●歩いた日:2016年7月22日(金)
●歩いた所:佐野・福嶋・団子町・王野田・大荒巻・高倉・荒巻(以上「横堀」)、高倉・寺田・羽黒堂・下田(以上「横沢駒場」)、飯嶋・大形(以上「旧中仙町清水」)
●歩いたログ(足跡)(道のり:7.9km)
(以上の地図:国土地理院)
「窪関川」にかかる「寺田橋」を越えて、道は微妙にカーブしながら北東に延びている。やがて南北に走る、これも新しく開通した広域農道と交わったところで、振り返ってカメラを向ける。
📷003:「寺田」の道
写真左奥、やや小高くなっているところが渡ってきたばかりの「寺田橋」で、道はカーブして手前に続いている。南北の広域農道を越えても、道なりにさらに北東に延びており、昔からの道であることがうかがわれる。
道左側の田んぼはやや低く、「寺田」の家並は道の右(北)側にだけ連なっており、小さな段丘上に集落が形成されたことがわかる。後で、S23年の航空写真で確認してみたい。
広域農道を横断してさらに進むとまた南北に走るやや広い道に突き当たり、そこを左折して北に向かう(この道は以前のブログに登場した道)。「羽黒堂」に差しかかると、前方に大きな杉木立と鳥居が見えてくる。鳥居の前でカメラを取り出す。
📷004:「駒場神社」
「駒場神社」で、境内の一角に「菅江真澄の道」と「羽黒堂遺蹟」の標柱が建つ。
「地名へのいざない」によると、この神社は俗称「羽黒山」とも呼ばれ、「羽黒堂」の地名はそれに由来するとある。さらに同書には、村内(「駒場村」?)にあった「稲荷神社」、「諏訪神社」、「豊受神社」が合祀されて「駒場神社」となる、とも書かれている。
このほか、境内には、義民 肝煎「佐治兵エ翁」・「佐左エ門翁」の顕彰碑、「日露戦捷紀念」の石碑などが立ち並び、ここに歴史が凝集している感がある。
以前のブログではここから東に向かったが、この度は西に進んで再び広域農道に出る。農道の北の方を望むと、道端に飲物の自動販売機があるので、缶コーヒーを求めてそちらに向かう。
📷005:「駒場北ポケットパーク」
飲み物を買ってさらに北側に目を向けると、小さな祠のそばに駐車スペースがあって、「駒場北ポケットパーク」の標識がある。ここで一休み。
パークの中に「旧太田町ガイドマップ」と書かれた案内板が立っているので、今後歩くときの参考にとカメラに収める。
案内板の左に赤い字で現在地が表示されており、ここ「旧太田町駒場」は半島のように西に出っ張ったところで、出っ張りの南側は「旧仙北町横堀」、北側は「旧中仙町清水」である。
蛇足ながら、マップに東の山に延びている道が2本描かれている。北の道は「真木渓谷」、南の道は「川口渓谷」で、それぞれ「斉内川」、「川口川」の最上流部にあたり、紅葉の景勝地である。
「ポケットパーク」から農道を引返し、また西に進む。この辺、「下田」である。
(その3に続く)
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