<S23年当時の「四ツ屋」の中心部>
●歩いた日:2020年9月16日(水)
●歩いた所
・四ツ屋(四ツ屋):西下瀬、櫤ノ木、下前村、上前村、前田、谷地、掵田、上古道、下古道
●歩いたログ(足跡)(道のり6.6km)
(以上の地図:国土地理院)
堰(水路)沿いにグランドの縁を進む。
📷021:現在の「四ツ屋小学校」校舎
現在の「四ツ屋小学校」の校舎である。
私たちが通っていたS30年代には、左手の3階建ての校舎のところに小学校の校舎が、木立奥の体育館のところに「四ツ屋中学校」があった。
現在の児童数は、HPによると156人、私たちの時は1学年40人ほどのクラスが3つあったので、6学年では700人以上いた計算になる。隔世の感がある。
「明けゆく空に そびえたつ 真昼の峰を あおぎつつ ・・・・・・」。校歌は私たちの時代と同じである。
グランドを出て左に折れ、「田沢湖線(秋田新幹線)」の踏切のすぐ手前で旧「角館街道」に出て車に戻る。
最後に、歩いた所の古い航空写真(国土地理院)をご覧いただきたい。まずはS51年から。
(S51年)
南北に長く歩いたので縦長の写真になってしまった。スクロールしながらご覧いただきたい。
左下から右上に「国道105号(角館街道)」と「田沢湖線(秋田新幹線)」が走る。国道は開通してまもない時期なので、沿道の建物はまだ疎らである。国道と鉄道の間を旧「角館街道」が延び、沿道には家屋がびっしり建ち並んでいる。
左下に車を停めた場所のすぐ近くの踏切が写る。踏切のところで道が微妙に曲がっているのは、鉄道が開通した時に付け替えたためであろう。
車を停めた一画には現在、公民館、こども園が建っているが、当時は一面の田んぼである。
「四ツ屋小学校」は東西に長い校舎である。現在の校舎に建て替えられる前のようだ。
学校のすぐ東側に引いたピンク色の線は、新たに通された現在の道筋である。この道はアンダーパスで鉄道を横断しており、いわば車専用の道である。従って、旧街道を横切ってまっすぐ学校に向かう写真の道は、現在も児童などの歩行者用の道として使われている。
中央やや上、新旧の「角館街道」の中ほどに「神明社」の赤い屋根が見える。
右上に「四ツ屋駅」と「福昌寺」が写る。
右上隅に工事中の道路が写っている。現在の県道で、S51年当時は工事の真っ最中だったようだ。工事中の跨線橋の脇に踏切が見える。旧街道の墓地の所から踏切に向かって延びる道(青い矢印)が東へ向かう主要な道だったことがわかる。
本文で書いたように、左上に半島のように突き出たところが、「四ツ屋」に大きく食い込んでいる旧「中仙町長戸呂」である。余計なことだが、田んぼの中に水路跡と思われる色の濃い部分がある。S23年の写真を見るとこれが明らかになる。
その半島状の南端から国道を越えて小学校の裏に至る、今回歩いた細い道を指示してみた。本文で、学校の北側は田んぼ中の道であったと書いたが、当時もまだそんな状況である。
余談だが、小学校の北西、国道端にたくさんの戸建て住宅が並んでいる。これは、「大曲駅」に程近い所から、ここのすぐそば(左下にわずかにのぞいている)に移転してきた国の農業試験場(現「東北農業研究センター大仙研究拠点」)の職員住宅である。現在は大きな集合住宅に建て替えられている。
次にS23年の写真。
(S23年)
当時の「角館街道」と「田沢湖線」(当時は「生保内線」と云った)が鮮明に見える。当時は田んぼの形が不整形で、まだ区画整理が行われていなかったことがわかる。
左下に踏切が写り、車を停めた場所も示してみた。
「四ツ屋小学校」の懐かしい校舎が南北に長く建っている。裏(西側)の体育館、中庭もはっきり見える。また、当時の正門に至る道もくっきり写り、正門の両脇に桜の木が並んでいる。グランドは校舎の東側だけで、私たちが通っていたころは、野球場を兼ねて南側に広げられていた。
ところで、小学校の北側を接するように東西に延びる道がある。この道は東にいくと踏切になる。ということは、S51年の写真で見たように(現在もそうだが)、現在、小学校の正門に向っている道は、この写真に写っている道の一部ということになり、現在は学校で行き止まりになっている。
このことに関連して思い出したことがある。この写真には中学校が写っていないが、この後建てられた「四ツ屋中学校」は、小学校とは直角に、南側に本校舎、北側に体育館があって、その間は渡り廊下でつながれていた。その渡り廊下のところに、踏切の方から旧街道を横断してまっすぐ入ってくる道があった。現在は小学校の正門へ向かっているこの道こそ、S23年の写真に写る小学校脇を通る道である。すると、中学校の本校舎は写真の道の南側に、体育館は北側に建てられた(黄色の印)ことになる。そんなことを考え合わせると、現在、小学校の北側を通っている道筋は、ピンク色でなぞった線になるようだ。
「神明社」は木立に囲まれて建っており、広い参道もはっきり写る。元々の「四ツ屋」の南端は左下の踏切辺りまでなので、この写真を見ても、「神明社」の場所がちょうどまん中辺に当たることがわかる。ここに最初の「四ツ屋小学校」が置かれたことも頷ける。
「四ツ屋駅」の辺りはS51年とほぼ同じで、鬱蒼と茂る屋敷林を持つ大きな屋敷が目立つ。墓地のところから東に向かう道も、道筋が少し変わっている部分(紫矢印)も含め、はっきり確認できる。
S51年の写真の田んぼに浮き上がっていた跡のとおり、「長戸呂」に水路が写っている。
最後の方で歩いた「角館街道」の西側の道は、南側の田んぼ中のところがまだ通っておらず(橙色の線)、東に折れて「角館街道」に繋がっている。田んぼの区画整理の時に通された道なのであろう。
(終わり)
●ブログに掲載したログの累計(累計の道のり:481.7km)
歩いた道のりが500kmに近くなってきましたが、しばらく「仙北平野歩き」を中断して、次回からは、この秋に出かけてきた、身近な「低山歩き」の記事を連載していく予定です。
元気そうで何よりです。
次の記事も楽しみにしてます。
級長だったkiseiさんへ
古稀の同級会の時、寺の真ん前に住むH・Iさんに鎌田さんからブログにコメントを寄せていただいたことを話したら、とても懐かしそうにしておりました。
四ツ屋にはまだブログに載せていないところがありますので、いずれ歩いて来て掲載したいと思います。
これからもよろしくお願いいたします。