●歩いた日:2016年7月1日(金)
●歩いた所:板屋・鍛冶屋敷、沖田(「清水」と「旧仙北町横堀」の両方にあり)・大吹
●歩いた足跡(ログ)(道のり:7.0km)
(以上の地図:国土地理院)
広域農道を西に進み、十字路を過ぎると、田んぼの中の小高い森の中にぽつんと建つ社が見える。ここは是非寄ってみたいと思い、右折して田んぼ中のあぜ道を社に向かう。
📷007:「乙沖田」の社の森
周りを2回ほど回って社へ登る道を探すが見つからない。背の高い雑草に覆われて道がわからなくなってしまったようだ。写真を撮った位置からは社の屋根が見え、手前が開けているので、そこが入口らしい。
社の森の右奥に「板屋」の家々、左奥に「ライスターミナル」の大きな施設が写る。
ところで、ログの地図を見ると、社のところにも「沖田」と記されている。別の地図でここの地名を調べると「乙沖田」とあり、ここは「旧中仙町清水」である。前述した「横堀」の「沖田」と隣り合わせで紛らわしい。ちなみに「甲沖田」は「窪関川」の北側にある。
田んぼ中のあぜ道をさらに西に進む。
ここでS51年の航空写真(国土地理院)をご覧いただきたい。この写真にも(というのは、「旧大曲市四ツ屋を往くー1」でも同じような写真をアップした)、田んぼの中に、かつての「窪関川」の蛇行跡が薄っすらと浮き上がっている。
同じ範囲を、S23年の航空写真も切り取ってみた。
当時は、こんなに激しく川が蛇行している。洪水には悩まされたことだろう。
次いでに📷005の道、📷007の社の位置も示してみた。
あぜ道を進むと、右手前方の「窪関川」に近い田んぼ中に家がある。広域農道からこんなにも離れたところになぜ家があるのだろうと再びS23年の航空写真を眺めると、当時は、「窪関川」に近いところに、かなり曲がりくねった道がもう一本あり、その道沿いにあった家であることがわかる。
(51年の航空写真で「写真007の社」の文字の左上の家。23年の写真では同じく「写」の字のすぐ上の家)
広域農道の前身であるまっすぐな道が通る前は、この道が唯一の道であったのだろう。
なお、少しくどくなるが、S51年の航空写真では、広域農道からこの家にまっすぐ延びる道が写っているが、ログの地図にこの道は載っていない。51年以降の圃場整備で道が付け替えられたのであろう。
📷008:「大吹八幡神社」
やがて、一軒の家の前をとおって「大吹八幡神社」に至る。りっぱな鳥居と、社の名が刻まれた大きな石柱が立つ。「地名へのいざない」によると、この神社は「下沖ノ郷」(「沖ノ郷」は「清水村」が誕生する明治の合併以前の一村)の産土神を祀るという。「菅江真澄の道」の標柱も建つ。
神社近くの広域農道脇に「沖田・大吹部落会館」がある。
また広域農道に出、「大吹」の集落を抜けて車に戻る。
(終わり)
●これまでブログに掲載した足跡(ログ)の累計(累積の道のり:73.6㎞)
この次は、「旧仙北町高梨」(払田の柵跡)をスキーで歩き回った記事を投稿する予定です。
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