●歩いた日:2016年9月14日(水)
●歩いた所:柳持・中屋敷・伊勢堂・南村・中村、戸堂目木・二ツ塚・赤坂
●歩いた足跡(ログ)(道のり:9.2km)
(以上の地図:国土地理院)
📷003:「疋田」からの小道(続き)
広い道を横断してさらに進むと三叉路に出る。そこで今来た道を振り返ってカメラに収める。
写真右側の道は、地図でわかるように「赤坂」の方面から通じている道である。昔は、今歩いてきた道と、「赤坂」からの道がここで合流し、「角六線」への通り道になっていたと思われる。
三叉路の道角に、石などが置き去りにされているは景観の上から残念な気がする。
少し東に進むと数軒の家が建ち並ぶ。この辺りは「窪関」(「旧国見村」)で、「大曲」の市街まで流れ下る「窪関川」の名前の由来がここにあったことを初めて知る。
📷004:「角六線」への出口
さらに東に進んで、角六線との交差点がみえるところまで来てカメラを向ける。
道が尽きるところにわずかに「角六線」がのぞかれる。右の杉林の陰を、道路と並行して「窪堰川」が流れている。
ここでおじ(い)さんと出会う。「この道は昔からの道だべ」と聞くと、「んだ、区画整理で新しい道がいっぱい出来たども、ここが昔の道だ」と答えてくれた。写真を撮っていることころを見ていたようで、「この道も広げる話があるので、その調査に来た人かと思った」と言われた。
「角六線」に出るすぐ手前のガードレール脇に、「上堰跡」の標柱がある。それには、「白岩広久内」(「旧角館町」)で取水し、「中西」、「椿」(以上「旧中仙町」)、「国見」(「旧太田町」)を潤して「窪堰川」に注ぐ、1684年に完成、の説明がある。江戸時代の中期に開削したことになるが、驚いたことに、私が今使っている旧市町村別の地図にも「上堰用水路」としてちゃんと載っている。この水路の途中に「斉内川」があるが、どのように横断しているか、見てみたいと思う。この日は、この後、「下堰跡」の標柱にも出会う。
(その3に続く)
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