アメリカがクシャミをしたら、アベノミクスで浮かれていた日本の株式市場も発熱してしまい、浮かれ騒ぎは終わった。流入していた外国資本は、株高で浮かれていた日本人投資家がウキウキと株式投資を行う姿を横目に、利益を確定させて売り抜ける。あとに残るのは売り抜けを許し、損だけを押し付けられた日本人だけ、という事態に立ち至っている。
三本の矢のうち、その三本目の矢である日本政府の経済政策は、その昔、小泉構造改革時代の政策との違いがまるっきり分からない程度である。しかも、掛け声だけは勇ましいが、実際に何をどうするのか、具体的な道筋が見えない。願望だけなら誰でも言える。財政と金融の手は打ったが、経済政策は経団連と新経連との折衷案であり、既得権を守ろうとする立場の人間と、その既得権によりビジネスが展開できないため規制緩和を求める立場の人間の双方に言い顔をしているために、すべてが中途半端となっている。
例えば発送電分離の問題である。スマートメーターなどを使い、電力の自由化により発電などに加入したい側と、分離を回避し、既存のシステムを守り、発送電分離には反対する電力会社を中心とた旧来の勢力とでは、明らかに立場を違えている。
こんな違いがある双方に良い顔をしてみせる「骨太の方針」とやらが、骨だけで肉付けができぬものとなっているのは否めない。骨が太くても筋肉が付かないと、体は動かないのである。
利益相反する立場は、製造関連と流通関連との対立でもある。かって、池袋のビックカメラ本店では、たしかキャノンだと思われる東京本社営業部あたりの課長クラスの中年男性が、二十代そこそこの販売チーフに「こんな高い仕入れでは売れないんだよ、ヨドバシでは同じものが***円だって?」などと頭ごなしに怒鳴られ、責められていたのを見知っているだけに、メーカーと販売店との力関係が、今や一方的なものとなっているのを感じるのだ。特別な人気を持つ商品でもない限り、メーカーは販売店、特に量販店におんぶにだっこであることを如実に示している。
売るほうは、性能が同じ、使い勝手が同じなら、日本製でも中国製でもインドネシア製でも構わないのである。マーケットがグローバル化するということは、生産・製造もグローバル化するとういことであり、日本製が明らかに高性能である、という時代すらもコンシューマ向け製品では無くなっているのが実情である。それは買う側だって、特に若い人は国産や外国製などは問題ではない。人気のiPhoneは米国Apple社の製品だが、製造している国が米国かどうかは分からない。中国やマレーシア、シンガポールなどは米国Apple社の製品や部品を作ったりしている。使えれば気にしないのである。
PCなどは、エンブレムは富士通だったりNECだったりするが、内部のマザーボードが台湾製だったり、マザーボード上の部品が中国製だったりもする。
そんな中で、安倍晋三さんは何をどうやって、日本の産業を振興していくのか。
しかも、日本は少子高齢化であるにも関わらず、保育園には待機児童が溢れているのである。横浜市は待機児童が無くなったというが、保育園を諦め、仕事を諦め、育児を専業にしなくてはならない潜在的な待機児童が存在している実情を考えてもいない。安倍晋三さんは女性の力を発揮して貰う、などという。まさか、横浜市の待機児童ゼロ実現という報道を、実情を無視して額面どおりに受け取ったのではあるまい。
三本の矢は放たれたのだろう。二本目までは届いたのかも知れない。ただ、三本目の矢が的を射抜いたかどうか、あるいは的外れだったかどうか、すぐにでも結論は出る。で、三本目が的外れだったら、二本目の矢までの無理が大いに今後の日本に祟るのは間違いないだろうなぁ。