昔、5月のザイテングラードで怖い思いをしているので、ゴールデンウィークに蝶ヶ岳登山を誘われた時は、正直躊躇した。登山コースについて聞いたり調べたりする間に、登山道の大部分が樹林帯の中を行くことが判り、若干気が楽になり連れて行ってもらう決心がついた。1日目は横尾山荘へ入るだけ、3日目は徳沢園から帰るだけとういう余裕のある日程も歳をくった私にはありがたい。
ゴールデンウィークの最中にもかかわらず車は順調に進んだが、さすがに沢渡の大駐車場は満タンで入れない。係りの案内に従い、少し奥の私設駐車場になんとか納まった。シャトルバスに乗り換え発車すると間もなく釜トンネルを通過する。拡張、舗装され昔の面影はまったく無くビックリ。いかに上高地方面にご無沙汰したかを思い知らされた。
14:25横尾山荘着。早々に宴会になり明日の登りに備えて力を蓄えた。
5/4 6:00発。いきなり急登が始まる。40分歩き標高1,800mに達した辺りで槍ヶ岳が見え初め辛い上りが少し慰められた。残雪は厚みを増し傾斜もきつくなる道を、励ましあいながら上ること4時間、樹林帯がようやく終る。穂高連峰をはじめとする北アルプスの核心部が広がっている。一刻も早く頂上に立ちたいのだが、ここからの道が結構長く感じた。好天と好展望に背中を押され10:18頂上着、素晴らしい眺めだった。前穂、奥穂、涸沢岳、北穂、キレット、南岳、中岳、大喰岳、そして北アの盟主槍ヶ岳。峰々を指差しながら思いっきり展望を楽しんだ。
この時の感動を忘れてはならない想いで原画を起こした。思うは易しく、画にするのはむつかしい。写真をベースにして、大まかに描いた山の輪郭線の中に岩(黒)と残雪(白抜き)を振り分けていくうちに辻褄が合わなくなってしまった。えい、やーでまとめることが私にはできない。割り切りができないので、いつも私の画がチマチマしてしまうのが判っていながら壁を破れず悶々とすることが多い。やむを得ず写真を拡大コピーしたものを原画とした。キャンバスの大きさには決まりがあり、よく使うf6号は410×318である。A3サイズはこれに近い420×297である。これ幸いと大きさをA3とし、高さ方向を115%に拡大して、より高く見せるように工夫したつもりだったが…。摺り上がりを先生に見てもらったところ「写真みたいだね」と一発で見破られてしまった。このひと言は、応えました。
それ以来、下手でも構わないから原画はシコシコ手描きして作成するように心がけています。見た通り、見えたように表現するなら、何もわざわざ版画にしなくても写真に撮れば良い訳です。大きな反省材料になりました。対象に巡り会った時の感想とか、想いとか、衝撃を切り取って板面に表せるようになりたいものです。
(2009年12月、IK記)
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2007年5月・蝶ヶ岳からの穂高連峰
【2024年10月記】
(2)仙丈ヶ岳で記したようにGWは地元の南アルプスに入ることが多かったが、2007年は北アルプス・蝶ヶ岳にと目先を変えた。こんな感想を会報に残していた。
実に30年振りの上高地入りだった。当時、電車、バスを乗り継いで上高地までで一日を要した(泊ったのは明神か?)が、交通の便は良くなって横尾まで余裕で到着。綺麗になった建物、大勢の観光客やキャンパーには驚いた。横尾からの尾根は、一本調子の急登だが、稜線に出た瞬間に広がる雪の穂高連峰の眺望は、圧巻の一言。離れ難い山頂だった。その見事な眺望と、美味しい食事(殊に徳沢園はステーキ!)、一本3000円のワインでの酒宴といい、全く豪華なゴールデンウィーク山行でした。
最初は南アルプスの三伏峠~小河内岳の予定で、山行を呼び掛けたが、参集したメンバーの人数、状況など勘案しながら二転三転しての本計画だった。結果、身の丈に合い(各々の努力や頑張りがあったのは無論のことだが)、かつ全員大満足で快心の山行となった。
ちなみにIK氏のこの画は、今でも私の仕事デスクの前の壁に掲げられている。
穂高をバックに肩を組むIK氏と私
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