「ついてる!」と、思っていたことが実は、
「ついてない」・・・ってこと、ある。
部屋のカーテンに、なんだか増え続けるピンバッヂ。
また増えました。
「やった。 いい日に買えた…記念だ」
これをカーテンに、付ける。
家ではヒンシュク、と思いきや、
それどころか誰一人気付いてくれない。
残念。
あれこれ、うんちくを語りたいのにねえ…
しかたない、
カーテンに付いているピンバッヂを眺めて独り、今日一日をホッと一息する。
「さて、コーヒーでもいただくかね」
考えるに、このカーテンに付いているこの子たちには、
いろんな思い出やルーツがあって、それぞれが「ついてる」時に
購入したもの。
したがって「ついてる」の標本、といったことになりますわね。
「ついてる」が集って固まる。
ちょっとした栄光じゃないか。
「栄光のカーテンよ」と満喫。
ちんけな「ついてる」バッヂを眺めて思うに、中には…
そのとき「ついてる」と思ったことが、何年か後には「最悪」だったりしている。
あの時、これ買わなきゃよかった…な…
つまり、そんな類の「ついてる」
だから一喜一憂たちも含まれている。
ぬか喜びってやつは、世の中にどんだけはびこっているのだろう。
それもこれも、今に辿れば良き思い出…だけどね。
なにごとも経験に優るものはなしで、今の自分にはいい肥やしになったわけで。
その証拠に、苦手が少しずつ減ってきたわけだし。
つまりちょっと軽い。
軽くなれば、プラスに物事考えられる、はず。
あっ、一つ落ちそうだ…
あれ?
プーさんのピンバッヂが付いてない。
どこだ!
ない。
付いてない…
たしか、あのピンバッヂは、子どもが留学する日に貰って付けた。
無事を祈る意味もあり、成長する門出を祝って付けた。
その子が、今年の夏、また、
一度断念した留学先に遊びに行くらしい。
できれば年中行きたいらしい。
お年頃でもあり、あちらで結婚なんてことも考えられる。
まさか、日本脱出を考えているのではないかと、バッヂを探す。
付いていたはずなのに、付いてないバッヂに、
「自分よ、プラス思考になれ」と
必死で探す母になっていた。