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2022年11月13日 21時05分04秒
9月にあった2回の3連休のどちらかで旅行へ出ることをもくろんでいたのですが、2回とも悪天候のため断念。そこで10月にある体育の日がらみの3連休を利用して、1泊2日で愛知へ小旅行に出かけてきました。
実はこの3連休にも、若干の天候不安はあったんですけどね。9月の恨みもあったので、多少の悪天候には目をつぶって決行することにしました。
まずは愛知県豊橋市にある、吉田城へと向かいます。
スタートはJR豊橋駅。
吉田城は豊橋駅から2㎞弱くらいなのですが、その前にちょっと寄り道。
♪ホントにあるのね ホントにあるのね 豊橋にとよばし~
Eテレで放送中の「2355」内でたまに流れる歌「さらば、豊橋」で歌われている、豊橋市にある豊橋です。
読み方は正式には「とよはし」なのですが、地名と紛らわしいので一般的には「とよばし」と呼ばれているそうです。
豊橋は豊橋市を流れる豊川に架けられています。豊川は三河湾にそそいでおり、この地は江戸時代から水運で栄えてきました。
この辺りの地名は江戸時代には「吉田」で、川も「吉田川」だったし、江戸時代に最初に架けられた橋も「吉田大橋」でした。しかし「吉田」という地名は他にもあって紛らわしいので、明治維新の際に「豊橋」となりました。
江戸以前は川の名前が飽海川だったり、今橋という橋が架かっていたり、江戸時代にも吉田大橋という別の橋が架けられたりするなど、この地名と川と橋の変遷は結構複雑なので、詳しくはウィキペディア辺りを参照してください。
豊橋市
豊川
豊橋(橋)
想像していたよりは小さい橋でした。
豊橋から川沿いを遡っていくと、豊橋の東側に吉田大橋があります。吉田大橋の上から、川向こうにある吉田城を臨むことができます。
吉田城は豊川の南に築かれている、川を背にした後ろ堅固の城です。
築城は1505年。今川に従属していた牧野小白が、三河の松平家を牽制するために今川の命により今橋城を築城しました。
一説には牧野氏と仲の悪かった戸田氏対策だったとも言われています。しかし理由ははっきりしていないそうなのですが、その翌年今川が戸田氏と組んで今橋城を攻撃、小白も討ち死にしてしまいます。
その後は勢力の境界線上にある城として、その支配権は目まぐるしく移り変わります。
16世紀中ごろには、なんだかんだで今川の支配下に納まっていたものの、今川義元が死に、家康が台頭してくると、吉田城は徳川の手に渡ります。重臣・酒井忠次が入り、今川氏や武田氏との戦いで重要な役割を果たすことになります。
なお、16世紀の前半にはもう今橋城ではなく吉田城と呼ばれるようになったようですが、そのころの文献にも「今橋城」と表記されている例があり、はっきりとはしていないようです。
徳川家が関東へ移封されると替わりに池田輝政が入り、吉田城と城下町を含めて大規模な改修がなされ、今の吉田城の原型が出来上がります。
さらに江戸時代に入ると三河吉田藩の藩庁となります。藩主は結構コロコロ変わっていたのですが、三河吉田藩は東海道上にある重要な地点だったため、松平氏、水野氏、小笠原氏、牧野氏など、譜代の有力大名が務めていました。
明治に入ると、敷地は軍の管轄となりますが、火事により多くの建物が焼失。後に陸軍歩兵第18連隊が置かれました。
ちなみに、吉田城を築いた牧野小白の直系ではないようですが、親戚筋の牧野氏は徳川譜代の家臣となり、三河吉田藩の藩主にもなっています。私の地元、長岡藩の殿様もその牧野氏の一族なので、なんとなく親近感を覚えます。
現在の吉田城は、豊橋公園として整備されています。
こちらは公園入口にあった地図。吉田城は豊川を背にして、本丸を二の丸が、二の丸を三の丸が、三の丸をさらに武家屋敷が取り囲んでいる、半連郭式の平城となっています。
本丸、二の丸、三の丸、武家屋敷まで合わせたエリアの内、東北側の1/4くらいが豊橋公園の敷地となっています。
公園の入口が、三の丸の口門跡です。
ただ、二の丸、三の丸の辺りはほぼ平坦に均されていて、遺構はあんまり残っていないんですよねー。
ここは三の丸の南側の土塁。
二の丸御殿跡地の東側にある土塁。
中央のぽこんと盛り上がったところが、二の丸南西部にある着到櫓跡。
二の丸口門跡、とありますが、うーん、なんとも。
陸軍関係のものもあります。
と、ここまではちょっといまいちかと思っていたのですが、本丸周辺には見どころがあふれています。
本丸への入口は北、東、南と三か所あるのですが、残念ながら南側は石垣が崩れたため、現在は修復中で通行止めとなっています。一応、ここが正門っぽい扱いだったと思うんですけどね。
ただ、本丸と二の丸の間の堀跡はばっちり残っています。
西側の堀。
これは南側。
本丸の東側へ移動。この辺りには金柑丸がありました。牧野小白により築城されたばかりのころは、この辺りが本丸だったと考えられています。
奥にあるのは十八連隊の営内神社である弥健神社。現在はお社のあったところに神武天皇像が移設されています。
金柑丸東側の土塁跡。
金柑丸からいよいよ本丸へ。
橋の上から、本丸と金柑丸の間の堀。
大きく折れ曲がった食い違い虎口となっています。
本丸広場、なのですが、南半分は石垣の修復工事のために、立ち入り禁止となっています。
本丸の東側にある井戸跡。
本丸の周囲は石垣で固められた土塁がありますが、上には登れませんでした。
この角には、かつては入道櫓がありました。
そして本丸の北西角に建つのが、吉田城のシンボル・鉄櫓(くろがねやぐら)。吉田城本丸は4隅に櫓が建っていたのですが、そのうちもっとも立派だったのがこの鉄櫓。正式には天守ではなかったのですが、一部の地図には天守と記されているものもあって、事実上の天守と目されていたようです。
鉄櫓の中は資料館になっており、続日本100名城のスタンプもこの中にあります。ただ、ここは開館時間が10:00~15:00と、観光地としてはちょっと短め。このときはまだ9:00くらいだったので、あと1時間くらい待たなくてはなりませんでした。
うーん、二の丸、三の丸を見て回るのにもっと時間がかかる予定だったのですが、思っていたより見どころが少なかったんだよなぁ。
鉄櫓の横には武具所跡があり、展望台のようになっていて北方向に眺望が得られます。
本丸から望む豊川。
近くには「猛禽類を飛ばすことは危険ですので、止めてください」という立て看板がありました。わざわざ看板が立てられているということは実際にそういう問題が起こったということなんでしょうけど、そんなヤツ、いるの?
下を覗くと、本丸と豊川の間に腰曲輪があります。
吉田城は豊川を背にした後ろ堅固の城ですが、その川側から攻められた時に備えて腰曲輪が設置されています。
本丸から腰曲輪へと下りていきます。
ここの階段がめちゃくちゃ急でした。
そしてこの腰曲輪から見上げる鉄櫓のかっこよさよ!
この腰曲輪は、吉田城跡内で最もお気に入りのスポットです。
腰曲輪から北西方面へ。
本丸西側の堀跡。
そのまままっすぐに進むと、隣の中学校の方に出ます。
なので、ここで引き返したんですけど、地図によると中学校の北側に水門があるそうなので、もしかしたらそこまで行けたのかもしれません。
北西側から見上げる鉄櫓。
腰曲輪から北東方面へ。
腰曲輪の外側にも遊歩道があるんですけど、ここは遺構とは別ですかね。
本丸の北東側の堀跡。
で、まだまだ鉄櫓の開館まで時間があるので、豊橋公園内の残りのエリアとともに、城下町の方まで足を延ばしてみることにします。
豊橋公園内にある、豊橋球場。両翼100m、センター116mです。
プロ野球公式戦や高校野球の県予選が行われることもある豊橋市民球場とは別物です。
豊橋公園を出て、吉田宿本陣跡へ。
吉田宿の本陣は宿場の中心部、東海道筋で最もにぎわった札木町に設けられていたそうです。
当時の東海道は、現在の国道1号線よりも少し南側を通っていました。
続いて、吉田城大手門跡。
三の丸の外側はさらに武家屋敷と水堀で囲われていましたが、その武家屋敷へ入るための門跡です。
中央分離帯の中に立っており、信号を渡っている途中で気付いて急遽撮影したためあまりうまく撮れませんでしたが、曲尺手門跡。
ここも武家屋敷へ入っていくための門のひとつですね。
さて、ようやく10:00になったので、改めて鉄櫓へ。
1時間前はそれほど人が多くなかった豊橋公園ですが、このころには結構人であふれていました。まあ公園の奥にある鉄櫓よりも、美術館とか、噴水広場辺りが目当ての人が多かったようですけど。
鉄櫓入口付近で続100名城スタンプを押すことができます。
図案は北から眺めた鉄櫓。やっぱりこの角度、良いよね。
ただ、手前に豊川も描かれているので、このジャストの角度から吉田城を眺めるのはちょっと難しいかもしれません。
鉄櫓の2階では「吉田城の歴史」として、歴代城主の紹介や、鎧兜や陣羽織、縄張りの図や、明治期の写真など、軍事的な側面での展示がされています。
3階では「城下町・宿場町・湊町」として、町人たちの生活の様子が紹介されています。私は知らなかったのですが、豊橋が発祥の地だという手筒花火や、能面、祭りの衣装などが展示されていました。
何より良かったのは、吉田城の立体模型です。2階には本丸の模型、3階には3の丸まで含めた石膏模型がありました。
本丸周辺以外はあまりわかりやすい遺構が残っていなかったので、こういった形で往時の様子を確認できるのは分かりやすくていいですね。
そして最上階の4階。
狭いので、階段越しに撮影するようになっている、池田輝政の顔出し看板があります。
周囲を見渡すことができますが、窓が狭いので眺望としてはいまいち。
他には吉田を描いた浮世絵も展示されています。
最後に、改めて、腰曲輪から見上げる鉄櫓。
やっぱり、このアングルいいわー。
最初豊橋公園に入った時には、二の丸三の丸の辺りが想像以上に平たくなっていてちょっとがっかりだったのですが、本丸周辺は遺構がよく残っていてテンションが上がりました。特に、何度でも書きますが、腰曲輪はめちゃくちゃお気に入りのスポットです。
一部修復工事中だったのが残念でしたけど、修復が終わった時にでもまた来ることができれば良いですね。豊橋は立地が良いので、何かのついでに寄る機会もあるかもしれませんしね。
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