つぶつぶタンタンをときおり、2020年3月13日、4月29日に相次いで亡くなった愛猫太陽と蓮との思い出をつづる場にお借りしております。どうもありがとうございます。
外で新聞屋さんが新聞を配達してくれた音がした。ふとこみあげる切なさ。切ない。なぜならば新聞屋さんが早朝に新聞を持ってきてくれたときに、愛猫太陽と散歩をしているというパターンがけっこうあったから。
玄関前の縁台でおくるみをしているきもあった。太陽はフリースで包まれてあたしの膝の上。一方のあたしは腰の後ろに毛布を置いて、壁に寄り掛かるように縁台の上に座っていた。足先は床につけたり、あるいは縁台の上で伸ばしたり、いずれにしても冷たい。腰は毛布のおかげで少し寒さが軽減された。
またほかの場所に座っているときも、新聞屋さんのバイクが通過するのを目撃し、また音を聞いていた。
少し暖かかったりするときは太陽は歩いていて、新聞屋さんとすれちがうときもあった。なんだか太陽はあまりびっくりしなかった印象がある。慣れていたのもあるし、向こうが気を使ってくださっていたのだろうね、どうもありがとうございます。
つい2か月前にはこの太陽と散歩をしていた。まだたった2か月。なのに太陽がいたころが過去になりつつあって、夢のような現実ではないような気がしていて、淋しいです。2月のゆめねこふたり展が終わり、脱力していたこともあり、3月は太陽と散歩三昧でした。太陽といっぱいの時間がもててよかったよ。とはいえ、それなのにあなたの心臓に負担がかかっていることを見逃してしまった。やっぱり今でも悔しいよ。ごめんね。ありがとうね。最近はもっぱら散歩はあたしの担当だった。
今、蓮ちゃんをお見送りするための棺桶を作っています。今朝ほど、蓮に今入っているダンボールからほかの段ボールに移ってもらった。棺桶にするためです。絵を描く。
移し終えた瞬間、その前の夜に少し寝込んでいたこともあり「わ、元気になったつもりだったけど、まだもうちょっと体調悪いかも」と夕方まで寝込んでしまった。
⇒ 体力があって健康ならたいていのことはできる 好きなことという前提☆
そして夜になって、むくむくと棺桶の制作にとりかかった。遺体を冷やしているとはいえ、いつかはお別れしなくてはなりません。棺桶をつくるプロセスは、最後を丁寧にしたいから、早めに進めたい。
「最後」と言えば、亡くなったときにだけ「最期」と使うけれど、あたしは太陽のときも蓮のときも、最期と書くのがものすごくしんどい。なんというか終止符を打ってしまう、気もちになるから。だからなるべくあえて最後と書いている。
その蓮の棺桶は太陽のときと同様、まずは周りを絵の具で黒塗りしている。だいたい3度塗り。箱型で立体だから、絵の具を乾かしては別の面、また乾かしては別の面と少しずつ塗っていて、絵の具が乾くのを待っている。
その待っているときに、ちょうど新聞屋さんのバイクの音がして、太陽のことを思い出して切なくなったのだった。
太陽のことをうーんとうーんと惜しみたいのに連続で蓮まで亡くなってしまって、ときおりどこに感情をおいてよいのかわからなくなる。二人とも大好きだよ。蓮の棺桶を塗りながら「太陽君」とつぶやいていて、「違うよ」と自分に突っ込んだりもした。
今、蓮を冷やしている保冷剤を取り換えに行ったら、ほとんど解けていなかった。今蓮ちゃんを入れている段ボールは棺桶にする予定のものより小型だからやっぱり冷やしやすい。
そして段ボールと机の間に敷いているスタイロフォーム(住宅用断熱材)が効いている。今蓮ちゃんを入れている段ボールは太陽君の棺桶と同じサイズなのだけど、下側の保冷剤が太陽君のときより溶けにくい。1か月半の差とはいえ、太陽君のときよりも暖かいのに。スタイロフォームの影響だとおもう。
今回のことではなく、できれば他を材料に気づきたいけど、断熱材って重要なんですね。
棺桶の外面の下塗りは眠る前に終わらせたいとおもっているので、もう少し続ける。夕方まで眠っていたので眠くない。
世の中普通なんて何もなくて、みんないろいろなんだろうけど、こうやって記事を書きつつ、変わった瞬間かもなとおもう。だけど、あたしは蓮ちゃんのために棺桶をつくれてしあわせです。そして自己満足かもしれないけど、今あたしがやってあげたいことなのだ。
寝込んでいたとき、「もし数日寝込むことになったら棺桶どうしよう、作りたいのに」とおもっていた。
太陽君も、蓮ちゃんもいなくて淋しい。だけど一緒にいてくれてありがとうねという気持ちもいっぱい。どうもありがとう。とてもありえないほどしあわせでした。
また書く。
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