった。
そこからバスに乗り、呉市の広まで買い物に出かけたものだった。
仁方を過ぎて川尻町にさしかかると大きな橋が見えてくる。
2000年に完成した、本土と下蒲刈島を結ぶ、安芸灘大橋だ。
さあ、いよいよ第二のふるさと、とびしまへ渡るぞ!!
橋へと車を進めると、道路脇の立て看板が目に入る。
「本日とびしまマラソン開催、全面通行止」
!?
まさか島に渡れない・・・?
料金所で通行料を支払う。
他にも島へと渡る車多数。
なんだ、行けるじゃねえか、ビビらせんなよ。
日高神社の手水舎。
手水舎に掲げられていた、手水作法の説明図。
昭和の少女雑誌のイラストみたいだ。
最後は柄杓の柄を洗わなきゃいけないんじゃなかったっけ?
しかし島に渡ってすぐ、下蒲刈で車を止められる。
黄色のジャケットをまとったスタッフに呼び掛けられる。
隣の上蒲刈島から先はマラソン大会の開催により、車両はもとより全面通行止めとのこと。
おいおい!ウソだろ!?
俺が行きたいのは、その先の豊島と大崎下島なんだよ!!
全面通行止めなんて聞いてねえぞ!
ふざけろー!
せっかくここまで来て、豊島に行けないなんてありえない。
車をここに停めて、ちょっと不便だが路線バスで行くしか・・・。
だがこの日、島民の足である路線バスも終日運休。
はぁ?!
じゃあ・・・じゃあ、船だ!
急いで港へ向かう。
宮盛港。
しかし・・この港、すでに廃止になっていた。
橋が架かって陸続きになり、島々もそれぞれ橋で連なったことにより、
とうの昔に海の便も廃止になっていた・・・。
広島市の宇品港や、大崎上島、愛媛の今治へと向かう高速艇は動いているようだが、
それは呉港などから豊島や御手洗を経由する便が出ているだけ。
けっきょく、行きたい島に行くことが叶わない。
おみやげに明太子持ってきてるのに、どうしてくれる!?
朝3時半に起きて濃霧と渋滞くぐり抜けてはるばる来たのに、どうしてくれる!?
楽しみにしていた友人も、あからさまに機嫌を損ねている様子だ。
歩いて渡るか?
とりあえず、車で行ける場所まで行ったものの、
マラソンランナーとスタッフ以外は進入できない。
応援者を装って、豊島へ進入できないかとも思ったが、
ランナーの家族らしき人達も、そこから先には入らず、
上蒲刈島にある海水浴場、県民の浜で待機している状態。
交通規制の解除は午後3時過ぎの予定だが、
全ての島に行けるようになるのは午後5時くらいになる見通しだとか。
とりあえず、下蒲刈と上蒲刈をぐるっと一周。
なんだこれ・・・。
自分が仕事をしていたのは、豊島と大崎下島の久比(くび)という場所。
知人も豊島や久比,同じく大崎下島の御手洗などに住んでいる。
隣の島だったので馴染みあって懐かしいとはいえ、
下蒲刈や上蒲刈には、はっきりいって縁はなく知人も居ない。
日高神社の本殿。
どうにもならず、豊島行きを諦め、
上蒲刈にあった古い神社を散策して、そのまま島を後にすることに。
途中、物産店に立ち寄る。
観光客でごった返していた。
マラソンの影響でこんな人が居るのかと思ったら、
周囲から聞こえてくるのは、豊島や大崎下島へ行きたかった人らの愚痴だった。
御手洗の重伝建地区に観光に来た方、豊島へ釣りに来た方、様々だ。
どこがマラソンを開催してやがんだ!?
周知が足りないし、なによりも全面通行止めはないだろう!
怒りがフツフツとこみ上げる。
翌日、このマラソンを企画・運営している、
呉市のスポーツ振興課へ苦情の電話を入れる。
若い男性スタッフが出た。
「全面通行止めはおかしい!」
「遠くから観光客も来る場所なのに、周知が足りない!」
「路線バスすら運休させるなら、臨時で渡し船を代替で運営するべき!」
5分以上、切々と苦情を言ったった。
申し訳なさそうに相槌を打つしかない、その若いニイちゃん。
なんの木だか忘れたけれど日高神社は、
この木の原生林がある貴重な場所だとか立て看板があった。
近年、観光スポットとして、ちょこちょこクローズアップされている、とびしま。
御手洗の重伝建地区が主な観光スポットだが、連なる島々全体が観光スポット。
その風光明美な景観から、映画やドラマのロケ地にもなり、
バラエティ番組などでもよく紹介され、島民が強烈なインパクトを放って楽しませてくれる。
タイにメバルにアナゴにタチウオ、釣り人には昔から人気のスポットで、
橋が架かってからは週末には たくさんの釣り客が押し寄せる。
そんな場所で、日曜を全面通行止にして、観光客をシャットアウトするなどあり得ない。
苦情を言った翌日、マラソンの公式サイトでお詫文が掲載された。
島を舞台に、いろんなイベントが企画されるのは嬉しいことであるし、
このマラソン大会も、これからも是非続けていってほしい。
だが、周知の行き届かない、遠方から観光に訪れる人のことも考慮して欲しい。
来年は、その辺りが改善されていることを切に願う。
ひときわ大きかった、その貴重な木。
帰りに、自分が最後に住んでいた広島市安佐南区山本地区に寄る。
この地域、一昨年の夏に大雨で起こった大規模な土砂災害で、壊滅的な被害を被った場所だ。
あの日ちょうど休みで、リアルタイムで固唾を飲んでそのニュースを観ていた。
ヘリコプターで上空から映し出される光景に絶句した。
自分の住んでいた場所が!
・・・土砂で無茶苦茶になっていた。
お隣さんは玄関がなくなって、大家さんの家も屋根しか見えていない。
自分は二階を間借りしていたので、かろうじてそこは無事なように見えた。
一階部分の大家さんの自営業の事務所は完全に土砂で埋もれていた。
すぐ裏では、小学生ふたりが犠牲になっていた・・・。
あのニュースから、いつか行こうと思っていた。
本当は長靴とスコップを持って、あのときボランティアで駆けつけようと思っていたくらい。
広島から福岡へ戻って、もう11年も経っている。
市街地から山道に入って、その山の斜面に連なる住宅地へ進む。
車が離合できない狭くて曲がりくねった道を登っていく。
何度か道に迷いつつも、辿り着いた!
大家さんも、その奥さんも変わらず元気そうだった。
物産店で購入した、上蒲刈島特産の海人の藻塩が入ったアイスクリーム。
マラソン主催者への怒りを抑えるべく食べてみたが、そんなんじゃ怒りは収まらなかった。
あ、アイスはさっぱりミルクにほんのり塩味が効いていて美味しかった。
話を聞くと、自宅も庭も大改修したらしい。
確かに、ここらのお宅、どこも庭や壁が真新しい。
あのとき土砂で押し流され壊され、めちゃくちゃになっていた。
それ以前の姿のまま、無事だった家はほとんどないのだろう。
それから、悲しいことに更地になった場所が点在していた。
修復せずに家を壊して、ここに住むのを諦め、よそへ越して行ったのだろう。
たくさんあった学生向けのアパートも、ほとんど空き家状態だとか。
大家さんも、住民が激減して寂しくなったとおっしゃっていた。
自分が住んでいた当時は、この安佐南区一帯、
広島のベッドタウンとして、人がどんどん増加していた。
近くに大学があるため、新築アパートがたくさん建てられていた。
山もどんどん上の方まで削られて、建売住宅が次々と建てられていた・・・。
あの土砂災害で、それが一変してしまったようだ。
明太子を大家さんに差しあげ、広島を後にする。
島に行けなかったのは残念であるが、大家さんらの元気な姿を見られ、
また復興している安佐南を見て安心した。
また近いうちに広島へ来よう。
広島は、やっぱりわしの第二の故郷じゃけぇ。
ふてくされ気味だった友人。
スモッグが発生していて、島の景観もすこぶる悪く・・・。
正直スマンカッタ。
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