つぶつぶタンタン 臼村さおりの物語

身体の健康と無意識のパワーへ 癒しの旅~Have a Beautiful Day.~

太陽ありがとう、大好きだよ。今の気持ちを忘れたくないよ

2020-03-15 00:13:00 | 太陽

太陽が死んでまもなく48時間。悲しいね。この寂しさが和らぐのも悲しいし、でも悲しいのも続かないんだろうな。

しばらく毎日このつぶつぶタンタンに太陽のことを綴るのを楽しみにします。いつまでかはわからない。でもできるだけ長く続けたい。覚えていること綴っておきたい。ここに置かせていただきます。あたしの物語だから、勝手なこと書いています。未来の自分が読むために書いています。
(ほかの記事も書いていきます)

夕べはしんどかった。泣きすぎて目と頭が痛くなりました。歩いてもペースが遅い。老人のようなスピードでしか歩けない。太陽と散歩のスピードです。だから散歩したいからなんだろうなというのと、本当にしんどくてそのペースでしか歩けないのと両方だとおもう。歩くことそのものは苦しくなくて、いつまでもエンドレスで歩ける。ただ胸の前の手を組んでしまって、腕を開く気持ちにならない。縮こまっているんだろうね。

何度か散歩コースを徘徊したりした。駅向こうまで出歩いたときもそうだった。


13日未明に帰宅して太陽が亡くなったことを知った明け方、ひとりで太陽と一緒に散歩していたところを歩いた。そのとき、よく行く水道屋さんと元タバコ屋さんの間で、たまに遭遇する中型犬と中型犬を散歩させる50代~60代くらいの男性に会った。

犬は猫がいると、歩みを止める。その日も何度も何度も振り返って、歩みを止めていて、太陽、そばにいてくれるんじゃないか、犬はそれに気づいているんじゃないかとおもわせてもらえてしあわせだった。男性は怪訝そうにしきりに犬を振り向かせて連れて行こうとしていた。


くやしいなあ。今回は過信したなあ。今まで奇跡を起こしてくれていたから、今回だって大丈夫だとおもってしまった。そんなに必死に祈っていなかった。大丈夫だと決め込んでいた。むしろ、「退院してきてからがあたしの役目だから今のうちにほかのことを」くらいにおもっていた。

おもえば何度も奇跡を起こしていた時は毎回必死になっていたものな。今回はあれがなかった。必死になっていたからどうこうなったわけではないかもだけど、悔やまれる。

自宅の酸素室にいるとき、父や過去の猫、祖母など亡くなった人たちが大挙してきている気がして、でも連れていく雰囲気じゃなかったから、応援してくれている、ありがとう、任せたよとおもっていた。心強いと。

特に太陽が亡くなる時間に自分が何をしていたかについては、書きたくないレベル。書きたくない、けど今のあたしの問題をよくあらわしている行動なのでしょう。(ということだけ覚え書きとして綴っておく)。3年ぶりくらいのことしていて、しかもメッセージが来ていた。こんなときにまであたしのためにがんばってくれて、しかもこんなことか。むなしい。せつない。


おもえば数日前からサインは出ていた。心臓が痛かったのです。心臓のエネルギーがびりびりする。なんでだろうとずっと思っていた。こんなに元気なのに、太陽じゃないのかな?勘違いなのかな? 自分の心臓も痛くなって、あたしなのかなとおもっていた。エネルギーを送ったりは調整したりはしていた。

でもこんなに元気なんだしと、送ったり調整したりしつつも、自分の感覚のほうが疑う気持ちまであって、真剣に見にいったりはしなかった。

本当にあれは異常だった。いままでにない痛み。心臓のエネルギーだけが局所的に痛い。あのときに心臓に何か異変が起きていたんだろうね。けれども本人はそれを態度に出さなかった。散歩に行き続けた、ご飯を食べた。

3週間ちょっと前から、利尿剤の量を少しまた減らしていた。7月に肺に何度も水が溜まって、やっとお医者さんが方法を考えてくれて、編み出したバランス。けれども腎臓の健康には悪い。

少しずつ減らして、2度目?3度目?のプロセスだった。9日(月)に医者に行った。診察を受けたときは、レントゲンを撮らなかったものの、触診してくれて大丈夫そうだった(のだとおもう)。

病院通いは母に任せてしまって、ずっと行っていなかったことも少し悔やんでいる。あたしはその分散歩にいっぱいいってあげようと言い訳していた。

診察に行く前の散歩で撮影した写真。

そのあと、心臓に何かが起きたのかもね。肺に水が溜まりかけだったのかもね。いままでもある限界値まで来ると急に元気なくなったものね。

ただもう少し体調の悪さの気配が現れてから、もうちょっとだけ余裕があった気がする。だから行くのが遅くなってしまった。でもよく考えれば、心臓病は進行するものだから、7か月前とは違うよね。

「暖かくなってから」と言い訳もしていて、心臓の検査をしていなかったのも、知ったところでどうしようもできないとは悔やまれる。

そもそも、体調が悪いとわかって、酸素室に入れて様子をみて、医者に連れて行くのを夕方にしたのもどうかとおもう。体調が悪くなった時のために酸素室を準備していた。けれどももし酸素室が手元になかったら、すぐに連れて行ったかもしれない。酸素室に入れておけば大丈夫だというのが、タイミングが遅れて可能性なのかもしれない。

良かれとおもって購入した酸素室だったのに、難しいな。結局のところ、あたしの実力。

人はそういうものなんだろうな。占いをしていて、よくお伝えするように、どちらを選んでもあまりかわからない。

なぜならその人に見合った選択肢しか来ないから。また知っているとの実際に行動できるのは違う。知っていたとしても、選択があったとしても、人は自分の実力に見合ったものしか選べないのだ。

もうそっちを選ぶように、過去からずっと布石を打ちづけてしまっていて、それを受け取っているにすぎないから。だからどうやって布石を打っていくかがとても大切で、あたしもこれからいい布石を打っていきたいし、打ち直せるものはもちろん打ち直したい。

だから結局のところ、積み重ね、蓄積であり、今どうやって生きるかが結果をもたらす。すべてはつながっているから。

太陽はすべてお見通しだったとおもうよ。「ああやっぱりやったか」とおもっただろうね。覚悟していただろうね。そして恨んでもいないだろうし、ただ受け入れて、あたしの都合のよい言い方をすれば、喜んでいたとさえおもう。

飼い猫はそういうものだから。

でも、それとあたしが後悔しないか、ごめんねとおもわないかは別の問題であって、ごめんなさいの気持ちでいっぱいです。

やり直したいけど、やり直してもきっと同じことをしてしまう。それが実力だから。ちょっと行動が違ったとしても、そんなに根本的には変わらない。

でもギリギリのところでも切り抜けたかったとおもってしまう。あたしに言わせれば、代償が大きすぎる。いろいろ気づけて後悔して、人生はそういうものだけど、でも今このタイミングでこの代償となることをしたくなかった。

「もうあのときに」「あれが」「これが」というのはいっぱいある。せつない。ごめんなさい。ありがとう。赦してね。だいすきだよ。

臼村さおり twitter @saori_u
思考していることを投稿しています。

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