<「観音堂」の風景>
●歩いた日:2024年1月20日(土)
●歩いた所
・豊 受:観音堂、川端街道下、治内野、上八丁堀、喜内野、下野、中野
●歩いたログ(足跡)(道のり6.2km)
(以上の地図:国土地理院)
(「喜内野会館」の広場に立つ「菅江真澄の道」の)標柱の横に「喜内野」の開拓記念碑が建つ。
(「喜内野」の開拓記念碑)
記念碑の裏面を拡大して読んでみると、ここは戦後のS22年から入植した人達が開拓した土地である。S25年に地下水利用による自力開田に着手した、とある。ここは「東山」に近い場所柄から地下水は豊富かもしれないが、地下水は冷たいので、温めるためのため池でも作ったのだろうか。
その後、「仙北平野土地改良区」に加入し、用水路工事の完成に伴って配水を受けられるようになったと、「喜内野部落」16名の人達が苦難の開拓の歴史を刻んでいる。
道に引き返し、また西に進む。
📸015:「喜内野」の風景3
逆光のため真っ黒に写っているが、一軒家の奥に、「斉内川」沿いに杉林が広がり、重厚感のある?景観を形作っている。堤防際まで開田されてところがほとんどであるが、ここはなぜ杉林になっているのだろう。河道跡で砂利が多い土壌のため、田んぼには適さないのだろうか。
写真道奥(西)にしばらく進む。「喜内野」から「観音堂」に入った辺りで振り返る。
📸016:「観音堂」の一角2
東にまっすぐな道が延びる。立っているところは「観音堂」で、道左手の家の辺りから奥が「喜内野」になるようだ。「喜内野」の開田とともに整備されたので、こんなまっすぐな道ができたのだろう。
奥の「東山」の上に白いピークが二つのぞく。右側はその形から「薬師岳」とわかる。すると左手はほぼ同じ高さの「小杉山」と思われる。
「県道11号」近くで「水神社」方面を望む。
📸017:「観音堂」の風景4
右手奥の高い杉木立が「水神社」。写る家々は、「県道11号」の東側に建ち並ぶ「観音堂」の家々。もっとも左手手前の家は「治内野」である。
県道西側の「上八丁堀」とともに、県道沿いに非常に大きな集落が形成されている。「水神社」の門前町(村)のような感じで、昔の「豊受村」の中心集落だったのだろう。
県道を横断し、車に戻る。
(⑥に続く)
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