つぶつぶタンタンに愛猫太陽のことを綴るのを楽しみにしています。覚えていることを綴っておきたい。あたしの物語という言葉に甘え、勝手なことを書かせていただいています。
この場を使わせていただけること、感謝申し上げます。
太陽にはいろいろなことを教えてもらった。普段の生き方について、人との対応について。
そして太陽の死を通しておもったのは、どうやって生きたいかという根本的なことだった。
以下、つれづれなるままに。
つい、大切なことを先延ばしする癖がある。
大切だからこそ失敗したくなくて、腰を入れてとりかかるために、周りの(自身にとっては)些末だとおもわれることを先に片づけていく。そして、なんというか、成功確率を上げようとする。けれども実際は、その成功確率をあげる作業ばかりやっていて、勝負しない。いや、勝負はおろか試そうとすらしないかなあ。次々とダメ出しばかりする。非難されるのがこわいのだ。そうすると、気づけばチャンスを逃したり、疲れていたり、ほかのことに気がいってしまったりしている。
これやめたいとおもった。やりたいことからやっていくようにしたい。
どの一瞬一瞬も大切だから、自分にとって大切なことに心を注ぎたいとおもった。
太陽が死ぬ前のころのあたしはちょっとそうじゃないところも多々あった。なんだかまどころっこしい表現になってしまったけれど、自分比では大いにそんな感じだった。
人間はそんなに多くのことを同時に考えることはできない。何か心配事や心にかかることがあると、そのことばかり気にしてしまう。紙に気になることを書くなどして多少はそれを軽減できるし、積極的にその手段を活用したいけれど、そうはいっても限りがあるというか、それは小手先の対策なのだ。
根本的なことではない。なんかね、大切にしたいことを大切にしたいのだよ、とおもった。それは自分ひとりについても、一緒にともにすごす空間や時間についてもそういえる。
他人の目を気にしすぎないようにもしたいとおもった。
ついこれをやったら相手にどうおもわれるかとか気にしています。集団に属しているわけではないのに、いつの間にかこうなっている。これは正直、過去の影響がかなりあるとおもっている。とはいえ、過去を変えるには、今が変わるしかない。丁寧にみていきたいし、もちろん、エネルギーでもアプローチしたい。あたしにはこういう癖があるということを覚えておく。
ぜーんぶ、あたしがよく人に言っていることなのにねー。
太陽の四十九日中はこういうことを丁寧にひとつずつ、ゆっくりと考えていくつもりでいた。
なのに、コロナを気にして、そわそわしている。たぶんね、癖だから、コロナがなくても、ほかのことのせいにしていたかもしれない。いまは、コロナのせいにしている。
新型コロナウイルスのことはとても注意する。周りにも、現場で尽力してくださっているみなさまに、深く感謝申し上げます。
うーだけど、コロナはかなり強敵だな。ハードルが高い。ネットの情報が気になります。意味もなく情報を求めて、巡廻するのをやめたい。
コロナが収束後は、次の時代が始まる。だからもしコロナのことをかんがえたいなら、そこにフォーカスすべきだとおもう。あるいは、あたしは現段階でみなのために何をできるかを考える。
仕事をするときは地に足がつくからありがたい。どうもありがとうございます。呼吸もおのずから緩やかになります。
エネルギー的な話だけをするのであれば、太陽の死のあまりコロナも含めてほかのことに心が動かなかったときのほうがだいぶよい。実のところ、エネルギーだけでみるならば、そんなに悪いわけではなく、場合によってはよいかもしれず、いつもよりよい仕事をするかもしれない部分もあり、エネルギーとはそういものなんですよね。
もちろんだからといって、死んでほしくないよ。
それに、太陽が死んだという衝撃や喪失感が大きいから、その分を何かで補填しようみたいな発想もしたくない。太陽は身代わりでも犠牲でもないのだ。
太陽、あなたが死んでも、あたしは相変わらずだなあ。人はそう簡単には変わらないからね。でも、変われないのもありがたいことだともおもっている。それは体があって生きていてこそだから。あたしたちのいのちだから。
体には、あたしたちが生きていける状態を保つホメオタシス(恒常性)がある。それとおなじものが生き方にもあるのよね。
だから、それをどうやって変わっていくかというと、やっぱりちょっとずつちょっとずつ、積み重ねなのよね。
この記事をあとで読み返したとき、今一度思い出せますように。
今日という日、どうもありがとうございます。
◆臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。
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