
久しぶりに「石」登場~
石を見ればホイホイ寄って行く、河原や海辺、山や森と、自然の所有物であれば手にとって、相性よければ持ち帰る。
そんな石好きの私が目にした陸橋下の石。
え…こんなところに?

「丸い礎石は仙台藩伊達家の上屋敷御殿の土台として使われていたもの…」
言われのある立派な石。
人目につかない陸橋下の暗がりに…しかもこんなふうに固められ、自由を奪われ気の毒に、さぞ切なかろう…。
石なんだから、こんなふうに固定しちゃえ、紛失を防げるし掃除も楽だろ。
そんな考えなんでしょうか。しかしなぜここに?
調べました。

開府以来、汐留の地は埋め立て造成が行われたそうです。
つまりは、ここは海だった。
そうここ汐留は海の近く、時々潮の香がするんですね~
銀座方面より、脇坂家屋敷、伊達家屋敷、会津藩屋敷。
さらに、浜松町側は、森家屋敷、関家屋敷、江川太郎左衛門大小炮習練場。
ここの開発に当たって進められた調査で分かったことは、
これらの大名方々の江戸屋敷内の様々な施設の跡が発見されました、そうです。
屋敷で使用された生活の品々が掘り出され、それを「遺跡の出土、発掘」とされているところに、私「!」と思いましたね~
上屋敷の暮らしぶりがわかる、貴重な調査であったわけで、遺跡。
遺跡なんですこの石。
江戸時代⇒遺跡 といった意識がなかっただけに、私、凡人でした。
つまり、橋の下に閉じ込められた、封印された石に哀れを感じる必要などないわけで、石が伝えたいことは…つまり、
「忘れますな皆の衆、ここに我が伊達家の屋敷あり~」とガンと「石」はおっしゃっていたのでした。
ははぁ~ん…
石との交信には自信があったのにな…
