引用した記事は、「入試の意義」を大学側から書いたものです。試験は何のためにあるのでしょうか?
入学試験は、まず選抜のための試験です。定員の定められた入学試験では、志願者が定員を超えた場合選抜する必要があります。基本的な問題をマーク式で解答する大学入試センター試験は、この選抜のために利用されています。
しかし多くの大学で、記述中心の二次試験、小論文や面接、指定校推薦やAO入試など、選抜だけを目的としない入学試験があるのはなぜでしょう。
記事では、早稲田大学と慶応大学の小論文入試の変遷から、個性をみる入試から育成のための入試への変化を説明します。
ここから、「中学3年生のときに、行ってみたいと思う大学をイメージ」する意義もわかります。中学や高校で、なにをどう取り組むべきかも見えてきます。
(資料)難関高校に通う高校生の学習習慣、ここが違う
やや長めの記事ですが、中学へあがる前のいまご家族で読みあわせいただきたいと思います。(塾長)
>非常に極端に言えば、早稲田の一文に仄見え、実際多くの小論文入試導入校にあったのは、「受験学力では測れない地頭の良さや感性を測りたい」「個性豊かな新入生を採りたい」という思惑だったわけです。しかしながら小論文試験で測れる程度の「個性」などは、対策を立てて訓練すれば身につく程度のものでしかありませんでした。そのことに失望した大学は、小論文入試から撤退することになります。しかしながらそうした「個性」を真に受けず、小論文入試を普通の学力試験の一環として位置づけた上で継続していく大学も確実に存在していました。「小論文バブル」がはじけた後、自己推薦入試や社会人入試ではない、一般入試において小論文試験を実施している大学は、そういう発想で取り組んでいるとみることができます。
>ここで「小論文バブル」崩壊後にそれに入れ替わる形で、学力以外の尺度で受験生を評価しようという自己推薦入試について考えてみましょう。この手の試験にはしばしば小論文も課されますが、より重要なのは、大学入学前の高校生活その他で、受験生が何に取り組み、どの程度努力して、どれほどの成果を上げたのか、という実績調査です。これは直接には学力試験ではないため、見かけの上ではかつての「個性」重視型の小論文入試と似通った発想の上に立っているように見えます。しかしそれはあくまでも見かけだけのことです。自己推薦入試においては、狭い意味での学業以外の領域、例えばスポーツや芸術、社会活動において、受験生がどれほど努力し、何を学んだか、が評価されます。その意味でやはりこれは「天性」を評価しようというものではありません。自己推薦入試でも、一般入試の学力試験と同様に、普通の人間の平凡な努力が評価されます。そして、そのことによって、志願者、受験生に対して、何事かにきちんと取り組んで、広い意味で「勉強」することを促しているのです。
普通は「育成」というのは学校に入ってからの話であって、学校に入る手前の入学試験というものは単なる「選抜」の仕組みだ、という風にともすれば見えてしまいがちですが、実はそんなことはないのです。まっとうな大学と大学人であれば、入学試験を通じて、受験生の皆さんに勉強していただきたいと考えています。選別に耐えて残った合格者だけにしか関心がないわけではないのです。(ここまで引用)
2011年1月17日付学科主任挨拶「入試の意義」 (パソコンむけ)
入学試験は、まず選抜のための試験です。定員の定められた入学試験では、志願者が定員を超えた場合選抜する必要があります。基本的な問題をマーク式で解答する大学入試センター試験は、この選抜のために利用されています。
しかし多くの大学で、記述中心の二次試験、小論文や面接、指定校推薦やAO入試など、選抜だけを目的としない入学試験があるのはなぜでしょう。
記事では、早稲田大学と慶応大学の小論文入試の変遷から、個性をみる入試から育成のための入試への変化を説明します。
ここから、「中学3年生のときに、行ってみたいと思う大学をイメージ」する意義もわかります。中学や高校で、なにをどう取り組むべきかも見えてきます。
(資料)難関高校に通う高校生の学習習慣、ここが違う
やや長めの記事ですが、中学へあがる前のいまご家族で読みあわせいただきたいと思います。(塾長)
>非常に極端に言えば、早稲田の一文に仄見え、実際多くの小論文入試導入校にあったのは、「受験学力では測れない地頭の良さや感性を測りたい」「個性豊かな新入生を採りたい」という思惑だったわけです。しかしながら小論文試験で測れる程度の「個性」などは、対策を立てて訓練すれば身につく程度のものでしかありませんでした。そのことに失望した大学は、小論文入試から撤退することになります。しかしながらそうした「個性」を真に受けず、小論文入試を普通の学力試験の一環として位置づけた上で継続していく大学も確実に存在していました。「小論文バブル」がはじけた後、自己推薦入試や社会人入試ではない、一般入試において小論文試験を実施している大学は、そういう発想で取り組んでいるとみることができます。
>ここで「小論文バブル」崩壊後にそれに入れ替わる形で、学力以外の尺度で受験生を評価しようという自己推薦入試について考えてみましょう。この手の試験にはしばしば小論文も課されますが、より重要なのは、大学入学前の高校生活その他で、受験生が何に取り組み、どの程度努力して、どれほどの成果を上げたのか、という実績調査です。これは直接には学力試験ではないため、見かけの上ではかつての「個性」重視型の小論文入試と似通った発想の上に立っているように見えます。しかしそれはあくまでも見かけだけのことです。自己推薦入試においては、狭い意味での学業以外の領域、例えばスポーツや芸術、社会活動において、受験生がどれほど努力し、何を学んだか、が評価されます。その意味でやはりこれは「天性」を評価しようというものではありません。自己推薦入試でも、一般入試の学力試験と同様に、普通の人間の平凡な努力が評価されます。そして、そのことによって、志願者、受験生に対して、何事かにきちんと取り組んで、広い意味で「勉強」することを促しているのです。
普通は「育成」というのは学校に入ってからの話であって、学校に入る手前の入学試験というものは単なる「選抜」の仕組みだ、という風にともすれば見えてしまいがちですが、実はそんなことはないのです。まっとうな大学と大学人であれば、入学試験を通じて、受験生の皆さんに勉強していただきたいと考えています。選別に耐えて残った合格者だけにしか関心がないわけではないのです。(ここまで引用)
2011年1月17日付学科主任挨拶「入試の意義」 (パソコンむけ)