今日は、週刊文春の発売日です
早速買ってきましたよ〜
新【家の履歴書】54㌻〜57㌻まで
4ページにわたります (取材・構成 岸川 真)
ざっと一読しましたが、また ゆっくり読んでみたいと思います。
さて、昨日も母の事で忙しかったけど、
夜には、2回目を読む事ができました
ので、追記しました。
「ミュージシャンになろうなんて、
露ほども思ってませんでしたよ。」
この一行にドキッとしました。
中2の頃に、ベンチャーズにはまり、
エレキギターを買って貰い、
お仲間と「パイプライン」とかを
弾いていた。
そんな来生さんが17才の頃に、
姉のえつこさんの詞を見つけて、
曲をつけてみた。
これが後に♫サラリーマンという
曲になりましたね。
そして、高校を何となく😅卒業し、
この時点では、将来像は明確には
決まっていなかったんでしょうね?
二十歳になる頃に、ぼんやりと作曲家になりたいと思うようになった。
と書いてありますね。
この頃から、
ヒットメーカー・いずみたくさんに
弟子入りしようと思い立ち、
お宅まで伺いましたが、
弟子はとっていないと断られた。
来生さんて、思い立ったら実行に
うつすんですね。
ほんわかしているようにお見受けしますが、
やはり意思の強い御方なんですね💞
そのあと、音楽学院に通い…。
ポールマッカートニーの曲に感化され、
ピアノのレッスンにも通い、
紙鍵盤で、一所懸命に練習を
された、とありますが
これも、すごいですよね!
音も出ない紙鍵盤ですよ。
脳裏で音を想像し、確かめるしか
ないわけで、これって普通人には
出来ないと思うんですよね。
井上陽水さんのバックで、ピアノを弾いていた時に、
陽水さんを通じて、知り合った、
プロデューサーの多賀英典さんとの
出会いが、人生の分岐点になったのかも知れませんね?
曲づくりだけをしていたとしても、
作曲家という仕事で、
多くのミュージシャンを通して、
今も尚、御活躍されていらしたとは
思いますが、
そしたら、私は来生さんに出会って
居なかったと思う。
そしたら…大袈裟な言い方かも知れないけど、
私の人生も大きく変わっていたし、
日々の潤いや、楽しみ、希望さえも
感じず、
寂れたつまんない人生だったんだろうな…。と、しみじみ思ってしまいました😅
亀渕友香さんへの提供曲
🎵酔いどれ天使のポルカで、
作曲家デビュー。
その、
2年後に、歌手としてレコーディング…。
ミュージシャンになろうなんて、
露ほども思っていなかった のに、
レコーディングを…。
この時に、どんなお気持ちで、
されたのか?
宣伝で、メディアへ出ざるを得なくなったとありますが…
御自身で歌う選択肢は、
どうだったのかしら…。
まさか嫌嫌じゃなかったですよね😚?
どなたかに、歌ってもらう、
あくまでも、作曲家という事はせず、
御自身で歌われた。
ここで、未来を見据えて、相当な決断を
されたのでしょうか?されたんでしょうね。
この分岐点の御気持ちを、
お訊きしてみたいです。
と思うのは、私だけでしょうか?💦😅
そして、昨日は清瀬へ行って
来生さんが、中森明菜さんへ
提供された、
🎵セカンド・ラブ🎵駅ホームの発車メロディを聴いてきました😄
♫〜恋も二度目なら 少しは器用に〜
もう少し長く聴きたいわ〜😆
動画のアップが出来たら、追記します
Xに、アップしてくださったかたに
お借りしました(ありがとうございます)