![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/da/d4f3494a69e7231df1e7bee4cb667864.jpg)
西国第32番札所 繖山観音正寺
2012年(平成24年)4月12日、
エブリさんの北条鉄道撮影にお供した折に、
第26番札所法華山一乗寺にお参りし、
御朱印帳を買い求めたのが、西国さん巡りの始まりだった。
あと、観音正寺と谷汲山華厳時の2か寺を残すだけになっていた。
かれこれ8年ほど過ぎた今秋。
小春日和を越して、今年もっとも遅い夏日になった11月18日にお参りさせていただいた。
高速を乗り継ぎ、滋賀県の龍王インターで降りようとしたのだが、降り口が大渋滞中。
八日市インターまで高速を走ることにした。
繖山:観音正寺は、
標高433mの繖山(きぬがさやま)の山頂に聖徳太子によって1400年前に開創された。
西国三十三カ所の中でも難所中の難所寺だったそうだ。
表参道は、集落から登れば1200段ほどの石段を上るそうだ。
えぇぇ~(^-^; 観音正寺の石段は450段ほどあると聞いた。(>_<)
今は、林道を車で登ることができ、裏参道山頂に駐車場がある。
こちらの裏参道は階段はなく林道を観音正寺まで。ホッ(#^^#)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/99/cb15e40711c0b77463d20bf33534a708.jpg)
観音正寺へ続く裏参道の「案内立札」に、いろいろな「言葉」が書かれていた。
一つ一つ読ませていただきながら参道を歩く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/98/45cb24370e17aae37c5f171216410738.jpg)
露座の仁王銅像を拝して、秋たけなわの境内へ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/d5/0c7d2cd4a83bde8317c8140424ad11fe.jpg)
紅葉で彩られた「濡仏」釈迦如来坐像に拝礼。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/0c/e16671805012126e4694448c779f8323.jpg)
本堂
ご本尊は、千手観音坐像(仏師松本明慶の作)
インドから輸入した23トンもの白檀の巨大な座像だった。
合掌
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/64/e573cf53533e49355c6e55c3e1e7e846.jpg)
境内から見下ろせる蒲生野
万葉集に詠われた額田王と大海人皇子の恋の歌の舞台として有名な蒲生野。
※※HP奈良県民だより:万葉集から
天智天皇の蒲生野(現在の滋賀県、琵琶湖の東南部)での
遊猟の時の歌。
額田王
あかねさす紫野ゆき 標野ゆき
野守は見ずや 君が袖振る
訳:あかね色をおびる、あの紫の草の野を行き、その御料地の野を行きながら、
野の番人は見ていないでしょうか。
あなたは袖をお振りになることよ。
袖を振ることは、古代では相手の魂を呼びよせる呪術的な行為とされ、相手の心をひきつけようとする、求愛の行為とみなされれた。
大海人皇子の返歌
紫草(むらさき)の にほへる妹を 憎くあらば
人妻ゆゑに われ恋ひめやも
訳:紫草のように美しいあなたが憎かったら、
あなたは人妻だのに、どうして恋いしたうことがあろう。
「標野」とは、他人が入ることを禁じた野。
ここでは天皇の御料地
※※
※※御詠歌 ※※
あなとうと 導きたまえ
観音寺 遠き国より 運ぶ歩みを
※※ご詠歌の意味:西国巡礼慈悲の道から
西の国の観音にあこがれ、始めた苦しく長い巡礼も、もう1カ寺打てば満願となる。
観音のお導きにより、遠い国からでもここまで来ることができました。
感懐と観世音の導きに感謝する歌。※※
ご詠歌に詠われている通りに、
もう1カ寺打てば満願となる。
裏参道の「立札」の言葉を読むごとに、これまでを振り返った。(#^^#)
今日の一日を感謝で過ごしたい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます