ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧仙北町横堀・旧中仙町清水を往く(その5、終)

2018年07月25日 | 旧仙北町を往く

●歩いた日:2016年6月24日(金)

●歩いた所

 ・横 堀(旧仙北町):沖田、川戸賀、星宮

 ・清 水(旧中仙町):丙泉、乙沖田、北大吹、南大吹、南谷地

 ・鑓見内(旧中仙町):前田、板屋

 ・四ツ屋(旧大曲市):谷地、前田、切上、東田

●歩いたログ(足跡)(道のり9.2km)

(以上の地図:国土地理院)

 最後に、この時歩いた地域の南側(北側の「板屋」、「沖田」、「乙沖田」などは以前の「清水を往く-1」の記事に掲載した)一帯の昔の航空写真をご覧いただく。S51年とS23年の写真を連続して掲げる。

(S51年)

(S23年)

 まず目につくのは、S23年当時はこの辺りの田んぼはほとんど未整備なことである。そんな中にあって、めぐり歩いた「川戸賀」の家々が集まるところは、S23年の姿をS51年にもきちんと残していることがわかる。

 「星宮」の洋館風の大きな屋敷の中は、S51年にはりっぱな建物が建っており、その様子がS23年でもほとんど変わらないように見える。

 2枚の写真を並べてみると、S23年の個々の家がS51年、そして現在のどの家に当たるのか容易に特定できる。S51年の写真に「1」から「4」まで番号を付した家を、S23年の写真で特定して同じ番号を付してみた。すると、S23年当時の道の道筋はS51年の写真では黄色線を通っていたことがわかる。

 同じく家々の配置に注目すると、S23年には洋館風の屋敷の北側を東西に延びる道が通っていたが、S51年にはこの道(これも黄色線でたどってみた)が廃止されて、南側に付け替えられたことがわかる。

 S51年写真の左上に改修されまっすぐになった「窪関川」が写る。写真をよく見ると部分的ではあるが昔の蛇行跡が浮かんでいる。S23年当時の川筋と重ね合わせてみるのも面白い。なお、広い田んぼ中にも昔の曲がりくねった水路の跡をたどることができる。

 ところで、「南大吹」で「窪関川」を越えた橋は「与助橋」だった。人の名前が付いていた古くからあった橋であることを思わせる。S23年の蛇行した「窪関川」にも橋があり、川が改修されて橋の位置は変わったが、新しい橋が昔の名前を引き継いだものと想像される。

 蛇足であるが、S51年の写真に右上から左下にうっすらと二本の白い線が見える。ログ地図にも記載されている送電線で、よく見ると鉄塔の陰も写っている。

(終わり)

●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:335.3km)

 連日暑い(危険な暑さ、この言葉はこの夏初めて聞いたように思います)が続いており、晴れた日に「仙北平野」歩きに出かけるのはそれこそ危ない気がします。しかし、ブログを休まないようにするためには出かけなけれなりません。そこで、少しでも涼しいところはないかと考えたところ、それならば「旧六郷町」の清水を巡るのもよいだろうと思って、先般、曇りの日に歩いてきました。次回からはその記事を掲載する予定です。


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