風にまかせてふわふわり。。。

生きていると色んなことがある。

長崎原爆投下の日に。。。

2010年08月09日 11時49分33秒 | 思うこと
今日は、先日の広島原爆投下に続いて、長崎でも原爆が投下された日。。。

なぜ、広島と長崎だったのか…。
呉港・佐世保港と、軍艦を作っている場所から近かったから…という話を聞いたことがある。

理由はどうあれ、一瞬にして何もかも破壊するようなモノを落としてくるなんて、何とも惨い話だ。
ましてや、広島でその状況を見ているに関わらず、再度落とすなんて…。


私が“戦争”について、考え始めたのは20代後半のこと。
自分の心と身体が疲れ果てて、動けなくなって… そこから立ち上がってから“平和”を意識したのは…。

恥ずかしいことに私は戦争について、それまで全くの無知だった。。。





戦争は、何も生み出さない。
人の身体と心に、大きな傷が残るだけ。
痛みと憎しみと苦しみの大きな傷。
それが、後世へも続いていくだけ。。。ただそれだけ。。。





去年の秋に亡くなった私の恩人が、亡くなる2ヶ月前にポツリポツリと戦争の話をし始めた。
まるで、ご自身の人生を振り返るように…。



当時の恩人は医学生。
その日は、体調が優れなくて上官である医師から「今日は休んでいいから、家に帰っておいしいご飯でも食べておいで」と言われたそうだ。
軍事作業を休んで、長崎市内から佐賀の家へ帰って行った。
それが、早朝のこと…。

そしてお昼前に、原爆投下。

佐賀の実家で原爆投下を知った恩人は、取って返すように長崎へ…。
投下の日から2日後に現地に戻った恩人が見たものは、原型を留めない宿舎や軍事工場、働いていた医療施設…。
焼け野原になった町並み…。
あちこちに転がっている死体…。

恩人は百数十人の同期の医学生の中で、ただ一人生き残ってしまった…家へ帰ったばっかりに…。
恩人は「僕はね、生き残ってしまったんだよ」と、悔いるように言った。


申し訳なさそうに、悲しそうに。。。






戦後65年経った今も、戦争被害に苦しむ人々は多く居る。
そして今なお、戦火に怯える人は世界各地に居る。

戦いからは、憎しみと苦しみと虚しさしか残らない。
もうやめましょう、武力によって押さえつけるのは…。




世界平和を祈ります。。。


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2 コメント

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こんな悲劇も… (まさやん)
2010-08-09 15:34:48
恩人の方の「生き残ってしまった」という言葉に、戦争の悲惨さがすべて凝縮されていますね。

聞いた話ですが、8月6日に広島で被爆して命からがら逃げた先が長崎で、3日後にまた被爆した、という人もいるらしいです。

ちなみに長崎は当日の第一目標ではなく、本命は北九州の小倉だったんだそうです。当日、小倉上空は雲がたれ込めていて投下目標が見いだせず、やむなく第二目標の長崎に投下したとか。
米軍は日本が降伏しない場合、さらに京都・東京・新潟も原爆投下候補地にしていたそうで、今にして思えば完全に国を滅ぼすつもりだったんでしょうね。

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まさやんさん☆ (たんぽぽ)
2010-08-09 22:02:48
「生き残ってしまった」って言葉が、何とも言えず悲しい響きに聞こえるでしょ。
恩人は、被爆者手帳の申請もあげなかったそうで、生きてても申し訳なさでいっぱいだったのでしょう。
この話を聞いて、私は伝えられる場所では、伝えていかなければならない…と思いました。
それが、恩人に対する私の恩返しであるとも感じています。


小倉・京都・東京・新潟。。。
想像するだけで、恐ろしく身震いします。
酷い話です…。
が、日本もそれだけ酷いことを各国へしていた…ということでしょうか。

強く平和を望むばかりです。

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