上田秀人の奥祐筆秘帳シリーズも、冥府防人と柊衛悟の戦いに決着がついて終わり、一応の大団円を迎えて終える。
上田秀人の作品が素晴らしいのは、「この時代小説が凄い」で第一席を獲得する前から、別のシリーズ「竜門の衛」から始まる三田村元八郎シリーズを愛読していただけに、さもありなん、という思いだったのだ。
奥祐筆とは江戸幕府に於いて、不偏不党の立場で前例にあたって物事の処理を行う能吏である。忠誠を誓うのは、幕府に対してのみで、必ずしも将軍個人に与するものではない。
主人公と見られる柊衛悟だが、それは正しくないのであろう。明らかに奥祐筆組頭である立花併右衛門こそが、このシリーズの中心にある。不偏不党の能吏である奥祐筆が、田沼意次が将軍継嗣家基を暗殺するために使った冥府防人こと望月小弥太を、十一代将軍家斉の父である一橋冶済が、自身の野望のために保護し、手先として使うことから物事が始まる。
将軍家継嗣の暗殺などは表沙汰にはできない。無論、家基が亡くなった史実はあるのだが、それが田沼意次の仕業であると確定した史実は無い。小説だからこそ、もし仮にそれが事実であり、そのために十一代将軍が家斉になったのだとしたら、その父である冶済が将軍であってもおかしくなかったのである。
そこに、田沼意次によって御三卿の田安家嫡子から放逐され、白川藩藩主とならざるを得なかった松平定信が絡む。田沼意次は零落し、松平定信も老中の地位を離れた後から話は始まるのだが、前述のような時代状況と背景が前提となって物語りは進むわけである。
柊衛悟は柊家の厄介叔父、つまり婿入りさ先も無い、中堅旗本の次男である。しかし剣の腕前だけは、相当に高い。江戸城中での権力闘争に巻き込まれた隣家の立花併右衛門の、登城、下城の際の用心棒として雇われるところから話は始まるわけだ。
奥祐筆は江戸城中での様々な仕来りや前例などを覚え、許認可発行の事務手続きのすべてを行う。今で言えば官僚そのものであり、政治家である老中などの政策決定にも、前例に反する事柄がある場合には、異を唱えることができるし、決済を行うことそのものを、遅延させたりすることもできる。つまりは、実質的な江戸幕府を支える屋台骨である、とした上での物語りの構築である。
言わば、現在の官僚機構では、事務次官という立場に立つ存在だといえる。味方につければ、様々な政策的措置も容易となる。奥祐筆の直系の上司は老中ではなく将軍なのだ。奥祐筆による認可・認証は、すなわち将軍による認可・認証の制度そのものである。この奥祐筆を独自の立場として設置したのは、将軍親政を行った徳川吉宗だという。それまで幕閣と呼ばれる老中などの集団指導体制が、時として「会議は回る」常態となり、何も懸案が解決されない状態となった姿を見た吉宗は、意思決定の加速と、将軍の権威の再構築のために親政を布いた。その親政のためのツールとして奥祐筆が創設されたというのである。言わば、将軍の公的な秘書兼シンクタンクというのが奥祐筆である。
当然ながら、秘事についても詳しく、目付などと同様に不偏不党でありながら、口外無用のものには秘して語らぬことが前提となる。しかし、権力を欲する人間にとっては、その秘事こそが、自分の権力を増大・延命させるためには必要なのである。
こうしてみると、このシリーズは、ある種の現在の政治と官僚の関係のカリカチュアであるといえる。だから面白いとも言えるのだ。上田秀人が描く主人公の立脚点、主人公から物語る世界の見え方は、高い地位から見下ろした俯瞰的世界ではなく、庶民に近い、いやほぼ庶民と同じ目線から見える、個別具体的な社会である。それが俯瞰的で独善的な見方をする巨大な相手とまみえる世界を描く。蟷螂の斧のような戦いであっても、自分自身の立脚点を見据える主人公がある。
実は、底辺から見る時代小説とうものの多くは、上田秀人が描く主人公よりも、よりペシミスティックなものが多い。柴田錬三郎が描く眠狂四郎はシニカルな立場を崩さないし、峰隆一郎の描く刀根又四郎は更に投げやりな存在である。対して上田秀人の描く柊衛悟にしても三田村元八郎にしても、実に前向きである。藤沢周平の小説に出てくる主人公でも、もう少し後ろ向きだろう。これがどうにも信じられない。昨今の乱造される時代小説の中では、細部に神経が行き届いた作品を著す上田だが、私生活はきっとそれなりに満ち足りているんだろうなぁ。