ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧大曲市角間川を往く-2(その3)

2018年12月13日 | 旧大曲市を往く

●歩いた日:2018年11月25日(日)

●歩いた所

 ・角間川:東中上町、西中上町、中町頭、町頭、西上町、元道巻、二本杉、愛宕、東元道巻、八幡前、四上町、大浦町、下中町、東本町

●歩いたログ(足跡)(道のり5.4km)

(以上の地図:国土地理院)

 

 「愛宕神社」のすぐ南側を高速道路が通っている。整備された県道は高速道路をくぐって南に延びているが、私は高速道路の手前で左に折れ、東に延びる真っすぐの道を進む。しばらく行くと左手に運送会社の看板があり、そこを通り過ぎたところで振り返る。

📷005:「元道巻」の道2

 

 手前に歩いて来たところで、道奥に高いところを走る高速道路と、その下をくぐる県道のトンネルが見える。

 運送会社の入口に一際高く太い丸太が立つ。その前を通る時、掲げてある看板を読むと「埋もれ木」と書いてある。産地と掘り出された年月も書かれているようだが読み取れない。会社のシンボルとして立てているのだろうか、てっぺんには雨除けの屋根がかかっている。

 ところで、当初、「元道巻」をどう読むのかわからず、調べると「ゲンドウマキ」という地名である。「地名への・・・」をひもとくと、「ゲンドウ」は「言動・限度」、「マキ」は「巻く・扱」で、限度を超えた川の流れの激しい状態、「旧横手川」、「旧雄物川」の氾濫時の状態を表している、とある。

 さらに東に進む。やがて「角間川」と「横手」をつなぐ県道との十字路に出る。

📷006:「町頭」の県道

 

 左端の案内板の向こう側を左手から来たところ。「横手」から来ると、この辺りで「角間川」の街に入る。道の奥に、青い道路標識が小さく写っている。この標識のすぐ先が📷002の三叉路である。

 道脇の看板には、この辺りの医院、会社などの道案内が記載されている。

 県道を突っ切りさらに東に進むと、「横手川」沿いにあると思われる雑木林が見えてくるところで丁字路になる。そこを左に折れたすぐ道脇の藪の中に小さな祠と、「いで湯の里」と刻まれた石柱が建つ。ログ地図を見ると確かに温泉マークが記入されている。北に向かって行くとすぐ、右手奥に「田畑荘」と書かれた古い建物があり、そういえば、以前「角間川温泉」があったことを思い出す。

 「田畑荘」が見えるところから北を望む。

📷007:「八幡前」の道

 

 街はずれの静かな通りという風情である。右端建物の奥にある桜の木の脇に白っぽい石柱がのぞく。ここがログ地図にある神社の入口のようだ。調べると、この道左手は「八幡前」である。

 神社の入口に立つ。

(「四上町」の「八幡神社」)

 

 社殿は小さいが由緒のありそうなたたずまいである。左奥に墓地があり、神社と墓地を一緒に眺めるのは妙な感じもする。

 社殿の右側に見たことがないような姿をした建物が建つ。近づいて見ると、正面にがっしりした戸?がついていて鍵がかかっている。

 「角間川活性化協議会」のHPで「見どころ」をみていると、この建物の写真があり、「和光殿」というとのこと。説明によると、終戦までは、天皇・皇后の御真影と教育勅語を納めた「奉安殿」で、戦後、GHQから取り壊しが命じられたが、経緯は不明であるものの、ここの「奉安殿」はそれを免れ、旧「角間川小学校」からここに移築され、その後「和光殿」と名を変え、戦没者119柱を祭っているとある。戦前・戦中を描いた映画などで、御真影が収められた建物の前で生徒や先生が敬礼?している場面があったことを思い起すが、その建物はこんな形をしていたようにも思う。

(その4に続く)


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