この本も非常に興味深い。
しかし著者が僕と同い年だと気づいてちょっと衝撃。。この年齢でもここまでの知識に到達することができるんだな。。
さて
上巻では人類種の起源から認知革命、農業革命を経て文明社会を気づき上げたホモサピエンスの歴史を概観した。
この下巻では文明を高めた(あるいは限界を規定した)宗教の発達と世界宗教としての成立。
そこから、振り返って、
中世までは、貧しい後進地域に過ぎなかったヨーロッパがなぜ近世に至って科学文明に目覚め世界を席巻するに至ったか。
そしてそのマニフェストデスティニー自認が引き起こした人類の悲劇を振り返り、
果たして文明社会は我々個人を幸せにしているだろうかを見つめなおす。
中世の王侯貴族よりも格段に快適な生活を謳歌している我々現代の中産階級は、その自らの欲望を満たすことが果たして幸せの道だろうか。
ヘドニック・トレッドミルの無限の円環に絡めとられ続けるだけのむなしい幻想ではないのか。
果たして中世以前の神と現代科学との差は何か
神は「我は全知全能なり、無謬なり」「疑問は不敬なり」とすべての進歩を封じ込める。
科学は「いま見つかっているエビデンスからはこの結論が導けますが、これを覆す理論が新たに生まれるかもしれません」と常に自らの無知を認め続ける。
この差が、文明の進歩速度を指数関数的速度に引き上げた。
そしてあるとき、人類は、「未来を信じる」「取引相手を信じる」ことによる『クレジット』という手法を本格的に使い始める。
これにより人類はその生産する食糧・エネルギー・価値の総量をこれまた指数関数的速度で増加させた。
ある時期人類は、その指数関数にもどこかで限界点があり破滅が訪れる未来像を空想したがそれは来ない。
いつかシンギュラリティを迎えた人類は新たなる主・ホモ・デウスとして新たなる世界を創造することになるだろう。
それは人類が生物的な形を成すにとどまらずSkynetのようなメタ的生物であるかもしれないし、ネオテニー化した次世代のことかもしれない。