GWいかがお過ごしですか。
今朝も草むしりをしました。蚊に刺されました。「これは勘違い、まだ蚊はいないもん」と現実逃避したくなりましたが、仕方がない。
昨日も書きましたが、急に草木が伸びた気がします。
ちょっとだけどやれたからよかった。ドクダミもいっぱいあります。
ドクダミは大好きで、毎年ドクダミ粥を食べるのを楽しみにしています。最近はドクダミ化粧水もつくります。
⇒ ドクダミ化粧水、今年も仕込みました
けれども多すぎる、多すぎるから今日もガシガシ抜きました。
草むしりをしたり、木の剪定をしたりしていると、ひょっとすると人間もこうなのかもしれないなとおもいます。
木は根が張り、その根には多くの記憶が宿る。毎年葉や花は変わるけれど、幹や根はそのままです。特に幹は切られても、よほどのことがない限り、根はそのままで木を支え続けます。あたしたちが幼いころから培った記憶がそうでしょう。それが支えになっている。
だから植物を触っていると、とてもエネルギーの勉強になります。
あたしたちの身体は機械ではなく、常に振動している。変化して、新陳代謝を繰り返す。同じところにはとどまらない。かつ、基礎となる考えや体があってのもの。
と難しい言葉を並べてしまいましたが、難しくしか書けないということは自分でもよくわかっていないんだよね。
何をおもったかというと、あたしたちも草むしりやお手入れをしないとなとおもったのです。人間にはお手入れが必要で、それは1回やったらではなく、あたしたちが常に生きている限り、ずっと必要なんだなあと。
草はいいものでもあるけれど、それでも生えてくるし、文化的に人生を創造していくためには、剪定したり、肥料をあげたり、草をむしったり、必要なんだろうなあと。
そして今年草をむしったから、しばらくむしらなくても大丈夫じゃなくて、毎年むしる必要があるし、毎年どころか、年に何度もかもしれない。こっちが終わったとおもったら、またこっち、みたいなのもあるかもね。
だけど、だって生きている。
草むしりは面倒なあとおもうときもあるけれど、面倒だと思っているときのほうが多いけれど、それでもなんか植物と触れ合っているとすごいことなのかもしれないともおもって
ひょっとしたら、未来人はこういうことを煩わしいとおもわないのかもしれないとおもいました。
あたしたちはどうしても効率を求める時代に生まれたけれど、これからは変わってくるといわれています。きっと彼らはこういうことも楽しむようになるのかなあと。
そんなことを考えながら草むしりをしておりました。
草むしりを面倒だとおもうけれど、自分のエネルギーを癒したり、記憶の世界を旅したり、そういうのは大好きで、人によってはそれも面倒だろうし。と考えるとちょっと未来人の気持ちがわかるような気がします。
最近は草をむしるときは面倒だけど、それでも昔のようにはののしっていません。ありがとうねと言いながらむしっています。正面から向き合います。
今日もみなさまにとってよい日でありますように。
◆臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。
◆エネルギーサロン・タンタン
~身体の健康と無意識のパワーへ Have a Beautiful Day~