●歩いた日:2016年7月22日(金)
●歩いた所:佐野・福嶋・団子町・王野田・大荒巻・高倉・荒巻(以上「横堀」)、高倉・寺田・羽黒堂・下田(以上「横沢駒場」)、飯嶋・大形(以上「旧中仙町清水」)
●歩いた位置
●歩いたログ(足跡)(道のり:7.9km)
(以上の地図:国土地理院)
先般のブログで、7月中旬の大(激?)雨による九州地方の甚大な被害に触れましたが、それからまもなくの7月22、23日に秋田県にも記録的な大雨が降り、県南を縦貫する「雄物川」が氾濫して大きな被害に見舞われました。妻との話でよく出ることですが、近年の雨は「狂ったように降る」時があり、これも「温暖化」の影響なのでしょうか。
私の家は、「雄物川」からも、その支流である「玉川」からも少し離れたところにあり、田んぼも「クロ(畦畔)」の一部を水が少し越えた程度で全く被害はありませんでした。被害のニュースを見ると心が痛みますが、洪水に遭うことがないこの場所に居を構えた先祖には感謝したくなります。
さて、雨が降らない日は連日猛烈な暑さとなり、また、7月中にはいくら暑くても田んぼ周りの草刈りをしなければなりませんので、ここしばらくは「仙北平野」歩きに出かけておりません。というわけで、今回の記事は昨年7月22日に歩いた記事を投稿します。改めてその時の写真を見ると天気は快晴ですが、どれ位暑かったのかは記憶にありません。
それでは本文に入ります。
国道105号線(「角館街道」)の「田沢湖線羽後四ツ屋駅」近くから「旧太田町横沢」に延びる広域農道を東に進むと、先般のブログに登場した「旧仙北町横堀佐野」の十字路に至る。
その脇に建つ圃場整備事業の大きな記念碑の前に車を置いてスタート。まずは南の「福嶋」に向かって歩を進める。
「福嶋」の家々が密集する集落に入ると、道の一角に乗合タクシーの停留所があり、それには「団子町」とある。この地名については先般のブログでも書いたように、「地名への・・・」には出ているが、どの地図を見ても出てこない。かなり大きな集落である「福嶋」の一部が「団子町」なのだろうか。
さらに南に進むとバス停のある幹線道路に出、道端に医院と介護施設がある。幹線道路をいったん右に少し進み、以前歩いたことのある「星宮」方面(西側)を眺める。そこから引返して東に進むと、右手の田んぼ中に点々と家があり道が通じているので、南に折れてそちらに向かう。この辺りは「荒巻」である。「地名への・・」によると、ここの南を流れる「川口川」の急流の場所、早瀬の意味、とある。
やがて丁字路に突き当たりそこで西にカメラを向ける。
📷001:「荒巻」の小道
個人的なことであるが、母の実家に近いこの細い道は小さい子供の頃何度も歩いた道である。何十年ぶりにこの道に立ったことであろう。ここから「西山」の「姫神山」が見えていたことに今初めて気付く。こんもりとした屋敷林がある農村らしい落ち着いたたたずまいである。
丁字路を東に少し進んで、また幹線道路に戻るため北に向かう。
📷002:「荒巻」の小道2
以前のブログにも登場したこの道も、子供の頃、バス停への行き帰りに歩いた道。道の途中に木立に囲まれた社があったことを覚えており、道の曲がり具合から、その場所と思われるところを撮った写真である。
道のまっすぐ奥に社が写っている(現地では気が付かなかった)が、覚えている社は写真右端(赤っぽい屋根がのぞいている)の社と思われる。今は木がほとんど切られ、その境内にまだ新しい集落会館が立っている。
さらに進んでバス通りに出ると、今もちゃんと停留所がある。
バス通りの幹線道路を少し東に進んで左に折れ北に向かう。「王野田」、その北側の「大荒巻」と進み、再び「福嶋」の一角を通り抜けて、車で走って来た広域農道に出る。
ここから、止めてある車を遠目に振り返りながら、しばらく広い農道を東に進む。「窪関川」が大きくカーブして農道と一番近くなっているところの十字路を左折して北に向かう。
ところで、広域農道に出たところの地名を調べると「高倉」で「横堀」に属する。左折した十字路のところも「高倉」で、こちらは「旧太田町」の「駒場」である。元からの「高倉」が明治時代の町村制施行の折にでも二つの村に分かれたのであろうか。
「窪関川」にかかる「寺田橋」を越えて進む。
(その2に続く)
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