わたくしごと二年続きの喪中のため、新年の御挨拶にかえて・・・・
寒中御伺申し上げます
ということで(笑)ぼちぼち皆様のところへも御伺いたしますので
どうぞよろしくお願いもうしあげます
今夜の一曲は 【セカンド・ ラブ】
1984年?
流石に来生さん お若いわ~!
第三回作曲大賞で大賞受賞。 受賞曲が このセカンド・ラブです。
ポール・モーリアは、必然性を感じないという理由で日本のアーティストからのプロデュース依頼を断っていたが、
来生の楽曲と自身の編曲は合うと感じ、東洋と西洋の“幸せな結婚”を成し遂げられるのではないかと感じ、
引き受けたというファンクラブ会報のダイジェスト誌『DECADE』(1984)。
結果、ポール・モーリアのプロデュース及び全編曲による邦楽のヴォーカルアルバムは、この1枚だけとなった。
ポール・モーリア曰く、来生は“一見シンプルだが人の耳を惹き付ける明快でロマンティックな音楽を創るアーティスト”であり、
そのメロディーとヴォーカルが持つオリジナリティーに尊敬の念を抱いたと述べ、
その作品は多少ヨーロッパ的に聞こえ、もし[[フランス]]人が歌ったらフランスの楽曲だと思われるかも知れないが、
そのメロディーが持つセンチメンタル且つロマンティックな雰囲気はフランスにはない日本的な響きに聞こえると語っている
ポール・モーリアの作業は、全歌詞をフランス語に訳させるところから始まった。
最も神経を使ったのがストリングで、来生作品の魅力を生かすにはバイオリンによる[[コントル・シャン]]([[対偶主義]])が
一番と考え、対するリズムアレンジは現代的なものとした。この組み合わせは大成功だったと語っている.
一方、来生は1984年[[9月14日]]から[[10月2日]]に掛けて渡仏し、
ポール・モーリアがよく使用していたパリの“スタジオ・ダム”でヴォーカルのレコーディングを行った。
自作品のメロディーを生かしてくれる美しいストリングを嬉しく感じたという。
上記提供:くまこさん
今年はじめてのお弁当・・・質素(笑)