べんきょうなせん(='ω')

べんきょうは論理で考えるトレーニング
熊本県山鹿市中高大学受験の "あすく" です

ボスへの提言2

2016年06月24日 | 私事・未分類
使える内容かわからんけどね


「二十人集まらなかったら先生なんて名乗れない」

先日、元同僚と話していて出た言葉です。サラリーマン時代の先輩で個別コースの統括をしていました。退職後、山鹿で個人塾を開いています


知人の紹介から始め、在籍者の紹介のみで増やしました。卒塾生への働きかけはなし。チラシ配りもポスティングもしない。営業らしい営業をしていません。営業と帳簿を整えるのがキライで仕方がなかったからです

収入は自身で働いて受けとる分が全て。ゴハンを食べていけるだけは働かなくちゃなりません。家賃は低く押さえました。ひとを雇わないため自身の拘束時間がやたらと永い。教室に座っている時間はありました

経費が嵩まないよう、自ら学んでチャンスを広げます。一科目専門でやっていくには実績がありません。中学数学、中学理科と数学2、高校物理と順に増やすことにしました。結構楽しい。中高現役のとき理解できなかったことがわかるようなったから。普段の進路指導や質問に答えるにも、手応えがまるで違います

開校から六年が経ち知人の紹介が一段落する頃、また新しく学ぶことにしました。ブログを始めます。面談で個々に話していることをいつでも広く見てもらえるカタチにしていきます。読み手を意識し書き出すことで表現が向上し行き違いが小さくなります。ブログ単体での集客効果はありませんが看板や案内チラシ経由で見てもらい、わたしの考えを知らせることができます。ブログ開設三年目から毎年数人ブログ経由で入塾してくれるようになりました。頭打ちだった紹介の限界を越えることができました


現実は厄介です。容赦がない。自分が悪くはなくたって、適切に行動しなければ生き残れない。受け身でもいいのは景気が良いときだけです

ヒトは自分のことは直視できません。誰かや何かのせいにして目をつむります(勉強しない中学生の言い訳みたいに)。さらに先生という人種は「悪くない」ことにすがりがちだと思ってます

個人経営は勝手ができますが自分一人に全てがかかっています。倒れれば途端に無収入です。会社組織なら周りとの共有が面倒ですが個人の限界を越えることがきます。どちらを選ぶにせよ自身が現実と向き合う外ありません

現実に目を閉ざし一生震えてただ生きていくのか、自身や仲間とやれることを見つけやり遂げる満足感を望むのか、それはあなた自身が選ぶしかありません


五十名を越える集客でしたら、会社としての宣伝やブランドがものを言います。四十名までなら教務と熱意だけでも集客はできます。それを踏まえ

「二十人集まらなかったら先生なんて名乗れないよ」


営業すろことが正しいか正しくないかの話ではありません。営業は経験やチカラ不足を補ってくれす。営業をしない代わり、わたしは学びと表現することを選んだだけです。学びだって個人として限界があり、生徒と保護者に伝わらなければ自己満足に過ぎません

教室運営の主役は現場に立つあなたです。個人経営だろうと会社勤務であろうとこれは変わらない。二十人集められないのは、あなたの営業や学びいずれか、もしかしたらどちらも足りてないじゃないかと疑念があります

と、外野の先輩が言ってました


ボス一人では結果は出せないからあなたを雇い給与を払うわけです。行動して結果を出すのは教室のあなたしかいません。不足を補う知恵はボスが持っています。あなたにとことん付き合います

あなたのチカラ全てを使い、足りなきゃ学んで、まず二十人集めて見せてください(外野の先輩)

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