<平成28年の「藤木」の航空写真>
●歩いた日:2019年11月23日(土)
●歩いた所
・藤木:上野中、乙新藤木、甲新藤木、街道下、扇合、丙一本木、小船橋、谷地、甲本藤木、乙本藤木、八幡腰、新田
●歩いたログ(足跡)(道のり6.1km)
(以上の写真・地図:国土地理院)
(📷014の地点から)また西に向かって郵便局、「大曲南中学校」の前を過ぎ、スタート直後に東に向かった「県道116号」に合流するすぐ手前でもう一度振り返る。
📷015:「上野中」の道
紅葉した木の奥の大きな建物が「大曲南中学校」。奥から手前に来たところで、「藤木上橋」の手前で写真のようにカーブして「県道116号」と合流するが、左下にも道が写るように、「藤木上橋」へまっすぐ延びる道跡がある。ここも「横手川」の改修に伴って道が付け替えられたようだ。
カーブした道なりに進んで橋のたもとに止めてある車に戻る。
最後にいつものように今回歩いたところの航空写真をご覧いただく。まずはH28年から。
7月下旬の写真で、何度見ても田んぼの緑が美しい。左下の市街地は「角間川」である。
左手を「横手川」が南から北に流れ、左上隅で「雄物川」に注いでいる。以前の「角間川」のブログでもご覧いただいたが、「旧横手川」を境に南側は「角間川」で、北側の三角地帯は「藤木」の「八圭」である。
「出川」と「横手川」の合流地点のすぐ下(北)にある「藤木上橋」の辺りに注目いただきたい。後でS23年の写真をみるとよく判るが、「横手川」の両岸の道をまっすぐ繋いだピンク色の線が、ここに「横手川」が掘削される以前の県道の道筋である。道筋どおりだと斜めに橋を架けなければならないため、両岸の道を付け替えた上で橋を架けたことがわかる。
「出川」沿いに建つ「神明社」の赤い屋根と県道から神社に至る道がはっきり写る。
東に進んで「扇合」の十字路辺り、県道の南側に並ぶ大きな屋根はJAの倉庫などの建物。さらにその東、斜めに交差する十字路の脇に立ち寄った小さな社が写る。
この後南西に進んだが、その道の東側に広がる田んぼの区画に留意しておいてほしい。区画の長辺が北東から南西方向で、この道と直角になっている。
「丙一本木」は、航空写真を見ると改めて大きな集落であることがわかる。本文で写真を掲げた集落南端の針葉樹・広葉樹の大きな木、北端の屋敷林などとともに広い屋敷の家が集まっており、古い集落であることをわかる。
「扇合」の十字路のすぐ北に、📷011で掲げた、木立の生い茂る大きな屋敷跡と思われる一画が写る。また航空写真では、その東隣にも木で囲まれた縦長の広い屋敷があり、北側に何棟もの家屋が建っていることがわかる。(「甲本藤木」の一角2)で木立の奥に見え隠れしていた建物のようだ。これらの場所はひとつの広大な屋敷なのだろうか。
北に目を移すと、「藤木小学校」が写る。正門から撮った写真にも写っていたが、正門から校舎の間の通路に四つの丸い文様がくっきり見える。学校の右隣、プールのすぐ南の大きな建物は公民館である。学校の西側にグランドがあることにも留意してほしい。
小学校の北に赤い屋根の「八幡神社」が写る。そこから学校の正門脇までまっすぐ参道が延びている。
次にS51年の航空写真。
道をはさんだ「大曲南中」の南側一帯は、今、多くの住宅が建ち並んでいるが、道筋はほとんど現在と同じである。ただ、右端の小さな社の脇を通っている、ピンク色で描いた道はまだない。
そのピンク色沿いの田んぼの区画を見てほしい。長辺がきちんと南北方向を向いている。H28年の航空写真で見た田んぼは、長辺が北東から南西方向を向いていた。土地の傾斜がきつい場合、田んぼの区画を大きくすると一区画ごとの段差が大きくなるので、それをできるだけ少なくするためには、棚田が等高線に沿って細長く造られるように、長辺は傾斜の方向と直角になるように整備することになる。そのために区画の方向が変わったと思われる。
大きな屋敷跡と思われる場所は現在とほとんど同じ姿である。
「八幡神社」の長い参道沿いに家屋が少なく、参道がよりはっきり見える。
「藤木小学校」は東隣、プールの南側には現在公民館が建つが、当時はグランドだったことがわかる。現在グランドになっている西側一帯は田んぼとなっている。
中央やや下、「出川」の南側に木立が連なっている。これはこの後見ていただくS23年の写真と比べて見ると、改修前の「出川」の流路であることがわかる。川沿いには現在もこの木立の一部が残っている。
(その8に続く)
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