雑居空間
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 これまた結構前の5月下旬のことですが、神奈川県横浜市にある小机城と、その周辺にある城跡などへ行ってきました。



 本来ならまず小机城へ行って、そのあと北上しながらあちこちに寄る予定でした。しかし小机城の続日本100名城スタンプがある横浜市城郷小机地区センターは、開くのが午前9:00。小机城へは9:00よりも早く着く予定だったので、急遽ルートを逆にして、東急田園都市線・鷺沼駅からスタートして、あちこち寄りながら最後に小机城へ行くことにしました。



 最初のターゲットは有馬城。鷺沼駅から南東へ1㎞ちょっと歩いたところにあります。
 北条家に仕えた窪田又五郎により築かれたそうなのですが、遺構はまるで残っていません。
 ただこの辺りは丘のようになっていて、城を築くには適当な場所のように思われます。



 次は、有馬城からさらに南東へ3㎞ちょっと行ったところにある、山田城山。ただ、いつ、誰によって築かれ、いつ廃城となったのかなど、詳細は分かっていないようです。



 この周辺は住宅地になっているのですが、やはり周囲から一段高くなっており、城を築くには適当そうな立地となっています。



 山田城山は、現在は山田神社となっています。
 南側から入っていくのが神社の正面に当たるのですが、ルートの都合上、東側から登っていきました。裏というか横からになるのですが、こちら側にも小さい鳥居があります。





 城の遺構は残っていませんが、神社としてはなかなか立派ですね。







 南に延びる表参道を下っていきます。
 この参道には、十二支をモチーフにした石碑が建てられています。あったのは子、丑、寅の三つ。来年には卯の石碑が増えるんでしょうかね。
 長く、ゆるやかに道が伸びており、木漏れ日もあって、すごく雰囲気の良い参道でした。



 南側から山田神社を見上げて。



 続いて、山田城山から西へ2㎞ほど移動して、大塚・歳勝土遺跡公園へ。
 ここには弥生時代の遺跡があり、当時のムラや墳墓が復元されています。



 遺跡の前に、公園の東側にある都築民家園へ。





 都築民家園には、この近くで名主などを務めていた旧長沢家住宅が移築されています。





 奥には有志の寄付によって建設された茶室もあります。
 平成に入ってから建設された建物なので、押し入れの中に掃除機が入っていてもおかしくはありません。



 公園の北側にある、大塚遺跡へ。







 この遺跡では85軒の竪穴式住居跡が見つかっており、そこに竪穴式住居と高床式倉庫が復元されています。



 竪穴式住居の中に入ることもできます。



 村をぐるりと囲む環濠も再現されています。
 吉野ケ里遺跡にあったものと同様、土塀の上に杭を打って柵として、その内側には堀が掘られています。



 復元されていない住居は、石によってその位置が示されています。



 その南にあるのが歳勝土遺跡。ここには方形周溝墓という四角い墳墓が25基発見されています。





 大塚遺跡と同様に、復元されていない墓は、石によって位置を示しています。



 大塚・歳勝土遺跡公園のすぐ南に、茅ケ崎城址公園があります。





 ここはその名の通り、茅ケ崎城がありました。
 ここも築城に関する正確なことは判明していないのですが、北条氏によって築かれ、小机城の支城として機能していたと考えられています。ただ、扇谷上杉氏関連の遺物が出土しており、上杉氏によって支配されていた時期もあったようです。
 しかし最終的には、秀吉による小田原征伐の後、廃城となりました。



 案内板によれば、公園は西郭、東郭、中郭、北郭と、大きく4つの郭によって構成されています。



 北郭は公園の入口近くにあり、くつろぐのに適当なところ。この日も家族連れが訪れていました。





 西郭へ向かいます。通路は郭の間に掘られた空堀の中を進んでいくことになります。



 階段を上って西郭へ。



 ただ、西郭内はそれなりに広いんでしょうけど、通れるところは通路だけなので、あまり広さを感じることができません。
右側の草地になっているところも郭だったはずなんですけどね。



 続いて中郭へと移動しようとしたのですが、ちょっとトラブルが発生。西郭に注意を促す看板もあったのですが、カラスの襲撃を受けてしまいました。
 中郭へ向かう道を歩いていたら、後ろからカラスがガァガァ鳴きながら突っ込んできて、頭の近くをかすめて離脱。それを何回も繰り返してきたので、明確に敵意を向けられていたと思います。
 そのときはよくわかっていなかったので、とにかく後ろに注意しながら足早に駆け抜けました。中郭に到着したらカラスの襲撃も収まったので、西郭と中郭の間の通路がカラスのテリトリーだったようです。わざわざ注意書きの看板を作るくらいなので、毎年この辺りに巣を作っているんでしょうね。

 後で調べたところによると、4月から6月がカラスの繁殖期で、巣に近づく人間にはこのような威嚇行為を行うようです。
 カラスは頭を狙ってくるので、帽子をかぶったり傘をさしたりしてると頭を認識できなくなるため、襲撃を避けるのに効果的らしいです。また何も持っていない時でも、腕を上げると頭の近くを通過する際邪魔になるので、効果があるそうです。カラスに襲われた際には参考にしてください。



 そんなこんなで、中郭に到着。
 中郭には建物が建てらていた跡があり、倉庫として使用されていたようです。



 中郭から東郭へ。
 東郭への通路は、現在でも少し下ってからまた上り返す形になるのですが、当時はこの間はもっと深い空堀となっており、土橋でつながっていたようです。



 東郭。ここはちょっと小ぶりですね。



 東郭の下には腰郭もあったようですが、草が多くて下をのぞき込むことはできませんでした。

 茅ケ崎城跡公園にはなかなかしっかりと遺構が残っていて、思いがけず楽しむことができました。
 ただ、途中からカラスが気になって仕方がなかったんですよねー。城跡としてはなかなか面白いところだっただけに、そこだけが残念でした。
 茅ケ崎城跡公園を訪れるなら、春から初夏にかけてのカラスの繁殖期は避けた方が無難だと思います。



 この後、池辺陣屋跡にも行ったのですが、特に何もありませんでした。
 そして鶴見川沿いに東へ移動し、小机城の手前までやってきます。

 

 鶴見川にかかる橋の上から望む小机城。ここも山というほど高くはないけど、周囲から一段高くなった丘になっています。
 ようやく本命の城にたどり着いたのですが、長くなったので小机城はまた次の記事で。



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