華道。はじめてから30年になります。
先生は、友人で華道家元池坊でお教室を開かれている二代目さんです。
華道をはじめた当初、自分は三人の子育て真っ最中で、仕事と勉強もしておりました。
自分の力量と器を越えてしまったようで、時間があれば身体を横にする始末でした。
友人は、花が好きな自分に、毎月おしゃべり中心に生け花を教えに通ってくれました。
五、六年、毎月つづけてくれました。それに癒され、おかげさまで仕事をつづけることができ、
家庭にも支障なく過ごすことができました。いい友人をもって自分は幸せです。
前回はお正月前に伺いました。コロナ禍で、お互い、どうかしらと思ったのですが、
昨日、再会しました。華道は、お花と向き合うものですが、ほぼ自分と向き合うものになります。
先生がお花を用意してくれました。お正月の花がまだ手に入らないので松を中心にして華やかにしました。
自分が生けた花は平面的になってしまいました。。。いつものことです。
先生に手直しをいただいているところです。⇓
平面的になるということは、今の自分の心の状態をあらわしてます。物事を平面的にとらえるということ。
前から見る姿や形にとらわれるあまり、本質を見失っていく、、、ということです。
華を生けると、そこが先生に分かってしまいます。
自分の尺度で物事を小さく測ってしまうかどうか。。。花とともに見つめていきます。
しっかりと見る目、聴く耳、心の中心を対象の真実の姿に向けて、そのように花を生けるようにしていきます。
。。。むずかしいです。年月かけて花に慣れればいいのではないのですね。
先生はおっしゃいます。
「花と花のあいだに風が入るように。。。同じ花を一カ所にあつめない。。。互いの花はそっぽを向かない。
なかよく置いて、なごやかに。。。一本一本の花の形を活かして、こう。。。空間に広がりをもって。。。
もっとのびのびと。。。」
剣山を見られて「足許は美しく。。。きれいに剣山に立てる。。。」
お見通しです。。。お恥ずかしいことです。
人の目は外に向かって付いているので、なかなか自分の中は見えませんが、生け花に投影されるので見えてきます。
知らない自分が見えると、一瞬驚きです。そしておちつきます。だんだん嬉しくなるから生け花に魅了されていきます。
今は毎月のお稽古はきちんとできませんが、生け花は楽しく、そしてそれが生活にも反映されるのでつづけております。
先生の作品です。先生はものの見事に、あっという間に生けられました。。。
写真で生けた花を撮るのはむずかしいですね。。。この空間が。。。
やなぎ、ロウバイ、葉ボタン、アスパラガス、ゼラニウム、ヒペリカム、ブルーアイス。。。そしてツバキです。
茎をテープやワイヤーで矯めて(悪い癖を正しく直す)、剣山の中は整然としてます。。。
まだ家元のところで学んでいらっしゃいます。もう四十年もされていて、それでも「まだまだ」とおっしゃる。
健康が一番ものをいう、できるところまでと。すばらしいと思います。
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夕方からお稽古でしたので、帰宅したのは九時近く。それからやるべきことをやって気づいたら二時を過ぎ。。。寝ようとしたら、
カサっと音がしたのでΣ( °o°)、、、シンくんが走って行き、、、顔を近づけてニャニャニャニャとかじりつきそうだったので、、、
もしかして、、、またもやヤモリ? と思ったら、、、カメムシです。苦手なかた、写真⇓すみません。
。。。いちおうゴム手をして、テッシュで包み、これは外に放りました゚゚(´O`/)°゜゚
*いつも拙い文章を読んでくださりありがとうございます。
毎日みなさまのブログを楽しみに、また励みにし、拝見させていただいております。
今日は所用で帰宅がおそくなりますので、予約投稿させていただきました。