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主に熊本市中央区の状況を元に書いています
震度6-7に2回見舞われました。4-5は数え切れない
1981年以降の耐震基準 「震度6強~7で人命に危害を及ぼすような倒壊」は少ない
前震直後のニュース映像をyoutubeで見た。「熊本県熊本地方で震度7」でスタジオの空気が一変した。住宅地や繁華街での阿鼻叫喚が頭によぎったんだと思う(益城はそうだったらしい)。実際はビル倒壊は少数で自主避難やレスキューが間に合い、ビルの倒壊による人命損失はない。外壁瓦電柱塀は落ちてるが、落ちていない安全なところが多く避難ができた。集団パニックも起こらなかった
津波がなかった。火災もほぼない。建物内に人がひしめいていない時間だったことは大きいが、繁華街の飲食店や商店に人いたんだよね。倒壊を起こすような被害でもそれが「多数でなければ」、避難も誘導も救助も間に合う。社会が保たれてると信じられる状況なら、緊張と恐怖はあってもパニックは起こらない。社会的な最悪は避けられた。これは運だけじゃないだろう
天井が落ちてるビルは多かった。柱や梁といった構造物ではなく天井ボードと照明が落ちたんだ。映像を見てると東北でも落ちてる。古い建物では一部損壊、多くはヒビや欠落で済んだ。一部損壊では柱が歪んで窓や扉が開かない。一般家屋では瓦も落ち全壊も出た。2度目の本震では耐えられない建物が多く出た。地盤の差が大きいようで、同じ地域でも被害に差がかなりある
熊本県・大分県を襲った大地震――そのとき商店街は【熊本地震現地リポート1】 | ハーバービジネスオンライン(パソコン版)
完璧な耐震まで期待するなら対応できる件数が限られる
現行の耐震補強も効果は充分あったと思う。耐震補強済みの避難所が潰れなかった。ガラス天井照明排水等が無事。あれが無事でなかったらグラウンドで過ごすしかなかったろう
近所の1階駐車場が潰れたマンションでは、本震時半数以上在宅だったと聞く。低層住人は周りの自主的な誘導で、高層はレスキューが救って人的被害はゼロ。いまも立入禁止のまま両隣は人が住んでる。建て替えは、管理組合の同意を避難先から集めるのが難しいと言う
二回の震度7にも、いきなり全壊しない建物と避難路、自立して誘導できる住民の備え、支援する行政それぞれが動けた。どれか一つだけならゼロでは済まなかったかもしれない
被災のイメージが実態と違うんじゃないか
実際に1度目の前震で落下物による重症は少なかった。こちらはゼロではないから完璧を求めること自体止めないよ。実現可能ならそれがいい。ただ予算と時間はそれに応じてかかるだろう。それより学校や病院といった避難拠点と避難路にカネ注ぎ込んだ方が早く整うと言ってるだけ
俺が避難した指定避難所の中学校、耐震補強されたばかりの教室と武道館は二日目の本震後も照明窓天井不安にはならなかった。音はしてたけどね。ただし体育館の照明と屋外廊下の屋根は落ちた。そこには誰も入れてないから実害なかったが、ここはこれからの課題だろう。学校や役場の耐震化率は100%じゃない
検証・熊本地震/2 庁舎耐震化に財源の壁 被災後使えず「想定外」(毎日新聞パソコン版)
要は行政とか耐震基準とか自助努力とか、どれか一つにだけに安全を求めるのは現実を変えられるだろうか被害を減らせるだろうかと言いたいのよ
ヒトの不安は死の恐怖から湧いてくるものだから永遠になくならない
いままでの震災体験をもとに行政も住民も企業も備え一定の成果はあった。全般に照明と天井に使われてるボードは対応すべきだと思ったし、ほかにも工夫の余地はまだまだあるよ。ただ、実態と違うイメージを前提に考えたところで現実には使えない
なんの限定もない批判で結果は得られない。不安から逃れるためにヒトは実のないコトバにすがる。市民会館の天井のが不安だなんとかしろとの批判に合わせ「きちんと対策しました」→一部損壊→「ほら見ろできてないだろう」なんて批判コンボはもう飽きた。この手の批判ごっこがよのなかに溢れすぎてるよ。批判することで満足できる人もいるんだろう。でも俺は死にたくないし実が欲しい
批判を続けたいだけなら永遠に続けることはできる。ウサは晴れるかもしれないね。でもそれでは実になった対策は「当たり前」で目に入らなくなり、不満だけが常に残る。実になるには時間とカネが必要なことは忘れられる。昔に比べ社会は私たちのものだ。良いことも悪いことも私たちに起因する。良ければその実は私たちのものになる。ただ誰かを叩くのは、少数の人間だけが社会を支配していた時代の名残だ。
これから不備をどう変えていくかと切り替える方がはるかにいいと思うね。私たちが実を得られるから(藤田 )
主に熊本市中央区の状況を元に書いています
震度6-7に2回見舞われました。4-5は数え切れない
1981年以降の耐震基準 「震度6強~7で人命に危害を及ぼすような倒壊」は少ない
前震直後のニュース映像をyoutubeで見た。「熊本県熊本地方で震度7」でスタジオの空気が一変した。住宅地や繁華街での阿鼻叫喚が頭によぎったんだと思う(益城はそうだったらしい)。実際はビル倒壊は少数で自主避難やレスキューが間に合い、ビルの倒壊による人命損失はない。外壁瓦電柱塀は落ちてるが、落ちていない安全なところが多く避難ができた。集団パニックも起こらなかった
津波がなかった。火災もほぼない。建物内に人がひしめいていない時間だったことは大きいが、繁華街の飲食店や商店に人いたんだよね。倒壊を起こすような被害でもそれが「多数でなければ」、避難も誘導も救助も間に合う。社会が保たれてると信じられる状況なら、緊張と恐怖はあってもパニックは起こらない。社会的な最悪は避けられた。これは運だけじゃないだろう
天井が落ちてるビルは多かった。柱や梁といった構造物ではなく天井ボードと照明が落ちたんだ。映像を見てると東北でも落ちてる。古い建物では一部損壊、多くはヒビや欠落で済んだ。一部損壊では柱が歪んで窓や扉が開かない。一般家屋では瓦も落ち全壊も出た。2度目の本震では耐えられない建物が多く出た。地盤の差が大きいようで、同じ地域でも被害に差がかなりある
熊本県・大分県を襲った大地震――そのとき商店街は【熊本地震現地リポート1】 | ハーバービジネスオンライン(パソコン版)
完璧な耐震まで期待するなら対応できる件数が限られる
現行の耐震補強も効果は充分あったと思う。耐震補強済みの避難所が潰れなかった。ガラス天井照明排水等が無事。あれが無事でなかったらグラウンドで過ごすしかなかったろう
近所の1階駐車場が潰れたマンションでは、本震時半数以上在宅だったと聞く。低層住人は周りの自主的な誘導で、高層はレスキューが救って人的被害はゼロ。いまも立入禁止のまま両隣は人が住んでる。建て替えは、管理組合の同意を避難先から集めるのが難しいと言う
二回の震度7にも、いきなり全壊しない建物と避難路、自立して誘導できる住民の備え、支援する行政それぞれが動けた。どれか一つだけならゼロでは済まなかったかもしれない
被災のイメージが実態と違うんじゃないか
実際に1度目の前震で落下物による重症は少なかった。こちらはゼロではないから完璧を求めること自体止めないよ。実現可能ならそれがいい。ただ予算と時間はそれに応じてかかるだろう。それより学校や病院といった避難拠点と避難路にカネ注ぎ込んだ方が早く整うと言ってるだけ
俺が避難した指定避難所の中学校、耐震補強されたばかりの教室と武道館は二日目の本震後も照明窓天井不安にはならなかった。音はしてたけどね。ただし体育館の照明と屋外廊下の屋根は落ちた。そこには誰も入れてないから実害なかったが、ここはこれからの課題だろう。学校や役場の耐震化率は100%じゃない
検証・熊本地震/2 庁舎耐震化に財源の壁 被災後使えず「想定外」(毎日新聞パソコン版)
要は行政とか耐震基準とか自助努力とか、どれか一つにだけに安全を求めるのは現実を変えられるだろうか被害を減らせるだろうかと言いたいのよ
ヒトの不安は死の恐怖から湧いてくるものだから永遠になくならない
いままでの震災体験をもとに行政も住民も企業も備え一定の成果はあった。全般に照明と天井に使われてるボードは対応すべきだと思ったし、ほかにも工夫の余地はまだまだあるよ。ただ、実態と違うイメージを前提に考えたところで現実には使えない
なんの限定もない批判で結果は得られない。不安から逃れるためにヒトは実のないコトバにすがる。市民会館の天井のが不安だなんとかしろとの批判に合わせ「きちんと対策しました」→一部損壊→「ほら見ろできてないだろう」なんて批判コンボはもう飽きた。この手の批判ごっこがよのなかに溢れすぎてるよ。批判することで満足できる人もいるんだろう。でも俺は死にたくないし実が欲しい
批判を続けたいだけなら永遠に続けることはできる。ウサは晴れるかもしれないね。でもそれでは実になった対策は「当たり前」で目に入らなくなり、不満だけが常に残る。実になるには時間とカネが必要なことは忘れられる。昔に比べ社会は私たちのものだ。良いことも悪いことも私たちに起因する。良ければその実は私たちのものになる。ただ誰かを叩くのは、少数の人間だけが社会を支配していた時代の名残だ。
これから不備をどう変えていくかと切り替える方がはるかにいいと思うね。私たちが実を得られるから(藤田 )