ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧中仙町清水を往くー1(その1)

2017年01月27日 | 旧中仙町を往く

●歩いた日:201671日(金)

●歩いた所:板屋・鍛冶屋敷、沖田(「清水」と「旧仙北町横堀」の両方にあり)・大吹

●歩いた位置

●歩いた足跡(ログ)(道のり:7.0km)

(以上の地図:国土地理院)

 「旧中仙町」は、「長野町」、「清水村」、「豊川村」、「豊岡村」が合併してできた町ですが、今回歩いたところは、主に「清水村」に属します。「主に」と付けたのは、車を止めた場所は「旧大曲市四ツ屋」に、📷002の辺りは「旧長野」の「鑓見内」に、📷006辺りは「旧仙北町横堀」に属するからですが、赤いログの線で囲まれた大部分が「旧清水村」に入りますので、「旧中仙町清水を往く」にしました。

 歩いたのは昨年の71日で、稲が青々と葉を広げて田んぼの水面を覆っており、雪の季節にそんな写真を見るのも、新鮮な感じがしていいものです。 

 それでは、本文に入ります。

 「羽後四ツ屋駅」の近くで、国道105号線「角館街道」から分かれて県道261号線(ログ地図の黄色の線)を東に進み、「田沢湖線」を越えるとすぐ右手に、「JA秋田おばこ」の巨大な施設、「ライスターミナル」(米の貯蔵施設)がある。その前を通り過ぎた道路脇に、「もしもしピット」(携帯電話を使用するための駐車帯)のようなスペースがあるので、そこに車を止めてスタート。

 蛇足ながら、「もしもしピット」は、秋田県が発祥の地で、東北地方において国が試行整備しているものとあるが、車を止めた場所は「もしもしピット」ではない。この辺では電話をするため車をどこに止めてもほとんど問題はない。 

 さて、県道を東に進むとすぐ小さな橋があり、その手前でカメラを取り出す。

📷001:「板屋」方面への分かれ

 橋を渡ってまっすぐ延びる道路の方がりっぱであるが、道路脇に立つ標識にあるようにこちらは広域農道で、県道は左に曲がって水路沿い行く道である。

 この辺りが「旧大曲市四ツ屋」と「旧中仙町」の境のようである。

 まずは、県道を進んで「板屋」(ログ地図に地名は記されていないが、📷002のところの集落)を目指す。

📷002:「板屋」の一角

 県道を東に進むと、やがて丁字路がある。この辺は「板屋」(「旧長野」の「鑓見内」)である。地名の「イタ」は「痛む」、「ヤ」は「谷、湿地」を意味し、平野部の「イタヤ」は浸食崩壊地とあるので、すぐ南を流れる「窪関川」の蛇行浸食に由来すると思われる。

 丁字路のところに新しい集落会館があり、カメラを向ける。その隣に鳥居が写っているが、のぞくと「水神柳神社」とある。「水神」なのでその後の「柳」は「龍」の転化か、単なる推測である。

 51年の航空写真をみると、この一角は田んぼになっているので、その後、近くにあった神社をここに移転し、あわせて会館を建てたものと考えられる。

 水路沿いの県道をさらに北東に進む。

📷003:「鍛冶屋敷」の十字路

 両側が田んぼの県道を北東に進んでいくと十字路に出る。十字路を少し過ぎて振り返ると、「西山」が道の向こうに望まれるのでカメラに収める。

 この辺、ログの地図には「鍛冶屋敷」と記されているが、「地名へのいざない」によると、ここの「鍛冶」は「鍛冶屋」の「カジ」ではなく「掻きむしる」、「かじる」の意で、欠き取られたような地形を指すとあるが、現地で見渡すと、ここは平らな田んぼが広がっており、「欠き取られた」ような形跡は見当たらない。

 ところで、ログの地図に、「鍛冶屋敷」の左下に「カジヤシキ」と片仮名で書いてある。よく見ると、地図右側にも「梁場」と「ヤナバ」がある。漢字と片仮名の地名は異なる地名だろうか。よくわからない。

 カーブしている県道を北に少し進んで、水路のところで左に入り、家と家の間を今度は西に進む。

(その2に続く)

 


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