●歩いた日:2018年8月21日(火)
●歩いた所
・六郷:馬町、東高方町、西高方町、琴平西、琴平東、安楽寺、馬場、米町
・鑓田:庚塚、馬町
※ 「馬町」は「六郷」、「鑓田」の両地域にある。
●歩いたログ(足跡)(道のり4.7km)
(以上の地図:国土地理院)
寺境内すぐ東側の南北に走る広い道に出ると、その向かい側は公園のようで、脇が見事な並木道になっている。
📷011:「安楽寺」の並木道
ここも欅の並木道になっており、密に植えられている分だけ濃い木陰を作っている。「六郷」は街路樹を積極的に整備する街づくりが行われてきたようだ。
左手前は、少し管理が行き届いていない児童公園のようである。トイレと思われる赤い屋根の建物がのぞく。中に入っていくと隅に大きな石碑がある。碑に直接顔が描かれているのは珍しい。だいぶ古いようで字がほとんど判読できないが、「熊谷先生」と刻まれているようだ。「熊谷」という人を調べてみると、文政6年(1823年)に「六郷熊野神社」の宮司の家に生まれた国学者・詩人・教育者の「熊谷松陰(直清)」がいる。「六郷」は古い町だけに、江戸時代から明治・大正にかけていろいろな人物を輩出している。
蛇足であるが、「松陰」というとすぐ「吉田松陰」を思い起すが、こちらの「松陰」は文政13年(1830年)生まれなので、「六郷」の「松陰」さんの方が少し先輩である。
広い道をまた南に進む。この辺りは「浄光寺」、「長明寺」の裏手に当たり、道のすぐ近くまで墓地になっている。
📷012:「安楽寺」の道
奥から手前に歩いてきたところ。ここにも街路樹が植えられている。左の杉の木は、「長明寺」隣の「本覚寺」境内の木立である。
さらに南に進んで、小さな十字路を突っ切り「熊野神社」の森のような木立を目前にした信号のある十字路まで出て、また小さな十字路に引き返す。
東西に走る細い道を西に進む。緩くカーブした道で、東方向を見通してもすぐ先でやはりカーブしている。すぐ南を東西に走る道よりも、この道の方が古いと思われる。寺の横を通り過ぎたところで振り返る。
📷013:「東高方町」の一角
寺の境内と塀に挟まれた細い道を進んで寺の門前に至る。寺は「廣園寺」で「東高方町」の南端で、道の右側は「米町」になるようだ。ここにも銀杏の大木がある。
さらに進むと、左手奥に古い大きな建物がある。何の建物だろうと思い、ぐるっと回って「旧羽州街道」まで出てその正面に至る。
📷014:「米町」の「栗林酒造店」
大きな建物は酒造店である。この写真では読めないが、屋根のすぐ下の大きな看板には、「春霞平和醸造元 栗林本店」と書いてある。
「秋田県酒造協同組合」の「蔵元ガイド」によると、「栗林酒造店」はM7年の創業で、昭和初期に建てられた仕込み蔵は、100メートルにも及ぶトンネルのような蔵で、「一本蔵」と呼ばれるとのこと。改めてログ地図を見ると、先ほど通った「廣園寺」の近くまで東西に延びる長い建物が描かれている。これが「一本蔵」のようだ。
「高良酒屋」の看板がかかる隣も歴史を感じさせる建物で、「旧羽州街道」沿いのこの辺りにはほかにも古い建物が残っている。
(その7に続く)
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