●歩いた日:2017年9月4日(月)
●歩いた所:相野、窪関南、堤田、堤東、久保関北(以上「横沢」)、新田、太田、新田熊野堂、新田熊堂尻、新田中島、新田田尻、新田街道上(以上「長信田太田」)、伊勢堂(横沢国見)
●歩いた位置
●歩いたログ(足跡)(道のり:9.5km)
(以上の地図:国土地理院)
家の裏に10a(一反歩)ほどの畑がありますが、その片隅の小さな面積に、トマト、キュウリのほかスイカ、枝豆などをほんの少し植えただけで、大部分は何も作っておりません。 しばらく放って置いたら草ぼうぼうの状態になってしまい、先日、仕方がないのでトラクターで起こし、畑回りは何度目かの草刈りをしました。
田んぼの方は、大分穂が傾き籾が硬くなりつつありますが、草刈りをするにはまだ少し早い時期です。そんな折、すばらしい天気に恵まれましたので出かけてきました。
(この記事を掲載し始める今日9月22日には、稲刈りがそろそろ始まっております。)
前回の「旧千畑町畑屋を往く」の「ブログに掲載したログの累計」を見ていただくと判るように、「旧六郷町」と「旧太田町」を歩いた時に「角館―六郷線」には達しておりましたが、これまで、その東側には足を踏み入れておりませんでした。そこで、今回は「旧太田町」の、以前歩いた場所から「角六線」を越えて東側に向かうことにして車で向かいました。
それでは本文に入ります。
「旧太田町駒場」の「羽黒堂」にある「駒場神社」の前を通ってまっすぐ東に向かう。「角六線」から1km程手前の、「窪関川」に程近いところの道脇に、昔の道跡と思われる空き地がある。以前にも車を止めたこの場所に再び車を置いてスタート。まずは東に向かい、少し進んで振り返ってカメラを向ける。
📷001:「駒場」の道
大きな木立の右端奥に車を置いてこちらに歩いてきたところ。ログ地図をを見ると判るように、木立の手前に写る二つの建物を結ぶように細い道が通っており、歩いて来た広い道を横断して右手に延びている。これが「駒場」方面から「角六線」に出る古い道の一つだったようで、以前掲載した「旧太田町横沢を往くー1」で歩いた道である。
木立の辺りは「疋田」、道の一番奥は「赤坂」でいずれも「駒場」である。
さらに進むと「窪関川」に架かる橋がある。橋を渡って土手に少し踏み入ってカメラを取り出す。
📷002:「ふるさと橋」
橋には「ふるさとばし」と書かれている。これまで出会った橋の名には、ほとんどそこの字地名が付けられていたが、地名の付かない名前に初めて出会う。「ふるさと橋」の名はあまりにもありふれていて面白くない。
右手から歩いてきて橋を渡ったところであるが、渡る手前(写真では川の向こう側)の道の両側がぐるっと巡るように低い荒地になっており、その一角には木立もある。これは川の蛇行跡かも知れないと思いカメラを向けたところ。しかし、S23年の航空写真を見ても川は今と同じ流路なので、もっと古い時期の川の跡と考えられる。
さらに東に進む。
📷003:「角六線」の交差点付近
「角六線」の交差点の少し手前の風景である。青い道路標識には、左「角館」、右「美郷」の案内がある。
道右側に、圃場整備の大きな竣工記念碑と花いっぱいの花壇。左側の高い塔は火の見櫓だろうか、今はほとんど見ることがない。
(その2に続く)
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