1月に歩いた西高野街道を 今回続いて歩く この街道も堺から南に歩くに従い街道らしい豪壮な家が見られる。
(西高野街道を行く、 前ページ参照)
屋根の作りが独特 なにのため このような構造なのだろう
この石柱は酒や肉を持ちこむ事は許さずと云う事でしょうか 教えて下さい
福をもたらす七福神の神様が屋根に祀られていた
道中で一番 気にいったもの できれば我が家にもこんな神様をお守りしたい
この辺りから高野街道と呼ぶようになる
京の都と仏教の聖地高野山を結ぶ高野街道は平安時代の皇族、公家や,中世から盛んになる
武士、庶民の高野山参詣に利用された
江戸時代 ここに当時錦部郡(河内長野一帯)に領地を持っていた膳所藩の代官所がありました。
高野街道 三日市宿 弘法大師常夜燈
弘法大師が開いた高野山に多くの人が参詣するようになったため 徳川幕府は大阪と高野山の中間地点であるこの地に
三日市宿を設置し、この後,旅籠等が建ちならぶ 伝馬宿駅として、たいへん賑わった
この常夜燈は、明和7年(1770年)建立された。
高野街道もこの辺りになると昔の面影のある建物が多い
今回は三日市駅までで終わり。
次は峠越えが待っている